ネット上では、京都人を中心に京都を好きな人が集まって、お寺や神社に行った感想やグルメ情報をシェアするSNSグループがいくつもある。
ボクがたまにのぞくグループでは、最近あるメンバーが京都で感じる不満を投稿していた。
*具体的な国名は伏せとくけど、以下の外国人とは東・東南アジアの人たちと考えてOK。
「複数の外国人が着物を着て、写真を撮っているのをよく見かけます。
ポーズを何度も変えたり、和傘とかの小物を持ったりして、いろいろな写真を撮るから、時間が長いんですよね。
路上ならまだいいんですが、お寺や神社のベストポジションでそれをやられると…。」
このグチに共感する人はたくさんいて、下のコメントはそんな氷山の一角を切り取ったものだ。
・最近、増えてますね。そういう外国人。
お庭を背景に写真を撮って、“でき”を確認して、満足するまで何度も写真撮影するみたいな。
SNSにアップした時の「映え」を意識しているのでしょうけど、いつまでそこにおんねんって思いますよ。
・20分以上も同じ場所にいる外国人がいて、あれにはさすがにキレました。
・日本人にもそんな人はいますよ。
後ろに何人も待っているのに、縁側に座ってずっと世間話をしているような人が。写真を撮らないで庭も見てないなら、カフェで話せって思いましたよ。
こんなコメントを読んでいて、東南アジアの人たちと京都旅行へ行って、感じた「壁」を思い出した。
日本の観光地のなかでも、特に敬意やマナーを求められるのが古都・京都。
静岡出身で京都に住んでいたボクから言わせてもらうと、京都の人たちは「千年帝都」である京都を、日本のその他の都市とは別のステージにあると位置づけて、その住民であることにプライドや責任を感じている。
それで、京都を大阪や東京と同じような観光地として扱われると、不快そうな顔をする京都人もいた。
日本に住んでいる外国人なら、まず間違いなく世界的に有名な KYOTOへ行きたいと考えている。
これまでに、タイ人、インドネシア人、ベトナム人からオファーを受けて、一緒に京都旅行をしたことがある。
その経験をベースに、独断と偏見を加味して言わせてもらと、東南アジアの人たちと日本人、特に京都人とでは感覚や考え方に大きな違いがあるから、日本人としては先ほどのようにイライラさせられる。
個人的にも10年ほど前、そんな体験をしてカルチャーショックを感じた。
その時は20代のタイ人2人、20代のインドネシア人女性1人、30代の香港人女性2人、そして日本人のボクの計6人で京都を旅行していた。
ある場所での観光を終えて、別の場所へ歩いて移動する途中、ふと気づくとタイ人とインドネシア人の姿がない。
しばらく待っていると、3人がおしゃべりをしながら、のんびり歩いてやってきた。
話を聞くと、途中で目を引くものを見つけたから、そこで写真を取り合っていたと言う。
「待たせてゴメン」のひと言もなく、ニコニコ楽しそうに話す彼らは1グラムの罪悪感も感じていない。
彼ら3人、または2人が何かを見つけると立ち止まって、ポーズを変えながら何枚も写真を撮り合うから、そのたびにボクと香港人が待たされた。
「いい加減にしろ!」とボクがキレる前に、一緒にいた香港人が「あなたたち、もう少しほかの人の気持ちを考えなよ」と静かに怒る。
すると、3人ともやっと状況を理解して、「ゴメンナサイ」と謝ると思ったのだけど。
実際には、3人は意外そうな顔をして、「もちろん考えているよ」と言ってこんな話をした。
自分たちの感覚だと、相手が親しい友人だったら、5分ぐらい待たせてもまったく問題ない。
(一回だけなら問題なかったが)
せっかく京都に来たなら、思いっきり楽しみたいと思うのは当然だから、自分だったら写真撮影を迷惑だなんて思わない。
立場が逆だったら、そんな友人の気持ちを優先して、自分たちは何の不満も言わずに待っている。
むしろ、写真撮影を制限して早く歩けと言う方が、相手の気持ちを無視していてよくない。
小さなことに怒って、他人の行動を制限したら、旅行の楽しい雰囲気が壊れてしまう。
ボクと香港人の意見は一致していて、自分が楽しむために、何度も他人を待たせる行為は「ふざけんな」だ。
でも、このタイ人とインドネシア人からしたら、ボクと香港人の方が心がせまく、友人として正しい態度ではない。
そんなことから2つに分かれて、お互いに「空気を読め」とプチ対立してしまう。
こういうケースを経験したのは初めてだったから、とても印象に残っている。
「親しき仲にも礼儀あり」が絶望的に通じないのが東南アジアの人たちだと痛感した。
別の機会に、アメリカ人とインドネシア人2人と京都旅行をしたときも同じだ。
4人で歩いていると、いつの間にか2人がいなくなり、ボクとアメリカ人が待たされて、「これが彼らのペースだから仕方ないネ」とアメリカ人がグチを言う。
それでも、彼らは小走りで来るし、写真撮影の回数も少なかったから、息苦しい空気になることはなかった。
タイ人とインドネシア人との旅行では、事前に彼らの行きたい場所を聞いて、なるべくそのリクエストをかなえられるように、ボクが旅行計画を立てていた。
こっちは、計画通りに進まないことにフラストレーションを感じていたのに、3人はその時の自分の気持ちを優先して、行きたかった場所へ行けなくても気にする様子はない。
ベトナム人もそんな感じだった。
全体を優先して、“私”を制限するのが日本人的な価値観や考え方だ。
一方、東南アジアの人たちは個々の気持ちを尊重し、結果として全体のペースが乱れても気にしない。
上のカジュアルな格好をしているのはドイツ人で、彼と一緒に京都を旅行したときはストレスを感じなかった。
日本人からすると、東南アジアの人たちよりも、きっとドイツ人の方が感覚や意識が合っている。
経験上、日本人や欧米人に比べて、東南アジアの人たちにはこんな特徴がある。
・自分のことが好きで、自撮りをすることが多い。
・相手のそんな気持ちも大切にするから、自分が待たされても平気。
・自分の気持ちを優先して、周囲の目線や時間を気にしない。正確に言うと、気づかない。
・全体的にリラックスした雰囲気が好きで、小さなことはスルーする。
日本人がこんな部分と接すると、「いつまでそこにおるねん」とイライラさせられる。
コメントを残す