1631年のきょう6月17日、インドのムガル帝国で皇妃ムムターズ・マハルが亡くなった。
愛する妻を失った皇帝シャー・ジャハーンは悲しみに暮れ、2年間音楽を聴いたり、豪華な服を着たりすることをやめたという。
そして皇帝は彼女のために、2万人以上の労働者を動かし、20年以上かけて巨大な墓を建設した。
それが、世界で最も美しい墓廟と言われるタージ・マハル。
まぁ、その墓ひとつを造るために、何人の労働者の墓が必要になったかは知らないが。
ちなみに、マハルは「宮殿」の意味で、タージ・マハルで「宮殿の王冠(または王冠宮殿)」といった意味になる。
ムムターズ・マハル
水の流れるこの庭園は、イスラム教における「ジャンナ(天国)」をイメージしている。
イスラム教は乾燥した砂漠地帯で信仰されていたから、イスラム教徒は水と緑が多いところを楽園と考えていたのだ。
この上品で優雅なタージ・マハルが、かつて、日本のせいでこんなブサイクな姿になったことをご存知だろうか。
もちろん、これは修復工事をしているわけじゃない。
太平洋戦争中の1942年、政府は日本空軍による爆撃を想定し、建物を足場を組んで覆い、偽装したという。
In 1942, the government erected scaffolding to disguise the building in anticipation of air attacks by the Japanese Air Force.
タージ・マハルのある都市・アグラはインドの西部にあって、とてもじゃないが、日本軍が爆撃機を飛ばして攻撃できるとは思えない。その目的も見えない。
山本五十六と東條英機がそれを聞いたら、2人そろって「ちょっと何言ってるか分からない」と不思議そうな顔をする予感。
当時のインドはイギリスの植民地だったから、この「the government 」とはイギリス政府を指すはずだ。
なぜイギリスは、日本軍がタージ・マハルを攻撃することを想定し、足場で覆ったのか?
1941年12月に日本軍が真珠湾攻撃とマレー上陸作戦をおこない、太平洋戦争はじまった。
日本軍はその後も敵軍を次々と撃破し、翌42年の春ごろには、フィリピン、インドネシア、ビルマなど東南アジアの広い範囲を占領した。
このころの日本軍には、すさまじい勢いがあった。
英首相のチャーチルは、イギリス軍が誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を日本軍に撃沈されたと聞いた時、「戦争全体でその報告以上に私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と感じたという。
当時、シンガポールにいたイギリス軍は兵力で日本軍を上回り、難攻不落と言われた要塞にいたにもかかわらず、1942年に日本軍の攻撃を受けると、ほぼ1週間(2月8日 ~ 15日)で敗北し、大量の将兵が降伏した。(シンガポールの戦い)
その報告を受けたチャーチルは、「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」と表現する。
戦争がはじまったころの日本軍には、手のつけられないような強さがあったから、イギリスは心の底から恐怖を感じていた。それで、「タージ・マハルが爆撃されるかもしれない!」という妄想レベルの話を現実の危機と感じるようになり、足場を組んで姿を隠したーー。
きっとそういうことだったと思う。
まったく意味のない足場だよ。
20世紀後半になると、このインドの至宝は大気汚染の影響を受けて変色してしまった。
敵は日本軍ではなく、インド人による環境汚染だった模様。
マレー作戦で日本軍勝利:イギリス人とアジア人が受けた“衝撃”
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