はじめの一言
「城内でトラやヒョウが撃てると自慢できる首都はたしかにソウルをおいてはめったにない!(イザベラ・バード 明治時代)」
「朝鮮紀行 講談社学術文庫」
今回の内容
・朝鮮時代、こんなにお金がなくなりました。
・ガイドさん、事実を伝えてください!
・朝鮮時代、こんなにお金がなくなりました。
前の記事で、「韓国人のため息」を紹介した。
16世紀に朝鮮陶芸の技術が日本に伝わった。
それが有田焼となって、現在では世界で高く評価されている。
それを韓国人が「恨めしく思っている」という。
韓国の大手新聞紙「中央日報」にこんなコラム(2013年12月20日)がある。
一方で、こういう思いが浮かんだ。
壬辰倭乱当時に日本に連行されなかった陶工が朝鮮の地にはるかに多くいたはずだが、なぜ朝鮮の陶磁器産業は大きく発展せず世界的な名声を得ることもできなかったのか、子孫にきちんと伝授されなかったのか、先祖を恨めしく思ったりもした。
切ない質問を投じる。
当時朝鮮に残った数多くの陶工のうち、私たちが記憶する人は果たして一人でもいるだろうか。
「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」というのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(16世紀)の韓国での言い方。
今の韓国で、豊臣秀吉は本当に嫌われている。
今だけではなくて、むかしから韓国の人たちは秀吉を憎んでいた。
イザベラ・バードというイギリス人女性の旅行記にそのことがかいてある。
これが1890年代の朝鮮のこと。
三世紀にわたる〔豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の〕憎悪を抱いている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きをしている
(朝鮮紀行 講談社学術文庫)
19世紀末になっても秀吉の記憶が朝鮮人には鮮明に残っていて、人びとはそれによって「反日」になっている。
300年もの間、朝鮮出兵のときの恨みを人びとが持ち続けていたことには正直、驚いた。
話を先ほどのコラムに戻す。
この韓国人の記者は「先祖を恨めしく思ったりもした」と、ご先祖様に恨み言をいっている。
ても先祖にしみたら、「だってお金がなかったから、仕方ないだろ・・・」と答えるかもしれない。
韓国の高校の歴史教科書によると、朝鮮は16世紀以後、このような状態になっていた。
「政府の財政事情も悪化し朝鮮後期には官営手工業を維持することさえ難しくなっていた。
(韓国の歴史 明石書店)」
この当時の朝鮮は、どれだけお金がなかったか?
ソウルの景福宮という王宮に行ったときに、韓国人の日本語ガイドさんからこんな話を聞いたことがある。
豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んできたときに、王宮だった景福宮が燃やされてしまいました。
王様がソウルに戻って来ても、景福宮を立て直すことができませんでした。
もう国には、それだけのお金もなかったんです。
ですから、王宮は焼け跡のままで放置されていました。
このことは、KONEST(韓国の旅行情報サイト)にも書いてある。
景福宮が正宮であったのは朝鮮王朝500年の歴史の中でも200年ほど。
豊臣秀吉が朝鮮半島を侵攻した文禄・慶長の役(1592~1598年。韓国では壬辰倭乱(イムジンウェラン)と呼ばれる) によって全焼してしまったからです。
その後、約270年間も廃墟として放置されていましたが、1867年、高宗(コジョン)の時代に再建されました。
でもこれは、このときに王が住んでいた王宮でも特に問題がなかったから、「多額のお金を出して立て直す必要もない」と判断したらしい。
・ガイドさん、事実を伝えてください!
でも、先ほどの景福宮のガイドさんの話もこのKONESTの説明も、内容が正しくて安心した。
なんてちょっと上から目線で言って失礼!
というのは、景福宮の別の日本語ガイドさんから「攻め込んできた日本人が景福宮を焼いてしまった」と説明していたのを聞いたことがあるから。
それは10年ぐらい前のこと。
ボクはそのとき韓国の歴史をほとんど知らなかったから、この説明をそのまま信じてしまった。
先ほどの「KONEST」の説明であった「韓国では壬辰倭乱(イムジンウェラン)と呼ばれる) によって全焼してしまったからです」というのは正しい。
でも、このガイドさんの説明はまちがっている。
景福宮を焼いたのは、日本人ではなくて朝鮮の人びとだから。
朝鮮の宣祖王は国民と見捨て王宮を放り出して逃亡したのである。
そこでかねてから王の暴政に悩まされていた朝鮮民衆はその無責任さに激怒し、王宮に乱入し略奪をした後に放火したのだ。
(中略)朝鮮の非人道的な身分差別を管理する戸籍の保管所だ。いわば悪政の象徴であり、だからこそ真っ先に狙われたのである。(逆説のアジア史紀行 井沢元彦)
このことは、「朝鮮王朝実録」という朝鮮の歴史書に書いてある。
「日本人が景福宮を焼いた」ということを信じていたのは、ボクだけではなかった。
韓国で会った日本人旅行者も、その話を信じていた。
「日本人が景福宮を焼いた」なんて思っている人が、今でもけっこういるんじゃないかも?
それで、今回こんな記事を書いてみた。
ちなみに、「朝鮮の宣祖王は国民と見捨て王宮を放り出して逃亡したのである」というのは、韓国人が書いた本からも確認できる。
国王およびかれを取り巻く文臣たちは、民衆を置き去りにして真っ先に明との国境の義州に逃れ、ひたすら明の救援を要請した。
(朝鮮儒教の二千年 姜在彦)
「景福」とは、中国の古典「詩経」の「君子萬年 介爾景福」からとった言葉。
でも先ほどの韓国人ガイドさんが、「ウソをついていた」ということはないと思う。
ガイドさんも「日本人が焼いた」という情報を事実だと思い込んでいただけだろう。
「朝鮮人が焼いた」ということを知っていたけれど、悪意をもって「日本人が焼いた」とウソをついていたわけではないと思う。
人によって、日本や韓国に好き嫌いの気持ちはあるだろうけど、事実はすべての人にとって事実で変わらないはず。
ガイドなら事実を伝えないと。
今の景福宮のガイドさんは、どんな説明をしているのだろう?
今回の復習
・今回登場した朝鮮時代の王宮の名前は?
・16世紀に豊臣秀吉が朝鮮にしたことは?
答え
・景福宮
・朝鮮出兵
こちらもどうぞ。
コメントありがとうございました。
とても勉強になりました\( •̀ω•́ )/
ガイドさんでも間違っている時が
あるなんてびっくりです(;・∀・)
おはようございます。
韓国の場合、歴史教科書や新聞記事にもツッコミどころがけっこうありますね。
ガイドの間違いは昌徳宮(チャンドックン)でもありました。
ここには青い瓦が残っていますが、ガイドが「この瓦が青い理由は、瓦を固くするものが含まれているからです」とか言ってました。
おいおい、という感じですけど。
でも、旅行者にとって無料ガイドがあるのは良いことですね。
日本のせいにしとくと好都合なのよ