はじめに中国の古都・洛陽の様子を見てください。
さてさて、日本の文化には中国から伝わったものが多い。
それで時どきこんな記事が出てくる。
日本の茶道の起源は中国? その見方は間違っている! =中国メディア
「その見方は間違っている!」という言葉から分かるように、この記事では日本の茶道を「中国文化のコピー」とは言っていない。
日本の茶道は、仏教や神道といった宗教的な要素や「わび」という日本人の美的感覚が取り入れられたことで、日本独自の文化になっていると書いている。
でもボクが会った中国人の多くはそうではない。
「日本文化は中国文化のコピーですよ」
と言いやがる人が多かった。
たしかに日本の文化には中国由来のものが多い。
中国人がそんなことを言っても怒りはしない。
「日本人には独創性はなくても、創造性がある」と反論している。
その例が着物で、中国の漢服を日本風につくり変えて今では日本文化のひとつにしている。
他にも日本人の創造性が発揮されて生まれた日本の文化がある。
それが扇子。
今回はこの扇子という日本文化について書いていきたい。
扇子は中国から伝わった団扇が元となっている。
中国で団扇がいつごろできたかは分からない。
でも、「団扇で中国人」ときたら諸葛孔明(181~234)が頭にうかぶ。
団扇はもう、三国志の時代にはあったのだろう。
でも実際には三国の時代どころか、団扇は周(紀元前1046年ごろ – 紀元前256年)の時代にはあったらしい。
この扇は周代にはすでにあったようです。前漢の雑事を記す「西京雑記」は、長安の丁緩が七輪扇をつくり、扇風機のようにまわして涼をとる器具を発明した、と伝えるそうです。
「歳時の博物誌Ⅱ (平凡社ライブリー)」
この団扇がいつごろか日本に伝わって(奈良時代か?)、日本人がそれに変化を加えて扇子をつくり出した。
夏になると団扇でバタバタやっていたのを、折り畳み式の扇子で懐にはいるように改造したのも日本人である。平安時代から、扇子は日本から中国への重要輸出品だったのである。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
うちわ自体は古代から存在しているけど、薄い木の板を重ねたり、紙を折りたたんで作る扇は日本で発明されたものだとウィキペディアも書いてある。
平安時代後期の扇子(ウィキペディア)
「扇と扇絵 (河原書店)」によると、扇子は平安時代の初期に木簡(文字を書くための木の板)をつないでつくられたという。
ウィキペディアには「奈良時代につくられたという説もある」と書いてあるから、このへんはハッキリ分からない。
とりあえず、「奈良時代~平安時代初期にできた」ということで間違いない。
木簡も製紙法も中国から日本に伝わっている。
でもそれらを組み合わせて、「扇子」をつくり出したのは日本人の創造性による。
創造性とは組み合わせのこと。
何かと何かを組み合わせて、それまでになかったものをつくり出すこと。
今の日本人もこの意味での創造性は豊かで、いろいろなものを組み合わせて新しいものをつくり出している。
日本人の組み合わせの才能には、日本にいる外国人がよく驚いたり感心したりしている。
でもときには、「そこまで?」と引いてしまうものもあると思う。
インド人の友人は、ファミリーマートの「キーマカレーマン」が大好きだった。
そのインド人は、キーマカレーと中華まんの絶妙な組み合わせに感心していた。
キーマカレーマンが大好きだったシク教徒のインド人。
キーマカレーマンより先に、日本人はカレーとパンを組み合わせてカレーパンという新しいパンをつくり出している。
外国人から聞いて初めて知ったことだけど、メロンパンもそう。
メロンパンも日本人の発明らしい。
イギリス生まれのキットカットも、日本でイチゴや抹茶と組み合わされて日本独自のお菓子になっている。
日本人は中国を始め外国から来たものに独自の変化をつけて新しいものにつくり変えてしまう。
それが日本文化の特徴で、韓国人の呉善花さんはそれをこう書いている。
日本の生け花、お茶、庭、盆栽などについて、そのベースが中国にあったにせよ、(中略)
それらの文化は、日本の土壌のなかで高度につきつめられ、もはやコピーを脱した独自の輝きをもって自立していることを、誰もが認めるしかないからである。(ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 呉善花)
コメントを残す