トルコ大使が日本の小学生に感動した理由。エルトゥールル号事件。

 

「皆さんはトルコと日本の間に存在する、最も美しい花で飾られた架け橋。トルコ国民を代表して、心の底から感謝の意を表したい」

今月12月4日、和歌山県串本町にある小学校を訪れた駐日トルコ大使が、児童にこんな感謝の言葉を述べている。

これは、トルコと串本町には特別なつながりがあるからだ。
今回はそんな日本とトルコの友好関係について書こうと思う。

 

 

トルコはヨーロッパとアジアの間にあるから、「東洋と西洋のかけ橋」とよばれることがある。
トルコ政府観光局のHPでも、トルコをこう紹介している。

東洋がある。西洋がある。いくつもの物語がある。

ただ、トルコ政府はトルコを西洋(ヨーロッパ)の国としている。

 

まずはトルコについて簡単に知っておこう。

以下の数字は外務省ホームページにあるトルコ共和国(Republic of Turkey 基礎データから。

1 面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)

2 人口:79,814,871人(2016年,トルコ国家統計庁)
*日本の約6割。

3 首都:アンカラ

4 民族:トルコ人(南東部を中心にクルド人,その他アルメニア人,ギリシャ人,ユダヤ人等)

5 言語:トルコ語(公用語)

6 宗教:イスラム教(スンニ派,アレヴィー派)が大部分を占める。
その他ギリシャ正教徒,アルメニア正教徒,ユダヤ教徒等。

 

トルコは人口の99%がムスリム(イスラーム教徒)だから「イスラーム教の国」というイメージが強いけど、信仰の自由は認められている。

ウィキペディアによると、トルコのGDP(国内総生産)は1兆4,435億ドルだから、これは東京の(1兆6167億ドル:世界の都市圏GDPベスト10 )の少し下ぐらい。
東京都知事にはちょっとした国の首相なみの力があるのだ。

 

日本とトルコの関係についていえば、「エルトゥールル号遭難事件」を抜かすことはできない。

海難事件だから不幸なことではあるけれど、日本とトルコの友好関係の「原点」にもなった。
これは、日本人として知っておいた方がいい。

 

神戸へ向かって進んでいたトルコのエルトゥールル号が1890年9月、和歌山県の沖合で台風にあう。
強風と高波のため、エルトゥールル号は沈没してしまった。
この事故でエルトゥールル号の乗組員587名が死亡する。

でもこの時、付近の住民が懸命に救助活動をしたことで、69人の乗組員が助け出された。
この69人はこの後、日本海軍の巡洋艦によってトルコに送り届けられる。

また、日本国内でも犠牲者に対する義援金の募集がおこなわれていた。
だから「エルトゥールル号遭難事件」はこの村とトルコだけのことではなくて、日本とトルコにかかわる出来事だ。

 

オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」

 

遭難するエルトゥールル号を描いた絵画

 

この事件は日本とトルコの友好関係の「原点」となる。
外務省ホームページから。

オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の日本訪問とその後の遭難という出来事を発端とする日本とトルコの友好の歴史は、来る2010年に120年という大きな節目を刻みます。

2010年トルコにおける日本年

 

とても大事な出来事であるわりには、これを知っている日本人は多くない。

赤と白、日の丸と月が対照的

 

ここで話を記事の冒頭、和歌山県の小学校を訪れた駐日トルコ大使に戻す。

トルコ大使のハサン氏が12月4日に串本町の大島小学校で児童と交流をおこなった。
この時、トルコ大使が児童に「感動した」と言っている。

紀伊民報の記事(2017/12/05)から。

「トルコの心が生きていることを目の当たりにして感動している。児童の皆さんが慰霊碑をきれいに守ってくれていることは、トルコに対する最大の希望だと感銘している。皆さんはトルコと日本の間に存在する、最も美しい花で飾られた架け橋。トルコ国民を代表して、心の底から感謝の意を表したい」

「駐日トルコ大使が串本町訪問 大島小児童と交流」

ややもすると、感動や美談を「偽善」ととらえがちなネットでも、このニュースを見る目は温かい。

・こういう草の根的な友好関係はこれからもずっと大切にしてほしいね!
・こういう交流は、ずっと続けないと駄目だな
・俺もトルコアイス食べて全力で応援してるよ!
・トルコライスで歓迎や!
・海難救助は当たり前としても、百数十年もこうやって地道な活動を続けるってなかなか出来るもんじゃないよね
地元の人も偉いよ
・これどんな艦娘?

 

この児童は毎年、慰霊碑の清掃活動をしている。
紀伊民報の記事から。

同町樫野のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑の清掃をした。清掃後には、エ号追悼歌も斉唱し、亡くなった乗組員らに思いをはせた。

「エ号遭難慰霊碑を清掃 大島の小中学生ら」

 

これと逆を想像してほしい。

トルコの海で日本船が海難事故にあって沈没する。
ふきんの住民が命がけで日本人を助ける。
それから120年以上たった今でも、地元の小学生がその慰霊碑を毎年清掃し、死者を追悼する歌を歌っている。

こんな子どもたちを見たら、感謝の言葉ではなくて涙が出てくる。

いま串本町はトルコのヤカケント町やメルシン市と姉妹都市になっている。
友好関係とはこうあってほしいものだと思う。

碑を建てるのなら、相手の国が感謝の気持ちを起こすようなるものを建てるべきだ。
友好関係の基礎は相手への感謝と敬意だから。

サンフランシスコ市の市長さん、見てますか?

 

ところでトルコ人は義理堅い。
それが発揮されたのは1985年、イラン・イラク戦争の最中。
イラクのサダム・フセイン大統領が無差別攻撃宣言をしたことで、世界各国はイランにいた国民を国外へ脱出させたけど、日本はそれができなかった。
自衛隊の海外派遣は禁止されていたし、日本航空も安全の保証がなければ飛行機を出すことはできなかったから。
イランから脱出できなくなった日本人を救ったのはトルコだった。
日本側がトルコのビルレル大使に頼んだところ、大使はこう答える。

「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」

エルトゥールル号遭難事件 イラン・イラク戦争

これによって215名の日本人無事に帰国できた。

 

おまけ

日本とトルコの関係については、日露戦争を忘れてはいけない。
日本の勝利はトルコにこのような影響を与えた。

日露戦争が日本の勝利に帰すと、長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して、親近感を高めていたオスマン帝国の人々は、東の小国日本の快挙としてこれに熱狂した。
日本海海戦時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、トーゴーという名を子供につけることが流行したという。

(ウィキペディア)

Tōgō_Heihachirō

東郷平八郎

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。