今回の記事は、歴史の雑学です。
シンガポールと伊能忠敬(いのうただたか)の日本地図は、同じときにできている。
だから、この2つはセットでおぼえよう!
ということです。
まずは、シンガポールの位置を確認。
マレー半島の先っちょにある。
この地図だと、長崎県のところ。
シンガポールは東京23区とほぼ同じ広さの国で首都はない。
「シンガポール」という国名をつけたのは、イギリス人のラッフルズさん。
それは1768年のこと
その後、一七八六年、イギリスがインドを統治するようになると、イギリスがこの地域でもしだいに優位に立ち、一八一九年、イギリス人のラッフルズが、かつてのシンガプラを買い取り、シンガポールSingaporeとした。
「地名の世界地図 文藝春秋」
Singaporeは、Singa(ライオン)とpore(都市)という意味で、英語にしたら「ライオン・シティ」になる。
タイのシンハービールの「シンハー」も、「ライオン」という意味。
世界的に有名な「ラッフルズホテル」は、さきほどでてきた「ラッフルズ」というイギリス人にちなんでつけられている。
トマス・スタンフォード・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles、1781年7月6日 – 1826年7月5日)はイギリスの植民地建設者、シンガポールの創設者である。
(ウィキペディア)
ラッフルズホテルの有名人。
シク教徒がこのホテルのドアマンをしているのも、イギリス時代からの伝統。
また、カクテルの「シンガポール・スリング」は、1915年にラッフルズホテルでうまれたといわれている。
太平洋戦争のとき、日本軍はイギリス軍を降伏させてシンガポールを支配していた。
これによって、シンガポールは「昭南島」とよばれるようになる。
「昭和の南の島」という意味。
そしてラッフルズホテルは、「昭南旅館」となる。
先ほどこんな文があった。
「一八一九年、イギリス人のラッフルズが、かつてのシンガプラを買い取り、シンガポールSingaporeとした」
ということで、シンガポールは1819年にできている。
そのころの日本は江戸時代の真っ最中で、「伊能忠敬(いのうただたか)」が日本地図を完成させたころだ。
寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。
「ウィキペディア」
シンガポールと伊能忠敬の地図は、ほぼ同じときに完成している。
ということで、この2つをセットでおぼえよう。
おまけ
「一七八六年、イギリスがインドを統治するようになると」
さきほどこんな文があった。
イギリスによるインド統治は1786年にはじまっている。
ラッフルズホテルのドアマンがシク教徒のインド人というのは、このことに関係している。
1786年の日本は江戸時代。
この2年後の1788年に、株仲間や印旛沼(いんばぬま)で有名な田沼意次(たぬまおきつぐ)が亡くなっている。
田沼意次といえば、学校で「ワイロ政治」を習ったかもしれない。
ちなみにヨーロッパでは、イギリスのインド統治がはじまった3年後の1789年にフランス革命が起きている。
ということで、「イギリスのインド支配・田沼意次・フランス革命」をセットでおぼえよう。
よかったら、こちらもどうぞ。
That is Singapore!SGSGSG①英語とシンガポール国を知ろう。
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