これは自動車メーカー、マツダのロゴ。
これを見て、「なんでマツダはmatsudaではなくて、mazdaなのか?」こんな疑問をもったことはないだろうか?
mazdaだと、マツダではなくてマズダになってしまうではないか。
この答えは簡単で、マツダの社名はゾロアスター教の神に由来するから。
まずは、「ゾロアスター教ってどんな宗教だ?」というところを確認しておこう。
・古代イラン(ペルシア)のゾロアスターがはじめた宗教。
・3世紀のササン朝ペルシアでは、国の宗教として広く信仰されていた。
・ゾロアスター教の最高神は、光(善)であるアフラ=マズダー (Ahura Mazdā) 。ゾロアスター教は「マズダ教」と呼ばれることもある。
・最高神アフラ=マズダの象徴として「火」を神聖視する。このことから、「拝火教(はいかきょう)」とも言う。
・7世紀にペルシアがイスラーム教徒に征服されてから、ゾロアスター教は衰退していく。
アフラマズダー神(右)から王権の象徴を授与されるアルダシール1世(ウィキペディア)。
ヨーロッパの王権神授説のようだ。
(画像:Photo Ginolerhino 2002)
イスラーム教徒とのたたかいに負けた後、たくさんのゾロアスター教徒がインドに逃げこんで来た。
今でもその子孫がインドのムンバイにいて、ゾロアスター教の信仰を守っている。
今のインドでゾロアスター教徒は「ペルシア人」に由来して「パールシー」と呼ばれている。
インドの有名な財閥「タタ」の創始者がパールシーだ。
パールシー(ゾロアスター教徒)は鳥葬をおこなう。
ここに死体を運んできて、鳥に死体を食べさせる。
異教徒はこの中を見ることができない。
一緒にいたヒンドゥー教徒のインド人もここには入ったことがないという。
インドのムンバイにこの場所がある。
2017年11月2日付の東京新聞によると、最近、奈良の帝塚山大などのチームが世界初となる発見をした。
ウズベキスタンにある8世紀の遺跡から、「正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土した」という。
これはゾロアスター教の祭礼の場面らしい。
木製で、縦1・3メートル、横1・4メートルの4段構成。最上段に獅子に腰掛ける女神ナナー、下段に楽器を奏でる楽隊、火や供物をささげる人が浮き彫りされている。
「ゾロアスター教板絵を発見 世界初、正倉院楽器と類似」
この種の板絵が完全な状態で発掘されたのは、これが初めて。
さて、ここでようやくマツダの社名の話になる。
マツダのホームページに社名の由来があるから、そのまま引用させてもらう。
社名「マツダ」は、西アジアの文明の発祥とともに誕生した神、アフラ・マズダー(Ahura Mazda)に由来します。
マズダーを東西文明の源泉的シンボルかつ、自動車文明の始原的シンボルとして捉え、また世界平和を希求し自動車産業の光明となることを願って名付けられました。
また、マツダの創業者でもある松田重次郎氏の姓にもちなんでいます。
ということで、マツダは「Matsuda」ではなくて「Mazda」になっている。
ゾロアスター教では、最高神アフラ=マズダの象徴として火を崇拝する。
さて、この画を見てだれだか分かりますか?
この人は中国の明王朝(1368年‐1644年)をはじめた朱元璋(しゅげんしょう)という皇帝。
朱元璋は、もともとはお坊さんだった。
中国の歴史で、お坊さんから皇帝になったのは朱元璋だけ。
この朱元璋について、「彼はゾロアスター教徒だった」という説がある。
だから国名は、光をあらわす「明」になったのだと。
歴史作家の陳舜臣氏の本にそんなことが書いてあった。
最後に、イスラーム教とゾロアスター教について。
7世紀にイラン(ペルシア)がイスラーム教徒に征服されてから、ゾロアスター教は衰退していく。
でも、イランからゾロアスター教が完全になくなったわけではない。
支配者であるイスラーム教徒はゾロアスター教徒の信仰を認めていた。
宗教的寛容の契約が結ばれた者と同等に取り扱われた
「アラブの歴史 ヒッティ (講談社学術文庫)」
キリスト教徒やユダヤ教徒もイスラーム教徒と「宗教的寛容の契約が結ばれた者」で、彼らもそれぞれの信仰を許されていた。
アラブ帝国のイスラーム教徒には、けっこうやさしいところがある。
イスラーム教徒は寛容で、異教徒の信仰の自由を認めていたのだ。
この「ダビデの星」はユダヤ教徒のマーク
イエメンの村にあった。
「アラビア人は農耕に従事することを、自らの品位に値しないものと考えて嫌っていた(アラブの歴史 ヒッティ)」ということで、イスラーム教徒のアラビア人には「働いたら負け」みたいな考え方があった。
だから、農作業をする異教徒は大事な存在でもある。
それでも、イラン(ペルシア)もだんだんとイスラーム化していった。
ゾロアスター教はイスラム教徒に征服された後も存在し続けていた。
ペルシアは、アラブ帝国に含まれてから三世紀の後、ようやくイスラムに改宗したのだった。今日、ペルシアでは、住民中に約九千人のゾロアスター教徒を擁しているだけだ「アラブの歴史 ヒッティ (講談社学術文庫)」
おまけ
イエメンの首都サヌア
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ゾロアスター教の光(善)の神はマツダといわれる。 昭和時代の日本の光として最も身近なものは電球であった。日本人なら皆が知っていたことだが、東芝の電球はマツダとマークされていた。最近製造が終了した。
東芝の電球のことはウィキペディアにも書いてあした。
でもそれほど有名だったとは知りませんでした。
案外、身近にありますね。
せめてクルマの写真はマツダ車にしてください…レクサスでは…ねぇ…( ̄▽ ̄;)
おっしゃる通りです!
なんであんな写真をのせたのか・・・。
ご指摘ありがとうございました。
マツダ車に変えておきました。