静岡県民にとって、冬の楽しみのひとつが富士山。
この時期には、雪をかぶった富士山がきれいに見えることが多いのだ。
あるインドネシア人がそんな光景を見て感動し、SNSにこう書き込んだ。
「MasyaAllah Selamat Pagi, Fuji!」
「Mashallah」(マーシャーアッラー)というアラビア語は、「神の意思」「神が望んだこと(が起こった)」といった意味の言葉。
*「Selamat Pagi(スラマッ パギ), Fuji」は、インドネシア語で「おはよう、富士山」という意味。
イスラム教徒は息をのむような景色を見たり、素晴らしい人物に会ったりすると、神の偉大さを改めて実感し、感謝や畏敬の念を込めて「マーシャーアッラー」と言うらしい。
イスラム的に考えると富士山をつくったのはアッラーで、自分にその雄大な姿を見せてくれたのも神(アッラー)の意思になる。だから、その祝福に感謝して、神を称える「マーシャーアッラー」のワードが自然と口から出てくる。
これと似たアラビア語で、イスラム教徒がよく使うフレーズが「インシャーアッラー」。
この言葉は、「もし神が望んだならば」や「アッラーの御心のままに」といった意味だから、マーシャーアッラーと考え方は同じだ。
ただ、インシャアッラーはこれから起こる未来の出来事に対して使う言葉で、マーシャーアッラーはすでに起こったことに対して使うという違いがある。
だから、受験する前なら、合格するかどうかは「インシャアッラー」で、試験に受かれば「マーシャーアッラー」と神に感謝の気持を表すことになる。
このほかにもイスラム圏では、周囲の「嫉妬の目」によって不幸やトラブルが訪れるという考え方があるから、その「シット」から身を守る呪文として、マーシャーアッラーと唱えることもある。(Mashallah)
パキスタンかインドのモスク(イスラム礼拝所)
「マーシャーアッラー」を英語にするなら、「ゴッド・ウィルド・イット(God willed it:神がそれを望んだ)」や「オーマイゴッド」ではないかと思う。
雄大な富士山を目の当たりにした欧米人が、「オーマイゴー!」と言うのは十分想像できる。
でも、日本語だと「マーシャーアッラー」に相当する言葉が思い浮かばない。
日本人が壮大な富士山を見て、口から出てくる感嘆の言葉というと「うわっ、マジでやべえ!」「本当に素晴らしいですね」といった感覚的なもので、そこに“神”が登場するとは思えない。
一神教とは世界観が違うのだ。
一神教のイスラム教やキリスト教では、この世界は神によってつくられたと信じられている。
キリスト教では、神がその創造作業の7日目に休んだことから日曜日が休日となり、それがいまの日本にも定着した。
そんな創造説に対して、日本では「天地開闢(てんちかいびゃく)」によって世界が誕生したとされている。
はるか昔、混沌の状態から自然と天と地が分かれ、空と大地となり、世界が誕生した。その後、神々が生まれたことになっている。
日本神話では、天地開闢の際、最初に現れたのが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神で、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)や神産巣日神(かみむすひのかみ)の2柱とともに「造化三神」として創造神とされている。
しかし、この三神が具体的に何をしたのか、くわしいことは分かっていない。
そんなことで日本では、日本列島をつくったイザナギとイザナミが事実上の創造神とされている。
でも、この神はイスラム教のアッラーのような絶対神とはまったく違う。
江戸時代、国学者の平田篤胤(あつたね)はキリスト教の本を読み、万物を創造した神の存在に影響を受け、それに相当する日本の神を「造化三神」と考えた。
でも、こんな発想は例外で、日本全体に強い影響を与えることはなかった。
ということで日本には、キリスト教やイスラム教のような創造神はいなかったのだ。
神道の考え方で言うなら、富士山が御神体で神そのものになる。
だから、この世界で起こることはすべて神の意思によるという発想や、「インシャアッラー」や「マーシャーアッラー」といった日本語は存在しないのだろう。
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