日本人の平和好き なんで「長崎にガンディー」なのか?

 

アメリカ人と車でドライブしていると、こんな看板を見つけた。
「ひらがなが無くてまったく読めない!」と絶望する彼女に意味を教えると、「いやそれ、なんかおかしくない?」と首をひねられた。

 

 

「核兵器を無くして平和を求めるって、何それ? アメリカへのあてつけ?」と怒ることはなかったが、

「この都市は核兵器の被害にあったの?」
「そんなことはない。」
「そう。この都市と核兵器の関係は?」
「特にない。」

と彼女はナットクがいかない様子。
そのアメリカ人の感覚としては、地方自治体なら地域に合わせたスローガン、たとえば「住民の豊かな生活を目指します!」みたいなものならいいけれど、「核兵器の廃絶」は国家が掲げるようなスローガンだから、違和感を感じるらしい。

この都市はその宣言に基づいて、具体的にどんなことをしているのか?
そもそも、「核廃絶」は地方都市が取り組むべき仕事なのか?

そんな質問をされて困った。
日本人は“平和なムード”が好きだから、この看板を立てた側も地域住民も、特に疑問を感じていないはず。
日本のほかの都市でも、こんなふうに核廃絶アピールして、平和の雰囲気を高めているのを見たことがある。
でも、そんな空気の外からきた外国人が見たら、「それとここにはどんな関係が?」と疑問を感じるだろうし、日本人もそうツッコまれると答えにくい。
長崎市では最近、市民でさえ不自然に感じるコトがあったらしい。

 

長崎市にある平和公園は、日本人だけでなくて、人類にとってメモリアルな場所。
1945年8月9日、空で何かが光り、その直後、とてつもなく強い熱と爆風が長崎の人たちを襲う。
人類の歴史では2度めとなる原爆投下によって、街は壊滅し、7万人以上が亡くなった。
被害者は強烈な熱によって体内まで焼けただれ、「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいったという。
この悲劇から、平和公園には「平和の泉」がつくられた。
そこには、当時、のどが渇いてたまらず、「とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」という少女の言葉が刻まれている。

平和公園では、核兵器の恐ろしさを伝え、平和の尊さを訴えているーー。
知人のベトナム人がそれを知って感動し、平和公園へ行ったのだけど、平和祈念像を見て違和感をおぼえたと言う。
その像は台座に座り、右手で空を指さして左手を横に伸ばし、それぞれ原爆と平和を表している。
ベトナム人にはその像がギリシャ彫刻のように見えたから、「なんで西洋人がモデルに?」と不意義に感じた。

実際には、この像はすべての人種を超えた存在で、仏や神を象徴しているらしい。
でも、同じような疑問を持つ日本人もいて、『ヤフー知恵袋』には「長崎の平和祈念像は、なぜ外国人の様な顔で、外国人のような体つきをしているのですか。」という質問がある。
この像が建てられたころから、「西洋科学の犠牲者をいたむ像が西洋の青年の姿とは、いかがなものか」といった批判があったという。

そんな「日本の聖地」でいま物議をかもしているのが、ガンディーの像。

 

ガンディーが描かれたインド紙幣

 

「インド独立の父」として尊敬されるガンジーは、インドでは紙幣のデザインに使われている。
そんなインドから長崎市へ、平和公園にガンディーの像を設置したいというリクエストがきた。
市がそれを受け入れて話は進み、今月にはその像が登場する予定。
ただ、平和公園の中には個人の像を置かないという“ルール”があったから、長崎市は多くの観光客が訪れる中島川沿いに、その像を設置することにした。

 

非暴力・不服従をかかげ、イギリスに対抗したガンディーは世界史的な人物で、彼の誕生日である10月2日は、国連によって「国際非暴力デー」とされている。
そんな平和主義者でもガマンできないような激しい怒りを、日本のネットでは「ガンジーが助走つけて殴るレベル」と表現する。
ガンディーは平和を象徴する人でもあるから、長崎市は平和公園の近くに像を設置しても、問題はないと判断したと思われる。

しかし、彼はあくまでインド独立の中心人物で、歴史的に長崎とは1ミリも関係がない。
そんなことで、現地ではこの像の設置をめぐって、波紋が広がっているという。
長崎の市民は、

「なんでガンディーなの?」
「蝶々夫人(イタリア人が作曲した、長崎を舞台とするオペラ)なら分かるけど、なんで長崎にガンディーが…」

と首をかしげる。

一方、ネット民にとっては他人ごとだ。

・ダルシムで十分
・ガンジーくらい良いだろう
ガーシーなら問題だろうけど
・サイババしにとけば満場一致だったのに
・代わりにタージマハルに岸田像を設置させろ
・長崎市「実はガンジーではなく鑑真です…たぶん長崎に漂着したんです…」

 

確かに、ガンディーは人生で一度も長崎に来たことがない。
でも、彼は非暴力や平和のシンボルじゃないか。
なら、「平和都市」の長崎市に像を置いてもいいか。

そんな感じで、平和なムードが高まる予感がしたから、長崎はこの話を受け入れたのでは?
日本人は平和をアピールすることが好きだから。
「江戸の敵を長崎で討つ」という、無関係なものを強引に結びつけるようなことわざもあるし。

しかし、外国人が長崎でガンディーの像を見たら、不思議に思って、おそらく「この都市と彼にはどんな関係があるの?」と質問してくる。
それに対して、日本人がわかりやすく説明をするのはむずかしい。
長崎市民だってよく分からないのだから。

 

 

インド 目次 ①

インド 目次 ②

インド 目次 ③

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日本よ、これが植民地支配だ 豊かなインドで起きた悲劇

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。