先月、アマゾンのジャングルに小型飛行機が墜落して、残念ながら全員死亡かと思われたところ、1歳から13歳までの4人の子供が密林を40日間ほど生き抜いて、コロンビア軍に救助された。
この奇跡に世界中が注目した。
子供たちが生存できた理由の一つが、豊かなジャングルではあちこちにフルーツが実っていて、食べ物が手に入りやすかったこと。
南インドの環境もそれと似ている。
知人のインド人は甘いものが食べたくなったら、自宅の庭にあるマンゴーやバナナをもぎ取って食べて、ポイっとそこらにタネを捨てる。
すると何の世話をしなくても木が育ってマンゴーが実るから、欲しくなったらそれを食べてタネを捨てれば、また地面から芽が出てきて…という果物の無限ループが南インドにはあるらしい。
南インド出身の2人のインド人からそんな話を聞いた。
そんな魔法のような土地なら、飢饉(ききん)なんて災害は無かったのでは?
日本の歴史は飢えとの戦いの連続で、これが8世紀に奈良の大仏を建立する理由になった。
日本最悪レベルのものが18世紀に起きた「天明の大飢饉」で、約2万人が餓死したとされるこの飢饉では、人が死ぬとその肉を食べて生き抜く有り様だったと杉田玄白が書いているし、ある藩の記録には「道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」とある。
果物天国の南インドなら、こんな悲惨なことは起こらないだろう。
そう思って聞くと、豊かな自然があって食べ物は何とか手に入るから、南インドで貧困はあっても飢饉が発生したという話は2人とも聞いたことない。
でも、イギリス人によって起こされた飢饉ならあるという。
西洋列強が各地を植民地にしながら近づいてきた19世紀、その侵略の足音が聞こえていた日本では福沢諭吉がこんな不安を感じていた。
「自分は何とかして禍いを避けるとしても、行く末の永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない」
日本が主権を奪われて外国の植民地になれば、国民は奴隷になってしまう。
幕末や明治初期の日本人はこんな危機感を共通して持っていたはず。
だから日本人は江戸時代を終わらせて、西洋諸国に学んで日本を改革し、短期間で近代国家に生まれ変わらせることに成功した。
アジア初の近代国家になった日本は独立を守り続けて、第一次世界大戦後にはアメリカやイギリスと並ぶ「世界五大国」の一角を占めるようになる。
インドはその反対で19世紀後半に、全土がイギリスの完全な植民地となった。
すると南インドでは大規模な飢饉が発生して約6000万人が飢餓状態に苦しみ、560~960万人が死んだという。
その時のようすがこれだ。
この飢饉が発生した原因には、天候不良で作物が不作だったことがあげられる。
でも、それは昔からあったことで、この飢饉(Famine)で虐殺レベルに被害が拡大したことには人為的な理由が大きい。
民衆が飢えで苦しんでいるのに現地のイギリス植民地政府は穀物の輸出を続けていて、この飢饉の際にはインド総督が過去最高の32万トンの小麦をイギリスへ運んだという。
The regular export of grain by the colonial government continued; during the famine, the viceroy, Lord Robert Bulwer-Lytton, oversaw the export to England of a record 6.4 million hundredweight (320,000 tons) of wheat, which made the region more vulnerable.
今も昔も優先順位はその価値によってきまる。
ということは当時のイギリス人にとって、インド人の命は無価値に等しかったことになる。
そんなことで上の英語版ウィキベテアの説明では、この惨事は「a famine in India under Crown rule」(イギリスの王冠の下での飢饉)と表現されている。
このレベルになると、自然に成長するマンゴーやバナナではとても追いつかない。
300万人が餓死したという1943年のベンガル飢饉も、 イギリスによって「人為的」に引き起こされたと考えられている。
AFP(2010年9月11日 )
チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発
「インド人は嫌いだ。野蛮な地域に住む汚らわしい人間たちだ」と言っていたチャーチル首相は人種差別的な思想の持ち主で、インドで起きた飢饉については「ウサギのように繁殖するからだ」とインド人のせいにする。
あまりの暴言に「首相とヒトラーの考え方に大きな違いがあるとは思えない」と面と向かって言った側近もいたほどだ。
そんなチャーチルがインドへの食糧支援を拒否し続けたことで、数百万の人が餓死したり衰弱死したりしたという。
上の写真は1876~78年の南インドで起きた飢饉のもの。
国内には餓死と絶望がまん延していたのに、港にはイギリスへの輸出用の穀物が大量に積み上げられていた(下の画)。
植民地にされるとこうなる。
自分の一命に掛けても、子供たちを外国人の奴隷にしたくないと福沢諭吉が言った理由がよく分かる。
この大飢饉はイギリス人の食料分配のさじ加減によって起きたものから、2人のインド人が感じる屈辱や怒りは相当なもの。
インドの歴史を全体的にみれば飢饉は何度も起きていたが、大規模なものはイギリス時代によく発生したというから、やっぱりこれは優先順位を一方的に判断されたことによる人災だ。
日本の歴史で飢饉は何度もあったけど、外国人に主権を奪われて支配されたことがないから、こうした飢饉は一度もなかった。
2人は明治維新に興味があってその時代の歴史を学んだから、日本が欧米列強の植民地にならなかったことは知っていた。
でも歴史上、一度も異民族の支配を受けなかったというのは初耳でビックリする。
日本の皇室は古代から一度も絶えたことがなく、「世界最古の王朝」(Oldest ruling house)というギネス記録があるのだ。
イギリスやムガール帝国などの支配を受けたインドでは考えられない歴史だ。
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