きょうは7月の第3月曜日、つまり「海の日」だ。
この日は海の恵みに感謝し、海洋国である日本の繁栄を願う日。
世界中に島国はあっても、「海の日」を国民の祝日としているのは日本だけなのだ。
さて、話は変わって日本と中国だ。
両国はお隣どうしの関係でありながら、江戸時代には国交を結んでいなかった。
でも、1871年になって日清修好条規を締結し、国と国の正式な関係が始まる。
この時、中国政府から派遣された使節団の中に、外交官の黄 遵憲(こう じゅんけん)がいた。
彼は約4年間の滞在で日本人を観察し、貧しくても庭に木を植えて自然を愛する心や、積極的に海外のことを知ろうとする好奇心などを賞賛する。
特に、日本の風習である花見を気に入り、日本人の知人と桜を見て「東皇第一に桜花を愛す」と花見の詩を詠んだ。
*東皇とは「春の神」のこと。
こんな経験から、黄 遵憲は帰国後、日本人が桜の花をとても好きなことを中国に広く伝えた。
明治維新を知り、中国の改革でも参考にすべき点があるという彼の考え方は、康有為や梁啓超に影響を与えることとなる。
親日的な中国人である黄は日本をこう表現した。
日本は国として、大海の中に悠然と独立していて、他国とは隣接していない、〇〇神武事件以来、2500余年、1つの国でも他人に与えたことなく、一寸の国土を他人から得たこともない。日本が古代からずっと変わらずに、このようにできたのは、また奇になることである。
「文人外交官の明治日本 張偉雄(柏書房)」
黄 遵憲
漢民族を中心に中国の歴史を考えると、万里の長城の向こう側にいた北方民族との戦いの連続だった。
13世紀に宋が南進してきたモンゴル帝国に滅ぼされ、17世紀には漢民族の王朝である明を倒して満州族の清が成立した。
黄 遵憲は漢民族の人間だから、異民族の皇帝の臣下だったことになる。
一方、四方を海に囲まれている日本は13世紀には元軍を撃退し、異民族の支配を一度も受けたことがなかった。
日本が古代から主権を保ち、ずっと変わらないでいたことは、清朝末期の中国人からみると奇跡のように見えたらしい。
これも日本が大海の中に悠然と独立していたから、もし中国や韓国と陸続きだったら、日本の歴史はまったく別のものになっていた。
おそらく天皇家はどこかで途絶えていただろうし、19世紀には、日本人が異民族に仕えていたかもしれない。
日本人が一年に一度、海の恩恵に感謝する日をつくったのも当然だ。
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