知り合いのドイツ人は日本に住んでいた経験があって、いまは母国で日本語を勉強している。
先週、彼と話をしていた時、日本語について、彼が違和感や不快感を感じることがあるという話を聞いた。
なので、今回はその内容を紹介しようと思う。
最初に、彼が「このまえ、でっかいトンボが1匹あった」と言って、こんな写真を見せた。
日本では見たことないタイプ。
独特というか、色が毒々しい。
確かにこのサイズなら、「でっかいトンボ」という日本語表現は正しい。
ツッコミどころは「1匹あった」だ。
トンボは生き物だから“いた”が正解だと教えると、「そうだった!」と彼もすぐに納得する。
でも、彼から「トンボは“匹”でいいの? それとも“頭”?」と聞かれて、一瞬考えた。
トンボは羽があって空を飛ぶけど、鳥ではなく虫だから、数え方は「匹」でいいはず。
日本語を学ぶドイツ人にとって、日本語の複雑でむずかしいところは物の数え方だ。
彼は日本にいたころ、コンビニのレジで、
「お箸をください」
「はい。一膳でいいですか?」
「はい? イチゼンは何ですか?」
と戸惑った経験がある。
日本語では、物によって数え方が違うから、個、~つ、枚、本、台とさまざまパターンがあって、これが彼にはややこしい。
一方、ドイツ語の数え方はラクらしい。
トンボは「Libelle(リベェレ)」で、複数なら最後に「n」が付くから、一匹なら「eine Libelle」、二匹なら「zwei Libellen」、三匹なら「drei Libellen」となる。
英語の「one dragonfly」、「two dragonflies」、「three dragonflies」と考え方としては同じだ。
彼はトンボの数え方について、“匹”か“頭”で迷った。
というのは日本語を学んでいて、チョウの数え方が「匹」ではなく、「頭」と知って驚いたことがあるから。
昆虫のチョウを牛や豚と同じように「1頭、2頭…」と数える理由が、彼にはさっぱり分からなかった。
これは、日本人でも分からない人がいる。
そのワケは英語にある。
昔、西洋の動物園では、チョウを含む園内のすべての生物を「head(頭)」で数えていた。
その影響から、昆虫学者も論文でチョウを「head」で数えるようになる。
それを見た日本人が「head」を「頭」と訳し、それがチョウの数え方として定着した、という説が有力だ。
ちなみに、蛍も普通は「匹」で数えるが、「頭」で数えることもある。光る性質に着目して「灯(とう)」と数えてもOK。
*後日、トンボも「頭」と数えていいことを知る。
日本語の数え方は本当に奥が深い。
知人のドイツ人にとって、日本語分かりにくいポイントは、誰かが「トンボがいた」と言った場合、それが1匹なのか複数なのか判断できないこと。
英語なら、「a dragonfly」と「dragonflies」と使い分けるから一瞬で理解できるけど、日本語ではそこがアイマイにされる。
ドイツ語では車は「Auto」(アオト)で、複数だと「Autos」(アオトス)になるから、「車が走っている」と聞けば、1台か2台以上かはすぐに分かる。
でも、日本語では、何台の車が走っているか不明だから、その情景が分かりにくいし、台数も想像する人によって違う。
「日本語は大まかだから、『これって何人(いくつ)?』って考えることがよくあるんだよ~。それで、少しイラっとすることもある」というドイツ人の不満を聞いて、ボクが感じたのは「その情報って、必要?」ってこと。
「車が走っている」と聞いて、その車が1台か複数か分からなくても、日本人は特に困らない。
だから、日本語は単数と複数に明確な区別をつけないのだろう。
でも、ドイツ語はそんなあいまいさを許さない。
彼はそんな言語環境や世界観で育ってきたから、1つか複数かが瞬時に分からないと、モヤモヤして不快な気持ちになるようだ。
そんなドイツ人の感覚からすると、日本語では、逆に正確に言わないといけないこともある。
たとえば、クッキーを1枚食べたら「I ate a cookie」、3~4枚なら「I ate cookies」と言えばいいところ、日本語で「私はクッキーを食べた」と言うとその量がまったく分からない。
だから、彼がドイツ語から日本語に訳して言う場合、「私はクッキーを1枚(または3~4枚)食べた」と具体的な個数を言わないといけないから、これが不便で面倒くさい。
「いけない」というのは、彼には常に単数と複数を分ける習慣があるから。
日本人なら「クッキーを食べた」とだけ言って、その枚数は相手に想像させればいい。
おそらく日本人なら、クッキーの種類が気になることはあっても、食べた数なんてどうでもいい。
日本人はこのアイマイさを意識しないから、気にならないというより、気がつかない。
*ちなみに、彼はクッキーの数え方が「個」ではなく、「枚」になる理由が分からなかった。
物の数え方は複雑でも、とにかく覚えればいい。
でも、ドイツ人の彼にとっては、物の存在(量)をばくぜんと相手に伝える日本語の感覚には、まだ慣れることができないらしい。
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