インド人を伊勢神宮へ 五十鈴川とガンジス川の同じ/違い

 

一生に一度は伊勢神宮へ行ってみたいーー。

日本人には昔からそんな気持ちがあって、江戸時代、お伊勢参りは大人気で国民的なイベントだった。
どこの国にもそんな聖地はあるはずだ。
そして、それによって、その国の文化や価値観がみえてくる。
そう思って、知人のインド人に聞いてみると、「国民としての聖地? それは分からないな。インド人の場合、信じる宗教によって聖地はそれぞれ違うから」と、インドでよくある“多様性の壁”にぶつかる。
彼個人としては、ヒンドゥー教徒だったんで、一生に一度は行きたい聖地としてガンジス川をあげた。

 

最近、インドである家族が医者から、5歳の子どもが末期がんで治療の見込みがないと告げられ、その子をガンジス川へ連れて行き、沐浴させることにした。
彼らは神聖なガンジス川なら、末期がんでも治癒してくれると信じたから。
するとなんと、子どもの体からがん細胞が消え去った! なんてことミラクルは起こらず、その子は溺死した。

ヒンドゥー教徒とガンジス川 神聖な理由・終わらない悲劇

一般のヒンドゥー教徒も、この行動にはドン引きだとしても、「聖なるガンジス川なら奇跡が起こる」という気持ちには共感できるはず。
日本人にとっての伊勢神宮は、ヒンドゥー教徒のインド人にはきっとガンジス川だ。

ということで、これから3人のインド人を伊勢神宮へ連れて行ったときの話を書いていこうと思う。
今回は「五十鈴川編」で、続きは“To Be Continued”。

 

伊勢神宮に隣接して流れる五十鈴川

 

浜松でインド人を乗せて車で出発し、4時間ほど走って伊勢市に到着。
駐車場に車をとめて、まずは内宮に向かって五十鈴川に沿って歩きだすと、インド人たちは五十鈴川を見て「うわっ、超キレイ!」と声をあげた。
それだけじゃない。
周囲の日本人の参拝客はスタスタ通り過ぎるのに、彼らはテンションが上がって、そこで撮影大会をはじめた。
川の風景写真、それを背後にソロとグループの写真、さらにはサングラスをかけて、斜め 45度を見上げた写真を撮る。
駐車場から5分でコレだと、今日中に内宮に着けるか不安になってしまう。

「写真欲」を満たした彼らに、五十鈴川の話をした。
これは伊勢神宮にとって神聖な川で、むかし参拝者はここに入って全身の罪や穢(けが)れを祓い、心身を清めてから神宮の神様に近づいた。
それを聞いたインド人は、「それはガンガー(ガンジス川)と同じだ! ヒンドゥー教徒も同じ理由でガンジス川で沐浴をするんだよ!」とやや興奮気味に言う。
確かにそれは正しいけれど、間違いもある。

ガンジス川も五十鈴川も、聖なる水の力で心身を浄化するという点では同じだ。
でも、ガンジス川での沐浴はそれ自体が目的である一方、五十鈴川の場合は手段にすぎない。
ガンジス川は女神ガンガーとして神聖化されていて、川そのものがご神体だから、ヒンドゥー教徒はその水に触れて祈り、罪や穢れを洗い流す。それで終了。
五十鈴川では、その水で心身を清めることで、神様の前に立つことができる。つまり、神に近づくためのプロセスのひとつでしかない。
五十鈴川で沐浴をして罪と穢れを洗い流しても、神社へ行かなかったら意味がない。
それだけ済ませて神宮から出て行こうとしたら、きっと「ちょっとちょっとー」と神々もあわててツッコむ。

キリスト教では、ヨハネがヨルダン川でイエス・キリストによって洗礼を授けられ、これが現在、世界中のキリスト教徒がしている洗礼の原型になった。
川の流れで心身をキレイにするという発想は、人類共通のものだと思う。

 

御手洗場

 

むかし、参拝客は内宮の中にある御手洗場で全身を清めていた。
いまでも、ここで手と口を清める人が多い。
神話によると、垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神を現在の伊勢の地に祀ったとされている。
伊勢神宮の歴史はこの時はじまった。
倭姫命が五十鈴川で衣服のすそを濯(すす)いだという話があって、五十鈴川は「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれる。

 

倭姫命

 

さらに歩くと、インド人たちは五十鈴川へ降りる階段を見つけ、「これはまるで、ガンガーのガートみたいだ」と驚いた顔をする。
ガンジス川には、ガートと呼ばれる階段(みたいな構造物)がたくさんあって、ヒンドゥー教徒はそこから川に入って沐浴をする。

 

 

ガンジス川のガート
五十鈴川でこの姿になったら、たぶん通報される。

 

五十鈴川は、(時期や天気にもよるが)清流と言っていいほど透明度が高い。
しかし、ガンジス川は、日本人が見たら、ためらいなく「汚水ですね」と言えるほど汚い。
ガンジス川には火葬場があって、そこで死体を焼いて灰を川へ流すことが、汚染原因の一因になっている。
ヒンドゥー教徒はそうすることで、死者の位魂は天国へ行くことができると信じているから、これは終わることがない。
この点が五十鈴川とは決定的に違う。
日本人はこの川をそこまで神聖視していないから、「末期がんでも治る」なんて発想は出てこない。

 

火葬場から炎が見える。
この後、魂は永遠に解放される。

 

ガンジス川のガートで沐浴するヒンドゥー教徒のみなさん

 

 

宗教 「目次」

日本 「目次」

インド 「目次」

日本の特徴 民族宗教(神道)が世界宗教(仏教)と仲良し!

ヒンドゥー教の軍神インドラ:インド人と日本人の見方

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。