はじめの一言
「花々もおのれの魅力によって、貧しい人びとの住居を活気づけ、自然の詩趣をあたりにまきちらす(スミス 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・アジアミュージックフェスティバル
・「モスク」って?
・男女別
・アジアミュージックフェスティバル
今年の5月、浜松で「アジアミュージックフェスティバル2016」というイベントがあった。
タイ、インドネシア、ベトナムの歌手やバンドが歌を披露したり、ベトナムの民族衣装「アオザイ」のファッションショーをしたりするというイベント。
その会場に足を運んで「これは面白いな!」と思ったのが「礼拝室 (Prayer Room)」。
イスラーム教徒は、1日5回お祈りをしないといけない。
この礼拝室は、そのお祈りをするための場所になる。
インドネシア人の歌手が来ていて、それを目当てに多くのインドネシア人も集まるために、この礼拝室が必要になったらしい。
インドネシアは、世界でもっともたくさんのイスラーム教徒が住んでいる国だからね。
でも、「アジアミュージックフェスティバル」にイスラーム教徒用の礼拝施設があるとは思っていなくてびっくりした。
でもこれはセントレア空港を始め、世界中の空港で見たことがある。
国際化する社会では必ず必要なものなんだろう。
このイベントにあったものは、テントでつくった簡単な施設。
この礼拝室がいいのは、イスラーム教徒の礼拝所として必要最低限のものしかないこと。
言いかえたら、「礼拝所として、これだけは絶対に必要なもの」しかない。
だから、これを見たら「モスク(イスラーム礼拝所)では、何が必要なのか?」「モスクとはどんなところなのか?」ということが分かる。
モスクを知るには、ぴったりだ。
ということで、今回からモスクとイスラーム教について書いていきたい。
・「モスク」って?
モスクとなにか?
イスラーム教徒がお祈りをするところ。
モスクは英語で、アラビア語だと「マスジド」という発音になる。
マスジドとは「ひざまづく場所」という意味のアラビア語だという。
このアラビア語のマスジドが訛(なま)って、「モスク」という英語になっている。
アラビア語ではマスジド(مَسْجِد, masjid, 「ひざまずく場所」(サジダ سجدة を行う場所)の意)といい、マスジドの訛った語で、イスラーム帝国がスペイン地方を占領したときマスジドがスペイン語でメスキータ(mezquita)となり、それが英語ではさらに訛ってモスク(mosque)となった。
(ウィキペディア)
まさに「ひざまずく場所」。
インドのモスク
ちなみに「東京ジャーミイ」の「ジャーミイ」は、トルコ語でモスクをあらわす言葉らしい。
マレーシアのマスジット(イスラーム礼拝所)
ちなみに「NEGARA(ネガラ)」はマレー語で「国立」の意味。
もとはインドのサンスクリット語。
アンコールワット(カンボジア)の「アンコール」と同じ言葉。
・男女別
ふつうモスクでは、祈りをする場所が男女別に分けられている。
これはモスクだけではなくて、イスラーム社会全体でそう。
学校もある程度の年齢になったら男女別の教室で学ぶし、エジプトでは地下鉄(列車かな?)の車両が男女別だった。
ちなみに、一昔前は男女別の車両があるのはイスラーム圏と日本ぐらいだというのを聞いたことがある。
イスラーム圏では宗教上の理由で、日本では痴漢対策で。
ウィキペディアを見ると、近年では他の国でも導入があるようだ。
笑いごとじゃないけど吹き出しそうになったのは、ウィキペディアの「女性専用車両」の「韓国」のところにあったこの文章。
一般車両に乗車する女性は、性犯罪の対象としても良いという歪曲された認識が生まれる事もあり得ることであった
(ウィキペディア)
こんなふうに考える人が、本当にいるんかいな?
ここで疑問。
モスクが男女別になっていたら、「トランスジェンダー(心と身体の性が一致しない人)」の人たちはどうなるんだろう?
身体は男だけど自分は女性だと考えている人たち。もしくは、その逆という人。
「身体は男だけど心は女」という人は、どっちに入るべきか?
アメリカでは、このトランスジェンダーの人たちの「トイレ問題」が大きな話題になっている。
ニューヨーク市のデブラシオ市長は今月、自己の性認識に基づいた公衆トイレ利用を認める行政命令に署名した。そして、市の各機関にその行政命令に基づいて2200カ所の公衆トイレへの対応を行うことを義務付けた。
ニューヨークでは、男女のどちらのトイレを使うか「自己判断」によるらしい。
この考え方によったら、トランスジェンダーのイスラーム教徒は、「自分は男」だと思ったら男性用、「女だ」と思ったら女性用の部屋に行くことになる。
でもそれ以前に、イスラーム教ではトランスジェンダーをどう考えているんだろう?
イスラーム圏の国では、今までになかったものが登場した場合、それがイスラーム教の教えに合っているか反しているかを判断しなくてはならない。
「ポケモンは、イスラーム教の考えに反しているかどうか?」とかね。
サウジアラビアでは「反イスラーム的だから、ポケモンはダメ」でも、インドネシアでは「問題なし」となることがある。
社会の変化に対して、イスラーム教の教えからどう判断するかというのは、イスラーム教の現代的な問題。
そういや、日本の銭湯ではトランスジェンダーをどう考えているんだろう?
アラビア語のポカリスエット(ドバイの空港)
インドネシアでは、「ラマダン(断食)明けに飲むもの」として売り出して大ヒットした。
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