【日本の饅頭の歴史】始まりは日本人になった中国人・林浄因

 

今回はクイズから始めます。

ラーメン、饅頭(まんじゅう)、餃子の3つは中国から伝わった食べもの。
ではこの3つの中で、もっとも早く日本に伝わったものはどれでしょう?

 

 

答えは饅頭。
これは14世紀の室町時代に伝わった。

 

その次がラーメン。
これは江戸時代。
新横浜ラーメン博物館のホームページには、日本にラーメンが誕生したのは1665年とある。

1665年:
水戸光圀が、日本人として初めて中華麺を食べる。儒学者朱舜水が、光圀の接待に対して自分の国の汁そばをふるまった。ただし、この中華麺が広く庶民にまで広まる事はなかった。

日本のラーメンの歴史

日本初のラーメン店「来々軒」が浅草にオープンしたのが1910年(明治43年)。
庶民に広まったのはこのころ。

 

そして一番新しい食べものは餃子だ。
日本で餃子が一般的に食べられるようになったのは昭和初期、100年ほど前のことだから、日本ではそれほど歴史があるわけではない。

さて今回は、この3つの中では最古の食べ物、日本での饅頭の始まりの歴史について書いていきたい。
これは日中友好の、感動の物語でもあったのだ。
というほどのことではないけれど、室町時代の日本人と中国人の交流がわかる。

 

中国で饅頭が生まれた話はまえに記事で書いた。
簡単に言うとこんな感じだ。

三国志で有名な諸葛孔明こうめいが中国南部に行ったとき(4世紀、日本だと弥生時代)、川が氾濫はんらんしていてため、孔明はそれ以上前に進むことができなかった。
そのとき、「こういうときは生けにえが必要です」と地元の人たちが言う。
当時この地方には、荒れ狂った川をしずめるために、人の首を斬ってその頭を川に投げ入れるという野蛮な風習があったのだ。

「マジかよ…」

地元の人からその話を聞いた孔明はそうつぶやいた(可能性がないわけではない)。
とにかく孔明はその残酷な風習を止めさせたいと考え、こんな提案をする。

「人の頭の代わりに、皮に肉を詰めたものをつくってそれを川に投げ入れなさい」

これが饅頭の始まりになったという。
*饅頭の起源については他にも説はある。

では、日本で饅頭はどのようにして生まれたのだろう?

 

くり返しになるけど、日本で饅頭が誕生したのは14世紀の室町時代、「林浄因(りんじよういん)」という中国人が作って日本で販売をしたのが始まりだ。

日本のまんじゅうは中国から帰化した林浄因(りんじよういん)に始まる。

「世界大百科事典内の林浄因の言及」

 

中国で禅を学んでいた日本人の仏教憎「竜山徳見(りゅうざんとくけん)」が、1349年にこの林浄因を日本に連れて来た。
*竜山徳見は禅僧で足利直義に声をかけられて京都建仁寺の住持(住職)となり、その後は天竜寺・南禅寺でも住した。

林浄因が来にしたことの日本のお菓子づくりはこんな状態。
人民網日本語版(2017年06月12日)

日本には小麦粉を発酵させる技術がなく、点心(お菓子)の多くは、堅くパサパサした米菓子だった。

660年前に饅頭を日本に伝えた寧波奉化出身の林浄因

 

中国で饅頭職人をしていた林浄因はその製法をもとに、日本の事情に合わせて、小豆を煮つめてあんをつくって中に詰めた饅頭を作り出って売り出した。
当時の中国では饅頭に肉を入れていたけど、肉食を禁止されていた日本の仏教僧はこれを食べることができないから、林は代わりに餡を入れた。
*このときの餡は塩で味付けをしていて、いまのように甘いものではなかったようだ。
「餡(あん)」に「こ」をくわえた「あんこ」という言葉は明治時代にできたらしい。

このへんについては、志ほせ饅頭にくわしい説明がある。

 

中国の饅頭

 

林浄因の饅頭はこれまので日本にはなかったセンセーショナルなお菓子で、お寺や貴族の間で評判となり、後村上天皇もこれを食べて気に入った。

このとき林浄因(りんじよういん)がオープンした饅頭屋が、いま東京都中央区にある和菓子屋「塩瀬総本家」につながって、そのホームページにこんな記述がある。

貞和5年(1349年)

初代林浄因が中国より来日、奈良に住し日本で初めて餡入りの饅頭を作り売り出しました。
この他にお饅頭の神様として林浄因を祀った林神社があり、毎年4月19日饅頭祭りが行われている。

沿革

 

林浄因はのちに日本人となり、「林」という名字を「塩瀬」に変えた。
ちなみに、めでたいときに配る紅白饅頭も林浄因がはじめたもの。

ちなみにちなみに、京都市中京区にある「饅頭屋町」という地名は、塩瀬の一族が京都で開いて大人気となった饅頭屋に由来する。

 

いまの中国の饅頭(マントウ)は、中に肉やあんこが入っていない蒸しパンのような食べ物

 

でも改めて考えてみたら、竜山徳見はよく元で禅宗を学ぶことができたなと思う。

1349年といえば中国は元の時代で、少し前には元寇があって日本と元は敵同士として殺し合いをしていたのだ。
*文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)

日本は鎌倉から室町幕府に変わったけど、元はこのときと同じ。
「日本を征服できなかった」というフビライ・ハンの無念は、まだ残っていたんじゃないかと思う。

でも元は70年後には、日本人僧を受け入れて禅を学ばせている。
そしてその日本人が連れて来た中国人が饅頭をつくって、日本初の饅頭屋を開いた。

なんかいい話じゃないですか。

 

 

おまけ

饅頭の始まりには別の説がある。

もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年(仁治2年)に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われる。

饅頭

でも、一般的には「林さん説」が有力だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。