はじめの一言
「私は便利に旅行できた。日本へ私をとどめた別の理由は、日本人の親切な性格である。私は誰にも恨みを感じたことはなかった。
(ノエル・ヌエット 大正時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
外国人が「日本文化」と聞いて思い浮かべるものに着物がある。
これは日本人も同じだと思う。
着物は日本文化を代表するものだ。
でもこの着物は、もとはといえば中国の服だった。
下の画像は高松塚古墳(藤原京期:694年~710年の間のもの)にある壁画。
この「飛鳥美人」たちは、歴史の教科書にもよく使われている。
この時代の着物は今の日本の着物とはかなり違う。
まだ「日本化」する前、中国の着物そのものだったのだろう。
ちなみにこの「飛鳥美人」についてはThe Japan Timesにも記事がある。
Restored mural from ancient Japanese tomb in Nara shown off to public
この中国の衣服が日本に伝わると、変化が加えられた。
日本と中国にくわしい歴史作家の陳舜臣氏がこう書いている。
日本のキモノも、中国の古制とはいうものの、そのとおりではなく、やはり日本ふうにアレンジして保存されたのだ。とくに帯などは、まったく別物になってしまっている。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
ここでいうアレンジというのが日本風に変化させたということ。
中国の服を変えて、日本の着物にした。
これが日本文化の特徴で、中国から伝わったものが長い歴史の中で、日本独自のものへと変化する。
でもこの記事で書きたいのは着物のことではない。
「紳士」という言葉の由来や意味について書いていきたい。
先ほどの文章は、日本の帯と中国の帯の違いについてこう続いている。
中国の帯は「紳」といって、前に長く垂らして結んだものである。
りっぱな帯をしめている人間が、紳士といったのだ。日本でもはじめは前に垂らしたが、しだいにうしろにまわって、現在ごらんのとおりのものと相成った。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
日本の着物の帯は後ろで結ばれている。
でも中国の着物の帯は、前で結ばれていたのだ。
たしかにさっきの「飛鳥美人」の着物は、日本風というより中国的だ。
この帯を中国語で「紳」という。
しん【紳】
昔、中国で、高位高官の人が礼装に用いた幅の広い帯。おおおび。
デジタル大辞泉の解説
この紳をすることができたのは限られた高い身分の人だけ。
中国ではそうした人を「紳士」とよんでいた。
紳士とはもともと中国の支配者階級をあらわす言葉だった。
「紳士」という中国語は「縉紳の士」という言葉を略してできている。
紳士
「縉紳(しんしん)の士」の略で、「縉」は差し挟むこと、「紳」は衣冠束帯の大帯(おおおび)の意で、官位の高い身分ある人は、礼装の際に笏(しゃく)を大帯に差し挟んだところから、貴人の称となった。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ご存じ聖徳太子(ウィキペディアから)
聖徳太子が持っている木の棒が「笏(しゃく)」。
この笏を帯にさしている人がまさに「紳士(縉紳の士)」になる。
聖徳太子はまさに支配者のひとり。
今の日本語の紳士は英語の「gentleman」のこと。
紳士と聞いて、「縉紳の士」を思い浮かべる人はいないだろう。
日本では明治時代、gentlemanの訳語に「紳士」という中国語を当てた。
1880年ごろから日本の社会で「紳士」という訳語が使われはじめ、今の平成にいたっている。
イギリスでのgentlemanとは、もとはイギリス社会の支配者層の人間のことをさしていた。
明治時代の日本人がこのgentlemanという言葉にもっともふさわしい訳語をさがしたところ、「紳士(縉紳の士)」という言葉を見つけたのだろう。
gentlemanも紳士も「社会の支配者」という意味では同じ。
今の日本語の紳士には、「上品で礼儀正しく身だしなみがいい」といったイメージがあるけど、これは後の時代についたものだろう。
明治初年にはこの言葉はヨーロッパでも特定の身分層をさす概念から,粗野な振舞いのない穏やかで洗練されたマナーの,比較的上層の士を意味する概念になっていた
世界大百科事典内のgentlemanの言及
日本とイギリスの大きさ。
これは奈良の東大寺にある四天王のひとり「広目天」。
広目天の腹から下にたれ下がっているものも、「紳」の一種かもしれない。
日本の四天王像の姿は、中国の唐の時代の武将の姿がもとになっている。
これは日本の甲冑ではない。
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