はじめの一言
「日本の素朴な民衆は、全世界でもっとも友好的で上品な民衆の一つだ。彼らに接して受ける印象は、けっして表面的な上品さではなく心からなる親切の表れである」
(コリン・ロス 日中戦争見聞記)
今回の内容
・オランダとベルギーの誕生
・人の違いって、言葉や人種や国籍よりも宗教の違いでしょ
・オランダとベルギーの誕生
まずはオランダってこんな国。
オランダ
早くから新教(プロテスタント)信奉者が多かった。オランダを支配する旧教(カトリック)国スペインは重税を課し、宗教的弾圧を避けるため、1581年、オランダは独立を宣言。
(日本史用語集 山川出版)
この「宗教的弾圧」というのは、スペインがオランダ(ネーデルランド)にしたこと。
カトリックのスペインが、プロテスタントのオランダにこう言う。
「プロテスタントをやめて、カトリックになれ!」と改宗を要求してきた。
要求というか、上から命令してきた。
当然、宗教を変えるように命じられたオランダ(ネーデルランド)のプロテスタント(新教徒)たちはブチ切れる。
そして「もうスペインと一緒にはいられない!」と独立戦争を決意する。
オランダ独立戦争
ネーデルランドの新教徒を主体とする、スペインへの抵抗運動。カトリック強制などフェリペ2世の圧政に対し戦いが勃発
(世界史用語集 山川出版)
国が国家権力でもって、宗教を変えることを強要してくる。
武力をちらつかせて改宗を迫られたら、オランダの新教徒としてはスペインとは「さよなら」したくなるのも当然。
違う価値観を押し付けてくる人間と共生できるわけがない。
ちなみにこのフェリペ2世の名前にちなんでつけられた国がフィリピン。
でも、ネーデルランドの中にはいろいろな考え方をする人たちがいた、
決して一枚岩ではなかった。
このオランダ独立戦争の最中に、ネーデルランドのカトリック教徒が多かった南の10州は途中で戦争をやめてしまった。
戦争をやめたこの10州は、またスペインの支配下に入ってしまった。
これが現在のベルギーになる。
南部諸州はスペインの支配下に留まった。このスペイン領南ネーデルランドが現在のベルギー王国の起源である。
(ウィキペディア)
北の7州からしてみたら、戦いを途中で離脱されたのだから、「裏切られた!」となるだろうね。
でも、そんなことを言っても仕方がない。
「オレたちは最後までスペインと戦うぞ!」と固く誓って、北部7州が結んだのが「ユトレスト同盟」になる。
これは世界史では大事な同盟ですよ。
そして北部7州はスペインとの独立戦争に勝ち、1581年に独立宣言を出した。
この北部7州がほぼ現在のオランダになる。
大事なことだから、もう一度整理しよう。
オランダ・ベルギーも、元はスペインの一部(ネーデルランド)だった。
「おまえらも、カトリックになれ!」とフェリペ2世から改宗を命じられてキレた。そして、独立戦争が始まる。
この戦争のさなかに、「やっぱり、スペインの元に戻るわ」と途中でやめた南部10州(カトリック多し)が現在のベルギーになっている。
そして「あきらめません、勝つまでは」と、最後まで戦いを続けた北部10州が、現在のオランダになっている。
蛇足
個人的に、今までベルギーとオランダの違いってよく分からなかった。
けれど、外務省のHPにある「各国基本データ」を見ると国内の宗教の様子がまったく違った。
ベルギーは、「キリスト教(カトリック)が大勢」とだけ書いている。
それに対して、オランダにはいろいろな宗教がある。
こんな具合。
「キリスト教(カトリック24.4%、プロテスタント15.8%)、イスラム教(4.9%)、ヒンズー教(0.6%)、仏教(0.5%)、無宗教・その他(53.8%)」
・人の違いって、言葉や人種や国籍よりも宗教の違いでしょ
前回の記事でカトリックとプロテスタントの争いを書いていたときに、書こうとしてやめたことがある。
でも世界の歴史を知る上で、「三十年戦争」はとても大事なことだから、やっぱり書いておく。
三十年戦争
1616~48
ドイツを戦場とし、旧教を強制されたベーメンの反乱から始まり、神聖ローマ帝国全体の新旧両派諸侯の戦いへと拡大した。
スペインが旧教徒側を援助し、デンマークやスウェーデンが新教側にたって参戦するなど国際戦争に発展し、旧教国フランスが新教徒側にたって参戦した(世界史用語集 山川出版)
この当時のヨーロッパでは、宗教の違いから起こる争いがたくさんあった。
1572年にフランスで起きた「サン・バルテルミの虐殺」では、3万人とも言われる犠牲者が出ている。
このとき、パリのセーヌ川は文字どおり血で赤く染められたという。
このドイツで起きた「三十年戦争」では、宗教の争いとしては最大のものだろう。
当時のドイツの人口の3分の2が殺されたという説もある。
三十年戦争について、上の説明を一度読んだだけで分かる人はすごいね。
ドイツ国内の宗教対立に外国が加わって、もうドイツ国内はめちゃくちゃになった。
ドイツでカトリック教徒が戦ったと聞けば、他のカトリックの国が援軍を送って共に戦った。
そしてプロテスタントが攻撃を受けたと聞けば、他のプロテスタントの国が援軍を送ってプロテスタントと一緒に戦った。
こうして、「ベーメンの反乱」という地方での争いが、ヨーロッパを二分するような国際戦争になってしまった。
オランダ独立戦争も三十年戦争も、一番大きな原因は同じ。
「自分が信じたい宗教を信仰したいんだ!改宗を命じるな!」という気持ちから生まれている。
つまり、宗教の違いから小さな争いや大きな戦争が発生した。
今の世界に住む人間には、いろんな面で違いがある。
言語・人種・宗教などなど。
でも一番大きな違いは、宗教による違いだと思う。
世界的に有名な国際政治学者の「サミュエル・ハンチントン」もこう書いている。
文明を定義するあらゆる客観的な要素のなかで最も重要なのは通常、アテナイ人が強調したように、宗教である。
人類の歴史における主要な文明は世界の主要な宗教とかなり密接に結びついている。
そして、民族性と言語が共通していても宗教がちがう人びとはたがいに殺しあう場合があり、レバノンや旧ユーゴスラヴィアやインド亜大陸で起こったことはそのあらわれである
(文明の衝突 サミュエル・ハンチントン)
海外旅行をしていても、このことはよく感じる。
「人と人」・「国と国」の違いは、国境じゃなくて宗教での違いが一番大きい。
タイと隣のミャンマーは同じ仏教国だから、あまり違いは感じない。
けど、ミャンマーと隣のインド(ヒンドゥー教)にあると、まったく別の国になる。
タイとイスラーム教徒が多いマレーシアも同じく、国の様子がガラリと変わる。
「人はみな同じ」という考えには、基本的に賛成。
だけど、「同じ」には限度はある。
思想や考え方は、宗教によって全然違うから。
「人はみな同じ」ということを重視しすぎると、違いが見えなくなってしまうことがある。
違いが分からないというのは、結局、相手を理解していないということにもなってしまう。
自分と相手の違いを理解して、その違いを尊重することで、国人とのコミュニケーションはうまくいくと思う。
最初から、「相手は自分とは価値観が違う人間だ」と考えておけば、自分の予想と違ったことがあってもがっかりしないですむ。
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