悲しみの歴史を刻んだソウルの徳寿宮、韓国旅行をさらに深く

 

韓国に興味がある人に質問です。

ソウルにある「悲しみを刻(きざ)んだ王宮」って、どこだと思いますか?

 

 

答は、「徳寿宮 (トクスグン)」。

韓国の旅行サイト「KONEST」では、徳寿宮をこう紹介している。

「多くの建物が破壊されるという、悲しい近代歴史を刻み込んだ王宮」

くわしくは、徳寿宮の歴史を見てください。

この記事では、韓国史の悲しみを象徴する人物である「高宗(コジョン)」をとり上げます。

 

高宗(1852ー1919)は、大韓帝国の皇帝になった人。
朝鮮は1897年に「大韓帝国」となり、高宗は「朝鮮王」から「皇帝」になった。

でも、1907年のハーグ密使事件で日本を怒らせてしまう。
その結果、高宗は退位した。

皇帝をやめさせられた高宗は、失意のまま1919年1月21日この世を去る。

 

徳寿宮 (トクスグン)の正門である「大漢門」。
ここでは、朝鮮時代におこなわれていた兵士たちの儀式が再現されている。

 

 

現在の大漢門と1910年代の大漢門

 

 

いまから約100年前の1919年、ここから高宗の遺体が梓宮(しきゅう)に入れられて運び出された。

し‐きゅう【×梓宮】

《昔、中国で、梓(あずさ)の木で作ったところから》天子の棺。また、天子の陵墓。

デジタル大辞泉の解説

1919年1月21日に亡くなった高宗は、3月3日に徳寿宮 (トクスグン)の門から外にでた。

その様子は東亜日報の記事にある。

一枚一枚の写真に亡国の恨みが…「高宗皇帝の最後の道」展

 

白い服をきた朝鮮人のまわりには、日本の軍人が立ちならんでいる。
東亜日報の記事は、こうかく。

死ぬその日まで、亡国の恨みを飲み込まなければならなかった高宗(コジョン)の悲劇が、この一枚の白黒写真から静かに読み取れる。別の写真では、朝鮮ではなく、日本の伝統様式で行われた葬儀の様子も盛り込まれている。

高宗は1907年に皇帝を退位させられた。
そして1910年には、韓国併合によって国を失った。

この記事にある「亡国の恨み」とは、大韓帝国が日本の植民地になったことをいう。

そのことは知っていたけど、高宗の葬儀が「日本の伝統様式で行われた」というのは初耳だった。
大韓帝国がなくなったあと、高宗が日本の王公族になったからだろう。

 

 

韓国について書いてある本によっては、「徳寿宮 (トクスグン)」を「慶運宮(キョンウングン)」と書いてあることもある。

どっちも正解。

高宗がいたころ、この王宮は「慶運宮(キョンウングン)」とよばれていた。

でも次の皇帝「純宗(スンジョン)」が、慶運宮の名を「徳寿宮(トクスグン)」に変えている。
純宗が父親である高宗の長寿を願って、徳寿宮へと改名した。
このときから今まで、この王宮は「徳寿宮」とよばれている。

だから厳密にいうと、高宗が正門の大韓門から運び出されたときは、徳寿宮ではなくて慶運宮とよばれていた。

 

高宗と息子の純宗(ウィキペディア)

 

「徳寿宮 (トクスグン)」は、ソウルの中心部にあって観光がしやすい。
日本の旅行者には、定番の観光スポットになっている。

韓国の旅行サイト「ソウルナビ」は、こんな感じで紹介している。

長寿を願う意味を名に持つ、大韓帝国の波乱万丈な歴史の中心舞台となった王宮!

徳寿宮

ソウルには王宮がたくさんある。
でも、日本ともっとも関係が深い王宮といえば徳寿宮になる。

韓国旅行でこの王宮に行く予定があるなら、日本との歴史を調べておくといいと思う。
どこの国でもおなじだけど、遺跡の背景を知っておくとさらに深い旅行ができる。

 

ちなみに、「景福宮」は韓国だけではなくて中国(紫禁城)にもある。

 

「景福宮といえばソウル」というイメージがあった人には、「なんで中国に景福宮があるんだ?」となるかもしれない。

「景福宮といえば中国」というイメージがあった人には、「なんで韓国に景福宮があるんだ?」となるかもしれない。
まあ、こっちの人はほとんどいないと思うけど。

「景福宮」に興味があったら調べてみよう。
*中国の歴史に興味がある人は、上の「珍妃井」のことも知っておこう。

中国三大悪女「西太后」というヤバい女と関羽の関係

 

よかったら、こちらもどうぞ。

景福宮の日本語ガイドさん、王宮を焼いたのは日本じゃないです。

ホテルのインド人スタッフから見た、日本人と韓国人の違い

韓国を知りましょ! 「韓国カテゴリー」 目次①

日本を知ろう! 「日本」カテゴリー 目次①

外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。