日本に住む3人のバングラデシュ人(20代の女性2人、男性1人)とランチを食べながら、いろいろな話を聞いた。ってことを前回に書いたのだよ。
この中の1人が最近、韓流ドラマにハマっているという話を始める。
まえにドラマを見ていたら、「アルバイト」という言葉が聞こえてきたから、「あれ?」と思って字幕を見たら、やっぱり日本語のアルバイトと同じ意味で驚いた。
それをきっかけに調べてみたら、日本語と韓国語には共通する言葉がたくさんあることを発見して、なかには自分の知っている言葉もあったから、韓国語に興味がわいたと話す。
すると別のバングラデシュ人が、そう言えばいろんな韓流ドラマを見ていて、街並みや自然が日本に似ていると思ったと言う。
女性2人がそんな韓流話で盛り上がって、バングラデシュ人男性は置き去りの刑に処される。
では反対に、日本と韓国の違うところは何だと思うか聞いてみた。
すると、「あります!」と女性が怒り気味に言う。
それはイスラム教徒ならではの視点で、日本のメディアも報道したコレだ。
ソウル、釜山に次ぐ、韓国第3の都市が大邱(テグ)。
そこにある住宅街で、イスラム教徒がモスク(イスラム礼拝所)を建築をしようとしたところ、近隣住民による猛烈な反対運動がわき上がる。
だがしかし、これについては去年9月、韓国最高裁がイスラム教徒側の勝訴を言い渡したことで決着がつく。
モスク反対派には無念の気持ちがあっても、あきらめるしかなかった。
…となるかと思いきや、反対活動は激化して、昨年末には豚肉を使ったバーベキューパーティーを決行する。
イスラム教では豚肉の摂取は厳禁されている。
微量の豚のエキスがあるからという理由で、しょう油やミリンを拒否するムスリム(イスラム教徒)もいるのだ。
それなのに(だからこそ)、反対派の住民は建設中のモスクの目の前で40人分の豚肉を焼いて食べた。
これで神聖なモスクには、“汚れた肉”のニオイや煙がついてしまったと思われる。
もちろん、これを恥ずべき行為とみて非難する人もいる。
イスラム教徒へのヘイトであり、差別だとする市民団体が問題解決のために、国連へ電子メールで送って現状を知らせた。
中央日報の記事(2022.12.26)
豚の頭まで登場した「大邱イスラム寺院建築」を巡る葛藤…韓国市民団体、国連に「SOS」
一方、反対派の人たちは豚の死体や頭をモスクに投げつけたり、建設を支持する大学生に暴言を吐いたり、取り囲んで威圧したという。
そんな彼らの主張がこちら。
「ここは大韓民国だ。土俗信仰にもとづく豚頭の祭祀をヘイトクライムだと主張するのは話にならない」
「イスラム寺院の施主たちこそ、住民の文化と宗教を差別し嫌悪している」
韓国に、豚の頭を祀る土俗信仰があったなんて初耳学。
でもそれをモスクの目の前でしたら、イスラム教徒へのヘイト行為だ。
にもかかわらず反対派は、自分たちこそ差別や嫌悪の被害者だと主張する。
なんつーデタラメで身勝手なミラクル理論。
韓国の全国紙は、これを集団と集団の争いや苦悩を意味する「葛藤(かっとう)」と表現するが、海外メディアは違う。
たとえばこのフランスメディア「The Observers」の記事は、イスラム教に対する憎悪や差別を意味する「Islamophobia(イスラムフォビア:イスラム嫌悪)」という強い非難の言葉を使っている。(17/01/2023)
In 2021, protesters in front of the prayer site called students “terrorists” and signs calling Islam “an evil religion” were posted outside.
Islamophobia: Pig heads left outside a mosque in South Korea
モスク建設を支持するイスラム教徒の学生を「テロリスト」と呼び、イスラム教を「邪悪な宗教」と書く看板を掲げたら、世界基準ではイスラムフォビアだ。
これに加えて豚の頭を置くとかバーベキュー大会をするとか、もうこのイスラム嫌悪は擁護のしようがない。
でも、韓国では最高裁の判決さえ”無意味化”されるほど、国民感情が絶対視・最優先される傾向があるから、メディアも海外とは違って、「葛藤」と反対派住民に配慮した書き方をしている。
仏メディアには、「わたしたちは死ぬまでモスク建設に反対する(We’ll fight against the mosque construction till our last breath)」という反対派の声がある。
韓国社会では、こういう声にはなかなか手を付けられない。
でもこれは、「どっちもどっち」のDD論ではなく、イスラム教徒への嫌悪や差別で許されることではない。
でも、最高裁の判決も無視される現状だから、市民団体は国連へ助けを求めたのだろうけど。
韓国政府はこの動きを究極的に嫌がるだろうけど、それでも国民感情とは対決したくない。
日本に住んでいて、日本人をよく知るイスラム教徒からすると、こんなことが日本で起こるとは考えられないと言う。だから決定的に違う。
彼らは韓国を先進国と思っているし、ドラマや歌も大好きだ。
でもこういう現実を見ると、心の底から軽蔑するし敵意もわいてくる。
もちろん、このヘイトに反対する韓国人がいることは知っているけど、政府や市が動かないで、この状況を野放しにしていることが彼らには理解できない。
その点、日本人は礼儀正しいし親切だから、こういう乱暴なやり方はしない。
九州でイスラム教徒の土葬墓地の建設が持ち上がった時、それに反対する住民は署名といった平和的な方法で抗議した。
それを知っている彼らからすると、モスクの近くに豚の頭を置いたり、豚肉パーティーをするようなことは日本人の発想にはない。
彼らは日本に住んでいて、今までイスラムフォビアを感じたことは一度もないと言う。
韓国にいたイスラム教徒の知り合いから、公共の場所で礼拝をしていると、「韓国から出ていけ」と韓国語で言われたという話を聞いた。
日本ではビックリされたり、奇妙な目で見られることはあっても、そんなヘイトスピーチを受けたことはない。
そのムスリムは仲の良い韓国人から、まえに大勢のイスラム教徒がやってきて大騒ぎになったから、残念ながら社会にはまだ偏見や差別の意識がある。そのことは知っておいたほうがいいと言われた。
それはこのハンギョレ新聞の記事のことだろう。(2018-06-19)
済州島に来たイエメン難民500人に立ちはだかるイスラムフォビア
この記事によると、この時はネットやキリスト教会を中心に、
「テロを行う人たちを受け入れてはならない」
「イスラムは殺人を日常茶飯事のように行う集団」
「イスラムが入って皆さんの息子を殺し、娘や嫁をレイプするだろう」
「イスラム教が広がらないように、絶対に陸地に足を踏み入れさせてはならない」
といったデタラメな主張が拡散されて、ハンギョレ新聞は「典型的なイスラムフォビアだ」と非難する。
そんな話をしていると、それまで黙っていたバングラデシュ人の女性が口を開いてこう言う。
「いや、日本人の間にもイスラムフォビアはある」
自分は一度も経験していないけど、日本語の分かる友人のイスラム教徒がネットを見たら、差別的な書き込みがたくさんあってショックを受けたという。
だから、日本にもイスラム教を嫌う空気はある。
でも日本人の性格なら、モスクの近くに豚の頭を置くような乱暴なことはしない。
韓流ドラマを見ていても、日本人に比べて韓国の人たちは喜怒哀楽の感情をハッキリ表すから、同じような気持ちがあったとしてもその現れ方は違うと彼女はみる。
実際、日本でイスラム教について何かトラブルが起こると、上のような書き込みをネットでよく見るから、残念ながら日本人の間にもイスラムフォビアはある。
(日韓だけではなく、欧米社会にもあるが)
日本人の抗議の仕方は控えめで、韓国人のように直接的ではないという彼女の指摘は正しい。
今回のバングラデシュ人は触れなかったけど、日本人と韓国人には「重視するのは法か情か?」という違いもある。
「徴用」をめぐる問題で、いま過去最大級に対立している原因もこれだ。
今回のようなことが日本であったら、反対派も最高裁の判決にはしたがって反対運動はきっとあきらめる。
韓国のことは韓国人にまかせるとして、「日本人は誠実で礼儀正しい」と好印象を持っている外国人ほど、イスラムフォビアに接した時の衝撃は大きくなることは知っておこう。
集団メンタル崩壊の韓国サッカー。もうアジアの盟主でも日本のライバルでもない
「Why did you come to Japan(You は何しに日本へ?)」は失礼な質問?
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