第一次世界大戦を背景に、日本のチョコレート文化はじまる

 

1926(大正15)年のきょう9月13日、明治ミルクチョコレートが発売された。
*ちなみに、この年の12月25日に大正天皇が崩御し、昭和という新時代が幕を開ける。
1918年に森永がミルクチョコレートを販売したから、このころが日本における「チョコ創世期」と言っていい。

ただ、日本初の板チョコは、1909(明治42)年に森永が販売を開始していた。が、それは輸入したビターチョコレートを加工してつくったもので、日本人が原料から一貫してつくり出したものではない。
カカオ豆からチョコレートをつくり出すには、巨額の設備投資費用と高度な技術が必要で、当時の日本のお菓子メーカーにその負担は大きすぎたのだ。

だがしかし、森永の社長は一念発起し、日本初のチョコレート一貫製造設備を建設することを決意する。
彼は実際にそれを実現し、アメリカからチョコレート製造技師を呼び、1918年に日本で初めてカカオ豆から製造されたチョコレートが誕生した。
価格は1枚15銭で、翌年に10銭へディスカウント。

当時、大福や最中などのお菓子が5厘ほどで買うことができた。
*1円=100銭(せん)、1銭=10厘(りん)。
それを基準にすればチョコは30倍だから、上級国民なら問題ないが、庶民には特別なトキに食べるぜい沢な一品だったと思われる。
それでも、これで日本にチョコレートを食べる文化が広がり、1926年の明治チョコの発売につながった。

 

日本人が原料からチョコレートを製造した1918年、世界は第一次世界大戦後の真っ最中だった。
史上初めて戦車や機関銃などの新兵器が登場し、犠牲者の数がはね上がった世界大戦が行われていた時、日本ではチョコを製造していたのだ。
この大戦はおもにヨーロッパ大陸を舞台に、ヨーロッパの国同士が戦ったものだから、日本はほぼ無傷だった。
でも、無風だったわけではない。

ヨーロッパ諸国は先進工業国だった日本に、軍需品などの供給を求めた。
日本はそのリクエストに応じ、物資をバンバン製造してドンドン輸出し、これによって「大正バブル」と呼ばれる空前の好景気が生まれた。
この時期、工業で栄えた大阪市は「東洋のマンチェスター」と称された。
そして、大正バブルで巨万の富を築いた「成金」が現れる。
高級料亭でたらふく食った後、玄関で「暗くてお靴が分からないわ」と探す女性に、成金が百円札の束に火をつけて、「どうだ明くなったろう」と言い放つ。
これは、いまでも歴史教科書で最もインパクトのある絵の1つに数えられる。

 

大戦景気の成金

 

この元ネタになったのは、実業家の山本 唯三郎(たださぶろう)と言われる。
山本は「虎ハンター」としても有名で、朝鮮半島に遠征し、デッカイ2頭の虎を仕留めた。

 

 

1919年に第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が結ばれ、日本はアメリカ、イギリス、フランス、イタリアと並ぶ世界五大国の1つとなった。
明治チョコが登場したこのころ、日本は好景気にわいて、消費意欲もかなり高かったはず。
しかし、1920年になると、日本はそれまでの反動と生産過剰から、「戦後恐慌」と呼ばれる不景気に見舞われた。
山本 唯三郎もこの時に破産した。

森永が大規模な投資を行い、日本初のチョコレート一貫製造設備を建設し、日本にチョコレート文化を定着させた。
その背景には第一次世界大戦と、それが日本にもたらした好景気があったことは間違いない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。