はじめの一言
「堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。
(イザベラバード 明治時代)」
「朝鮮紀行 講談社学術文庫」
今回の内容
・韓国人が感じる日本と韓国の「老舗」の違い。
・日本人と韓国人の職業への「見方」の違い。
・韓国人が感じる日本と韓国の違い
前回は、カンボジア人の日本語ガイドによる「日本人と韓国人の見分け方」について書いた。
「日本人は頭にタオルを巻いているけど、韓国人は野球帽をかぶっている」
というもの。
これについて、友人の韓国人は「頭にタオルを巻く姿は、肉体労働者みたいだから、カッコ悪いです」と言う。
日本では、芸能人でもは頭にタオルを巻くことはふつうにやっている。
でも、韓国の芸能人はこれをしない。
ネットで韓国人の芸能人の「タオル巻き」を見ると、サウナでしているものばかりで、「肉体労働者」らしいものはない。
しかも、サウナでのタオルの巻き方は「羊巻き」というもので、おしゃれなものだ。
肉体労働のイメージからはほどと遠い。
日本人の芸能人なら逆で、こんなかわいいタオルの巻き方はしない。
むしろ、汗水たらす「肉体労働者」や「職人」らしさをアピールするだろう。
日本の視聴者も、その姿を好意的に受け入れている。
「職人や肉体労働者を低く見ている」という韓国の考え方で、思い出したことがある。
韓国には「老舗」がないのだ。
もちろん「韓国社会にまったくない」という極端なことではない。
「日本と比べればない」というレベルでのこと。
「ワウコリア」という韓国の情報サイトに、「韓国人が日本に来てびっくりしたこと」というコラムがある。
彼が浅草を歩いていて、「韓国では考えられない」と首をかしげた。
何かというと、あるソバ屋が創業百年を誇示する看板を掲げていたのである。
「うちは古くから営業している老舗ですよ」とアピールしているわけで、日本ではどこでも見られる光景だろう。
日本人なら、お菓子屋や着物屋の看板に「創業~百年」とあるのを見たら、つくっているものの質や見せの信用の高さを感じる
その店にとっては、店の長い歴史は誇りや自慢になる。
でも韓国では違って、それが「不名誉」や「恥」になってしまうらしい。
しかし、彼の受け取り方は違った。
「韓国では食堂で成功したら、子供たちに最高の教育を受けさせてエリートにさせようとするだろう。『ウチの店は継がないでいいから、医者や大学教授をめざせ』と子供たちにハッパをかけるのが当たり前。それなのに、あの店は代々の子孫がずっと継いでソバ屋を開いているという。
韓国の人があの看板を見れば、『あの店は百年も頭がいい子供が出なかったのか』と思ってしまうだろう」。
学歴偏重の韓国では、親はこぞって子供たちがいい大学を出てエリートになることを心から願う。
「親が子どもがいい大学を出て、エリートになることを心から願う」というのは、日本人も基本的には変わらない。
でも「創業~百年」という看板を見て、「あの店は~百年も頭がいい子供が出なかったのか」と思う日本人はいない。
これは日本人と韓国人の考え方の大きな違いだ。
・お店を経営している人や職人さんにしても、「跡を継がなくていい。それより必死に勉強しろ」と口がすっぱくなるまで子供に言うのである。
・そういう風潮が「韓国には老舗がほとんどない」という現状を生んでいるのかもしれない。日本では、「子供が家業を継ぐ」というと喜ぶ親が多いが、韓国はまったく違うのである。
確かに日本人の親なら、子どもが自分の跡を継いでくれたら喜ぶ人は多いだろう。
じつはこの「韓国には老舗がない」ということを、何かの本でも読んだことがある。
このときに意外な気がして、「韓国には老舗がない」ということが記憶に残っていた。
だからこのコラムを見たときも「ああ、やっぱりそうなんだ」と。
この「老舗」のことも、韓国人の友人に聞いてみたことがある。
「韓国にも、百年以上続いているお店はありますよ。でも、『老舗』ということにあんまり価値は感じませんね。店が続いている期間より、どれくらい稼いでいるかが大事ですね。」
これがすべての韓国人を代表する意見ではないけど、「時間(伝統)」より「儲け」という判断の基準は、韓国人の価値観に合っているように思う。
ボクが会った韓国人は、日本人ほど遠慮しないでお金のことを聞いてきたり、話題にしたりする。
・日本人と韓国人の職業への「見方」
「いい大学を出てエリートになることを心から願う」というのは、逆に言えば、「その反対の状態になることは、心から避けたい」ということになる。
韓国は日本よりはるかに厳しいの競争・格差社会で、社会的に「上」にいる人たちは高い尊敬を集めるぶんだけ、「下」の人たちへの視線は厳しい。
現実的に蔑視(べっし)に近い。
韓国人の「呉善花」さんが日本と韓国の文化を比較した「ワサビの日本人と唐辛子の韓国人」という本の中で、こんなことを言っている。
ブルー・カラーとホワイト・カラーの違いは、日本人には、単なる職種の違いと意識されているから、ブルー・カラーだからといって、ホワイト・カラーに劣等感を持つ人も、ひじょうに少ない。
韓国では、タクシーの運転手やビルの清掃に従事する人たちは、低い階級の人たちと意識されているし、社会的にも軽視されるし、本人たちも軽視されても仕方のないことと感じている。
だから、韓国ではそうした職業の人たちは、どうしてもプライドを持つことができない。
それは欧米でも、多くの国々で、実際あることだ。日本では、そうした職業を卑しいものと見ていない。
「ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 祥伝社黄金文庫」
日本では、職業について上下の差をつけることが少ないし、職人といった肉体労働者にも敬意が向けられている。
そうした背景があるから、「職人=かっこいい」という意識が生まれるのだろう。
ボクが会ったカンボジア人ガイドは、「日本人は、頭にタオルを巻いていますけど、韓国人は野球帽をかぶってますね」と言っていた。
これも、日本人と韓国人との考え方の違いをあらわしている。
日本では、職人に対する敬意があるからだろう。
おまけ
「韓国には老舗がない」ということで、こんな韓国のコラム(2016年10月3日)もあるから、合わせてのせておく。
<Wコラム>映画「悪いやつら」から見る血筋の力3、あなたは本当に「韓国」を知っている?
●老舗がない!?
日本には何百年も続く老舗や飲食店がありますが、韓国ではいくら有名で儲かる店でも百年以上続いたものはありません。日本のように安定した社会でなく戦乱に明け暮れていたためでもありますが、商売に対する儒教的蔑視による影響が大です。自分の代では蔑まれる商売をしていても、子どもたちにはまともに勉強させ、社会的に誇れる職業についてもらいたい。
そのために商売が悪影響を与えるならいくら繁盛しても子どもには継がせないで店をたたんでもかまわないという心理が働いています。
良かったら、こちらもどうぞ。
カンボジア人ガイド「日本人と韓国人の違いは、見た目で分かる」
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