はじめの一言
「日本人は美しくきらびやかな絹織物を作り、これを用いる。模様も多彩で、金糸、銀糸を用いて織り上げた錦は、イタリアの最良の品に勝るとも劣らない(アルミニヨン 幕末)」
「イタリア使節の幕末見聞録 講談社学術文庫」
今回の内容
・「正しくおそれる」ことが大切
・外国人との共生でおこる問題
・外国人との共生はこわくない
・「正しくおそれる」ことが大切
今のヨーロッパでは、外国人の移民や難民のうけ入れが大きな問題になっている。
テロや犯罪の発生をおそれる市民はたくさんいる。
イギリスがEUからぬけ出した大きな理由には、「ヨーロッパからの外国人の受け入れを制限したかった」ということがあった。
日本でも、「毎年20万人の移民受け入れ 政府が本格検討開始」という動きがあって、「日本が外国人の移民をうけ入れても大丈夫なの?」といった不安をもつている人が増えている。
ネットでは「欧州を見ろ!日本が移民を受け入れたら大変なことになる!」といった危機をあおるような内容のページが多い。
ただ「難民」と「移民」をごちゃ混ぜにしている人が多いから、読売新聞の説明を見てみよう。
難民とは、難民条約によると「人種、宗教、国籍、政治的意見などの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人」を指します。
移民とは、仕事や教育、よりよい生活環境などを求め、国境を越えて定住する人を指します。自国での迫害があるかどうかが、難民と移民の違いだと言えそうです。
「欧州に流入する難民急増、難民と移民の違いとは?」
それに、ヨーロッパが現在のように外国人のうけ入れで「失敗」になるまでには、いろいろな過程があったはず。
日本が移民をうけ入れたことが、そのままヨーロッパと同じようなテロや暴動を引きおこすとは思えない。
日本はヨーロッパとちがって、四方を海に囲まれている。
陸続きのヨーロッパとちがって、国が人の移動をコントロールしやすい。
だから先ほどのサイトを読むと、「外国人が来ることの危険性を、実際いじょうに大きくして書いてないかな?」という気がする。
外国人の移民については、問題が「危険水域」になるほど大きくならないように、移民の数を管理、コントロールしてうけ入れたらいい。
あいまいなで理想論ではあるけれど。
でも、ネットサイトでの大げさな表現や一方的な情報よりは、まだマシだと思う。
「外国人との共生」ということに対して、恐怖を感じさせてアクセスのアップをねらっているような印象もある。
前にも書いたことだけど、「正しくおそれる」ということが大事だと思う。
「正しく恐れて、危険要因を徹底して減らす」が正しい使い方となろう。
カテゴリ: 災害教訓: てらだとらひこ「ただしくおそれる」
日本が外国人移民のうけ入れを考えているのは、このままだと日本人の労働者が少なくなってしまうため。
もし外国人にたよらなくて、日本人だけで労働力不足を解決できるならそれが一番いい。
でも今の少子高齢化の日本では、それは本当にむずかしい。
日本が本当に毎年20万人をうけ入れるかは別として、外国人をうけ入れることはまず間違いない。
そうなら、そのことの損得を知って外国人といっしょに住むことを考えたほうがいい。
「外国人との共生」について想像のなかで恐怖をふくらめないで、「正しく知って(恐れて)、共生によっておこるマイナスのことを減らす」という考え方が大事だと思う。
つまり、外国人との共生でおこる問題を前もって知っておくということ。
・外国人との共生で起こる問題
外国人が増えたとしても、自分がテロや事件にまき込まれて死亡するなんて確率はほぼない。
外国人とは関係なく、自殺する確率のほうがずっと高い。
日本人の自殺者は、「平成27年中における自殺者の総数は24,025人で(内閣府)」で、1日あたり約66人が亡くなっていることになる。
外国人がからむテロや犯罪事件で、これほどの確率で人が亡くなることはありえない。
外国人との共生について「身の危険」のことを感じたとしても、すでにそれ以上に危険な社会に住んでいる。
日本の移民問題は未来のことだから、そのときになってみないと正確なことは分からない。
でも、これを今の浜松市のように「多文化共生社会」で想定するなら予想はできる。
今ボクが浜松に住んでいて、外国人と共生しているから。
外国人との共生について、ボクが浜松市に住んでいて聞いたり感じたりした問題は、大ざっぱに次のふたつがある。
・税金を払っている外国人が少なくて、滞納している人が多い。
・交通事故にあったとき、相手の外国人が任意保険に入っていなくて困った。
「ゴミの出しかたが悪い。それを言うと『日本語難しくて わからない』と逃げる」というトラブルはアンケートで見たことがある。
まあゴミの出しかたこれぐらいは予想の範囲内でしょ。
外国人がたくさん住んでいるといっても、治安についてとくに危険が増えたという実感はない。
ネットを見ると、浜松はかなり危ないところらしいけど。
こんなことが書いてある。
「全国でも出稼ぎブラジル人が多い静岡県浜松市や愛知県では、在日ブラジル人に対する憎悪感情が凄まじいです」
本当に?
そんなこと初めて聞いた。
「治安崩壊へ外国人受け入れ」
治安が崩壊する?
その前気配がまったくないんだが。
こんな感じで、ネット情報にあることはデタラメがたくさん。
本当の浜松市がこんな危ないところだと思わないでほしい。
こういうデタラメを見ているから、「ネット情報は当てにならない」、「大げさな表現で、実際以上の危険性をあおっている」と思ってしまう。
横浜から浜松に移ってきた人がこんなことを言っていた。
ネットで浜松市の状況を知ってかなり不安になったけど、じっさいに浜松に来て住んでみたらネット情報とぜんぜん違う。
横浜とかわらない。
でも、外国人とつき合いがある人は少ないのが現状。
こんな感じだから。
「日本人市民を対象とした調査」
「親しくつきあっている」者は4.7%にとどまるし、親しみを感じている者は1.6%と低い値を示している。
(浜松市における日本人市民及び外国人市民の意識実態調査報告書)
・外国人との共生はこわくない。
外国人といっしょに暮らす多文化共生社会では、たしかに問題はあるけどこわくはない。
交通事故の方がよっぽどコワい。
でも、市があいまでキレイなことしか言わないのも困る。
「これからは、国際化の時代です」
「外国人との共生が大事です」
こんなことを市がホームページで宣言しておいて、外国人とトラブルが起きたときには、「運が悪かったと思って自分で何とかするしかありません(弁護士ネット)」となると、市民としては困ってしまう。
多文化共生社会は、「共生」という理想のために日本人か外国人のどちらか一方がガマンするということではない。
「国際化」「共生」「認め合い」「ちがいを乗りこえる」といった正しいことやキレイななことを言われると、批判や不満が言いにくくなる。
外に向かって文句を言えないと内に不満がたまっていって、「共生を『強制』するな!」「外国人は出て行け!」といった排外的な考えにつながりかねない。
多くの外国人といっしょに住むようになったら、当然いろいろな国の人たちと知り合うことができて楽しいことはたくさんある。
もちろん、トラブルも起こる。
外国人との共生に対して、実際以上の恐怖や不安をもっている人が多い気がする。
外国人との共生によって起こるマイナスを具体的に知って、それにそなえることで多文化共生社会を楽しく生活することはできる。
と、浜松の一市民は思います。
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