はじめの一言
「村人たちがあらゆる方角から現われて、好意の印を示すやら、お菓子とかお茶とか水を差出すやらしてわれわれを歓迎した。帰り途では大勢の女子どもが家の外に立っていて、われわれには花を馬にはまぐさを差出すのだった
(ジョージスミス 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・東南アジアのイスラーム教は「ゆるい」ね
・なんでこんな違いが生まれるのか?
・東南アジアのイスラーム教は「ゆるい」ね
イスラーム教は中東だけではなくて、東南アジアにも広がっている。
特にインドネシアは、信者の数としては世界最大のイスラーム教の国でもある。
ただ同じイスラーム教であっても、東南アジアと中東のサウジアラビアとではずい分ちがう。
前回の記事でも書いたけど、友人のイスラーム教徒(インドネシア人)は清水寺で仏像に手を合わせていた。
これには、本当に驚いた。
イスラーム教では「偶像崇拝」は、かたくかた~く禁止されているからね。
アッラーの神はたしかに慈悲深い神ではあるが、ただ一つ、これだけは許さないというのが偶像を刻んで拝むという行為である。これは啓典宗教すべてに共通するタブーである
(イスラム原論 小室直樹)
でも、彼の場合は、イスラーム教徒であっても仏像に手を合わせることは問題ないらしい。
でも、サウジアラビアのイスラーム教徒なら、これはきっとダメだろう。
なんせ、雪だるまも禁止されているような国だから。
「イスラーム教では、偶像崇拝が禁止されている」
このことは、どこかで聞いたことがあると思う。
でも、禁止している度合いの強さは同じイスラーム教であっても、厳しいところと「ゆるい」ところではかなりの違いがある。
特に、中東と東南アジアとでは大きく違う。
なんでこんな違いが生まれたのか?
今回はそのことについて書きます。
マレーシアのマスジット(モスク:イスラーム礼拝所)
ちなみに「NEGARA」は「国立」の意味で、もとはインドのサンスクリット語。
アンコールワット(カンボジア)の「アンコール」と同じ言葉。
・なんでこんな違いが生まれるのか?
これには、1つや2つではなくていろいろな理由があるはず。
予備校の講師は、それはイスラーム教の「広がり方の違い」から生まれたと話していた。
アラブ世界では「征服」によって支配者がイスラーム教をその地域に広めている。
たから、人びとはイスラーム教の教えを厳しく守るようになった。
それに対して東南アジアでは、征服ではなくてイスラーム教徒の商人などが「伝道」するによって、イスラーム教を広まっている。
平和的な手段でイスラーム教を伝えたから、それほど厳しく守られてはいない。
予備校の講師はそんな話をしていた。
他にも、「国家が宗教にどうかかわっているか?」ということもその理由にあると思う。
教えて! 尚子先生 アラブとアジアのイスラム教では、同じイスラム教でも違いがあるのでしょうか?
この記事では、イスラーム教の地域差を次のように説明している。
わかりやすい例でいうと、イランやサウジアラビアのように国家が厳格にイスラム教を国教として採用し、イスラム法を施行している場合は、すべての女性にヘジャブやチャドルを着せるような政策を採用することもできます。
一方、インドネシアなどのように国教と制定していない場合や、国教と指定していても国家が厳格にイスラム法を導入していないエジプトやヨルダンのような国の場合は、国家が宗教を理由に個人を取り締まってはいません。
言い換えるなら、現在ではイスラム教徒の差異は、国家のあり方に左右される場合が多いのです。
簡単にいったら、国が国民に対してイスラーム教を守らせようとしているか、国民の信仰にはあまりタッチしないかの違いらしい。
この「宗教と国家のあり方」というのは、需要なポイントだろうね。
アフガニスタンをみた場合、タリバンに支配される前後で生活が一変している。
タリバン前は、国家が国民に対してイスラーム教を厳しく守らせようとはしていなかったけど、タリバンが支配者になるとかなり厳しくなっている。
タリバンは1996年にアフガニスタンを制圧すると、ラジオを通してこんな布告をした。
音楽の禁止
商店、ホテル、自動車、輪タクなどで、カセットテープを所有したり、音楽を流してはならない。店内で音楽テープが発見された場合、店主は収監され、店は閉鎖される。自動車内でテープが見つかった場合は、車は没収、持ち主は収監。
絵の複製の禁止
自動車、商店、ホテル、その他の場所にある絵画や写真、彫刻を含む肖像画は撤去しなければならない。所有者は、前記の場所にあるすべての絵画や写真を廃棄しなければならない。生き物の絵画や写真を乗せている車両は、停止を命じられる。
(カブールの本屋 イースト・プレス)
「カブールの本屋(イースト・プレス)」には、実際に国が取り締まっている様子が書いてある。
上の「絵の複製の禁止」というのは、イスラーム教で禁止している偶像崇拝につながることがその理由だろう。
そこで、この「カブールの本屋」が敵視されて、宗教警察がその本屋にあった「偶像」をすべて火に燃やしてしまった。
宗教警察がスルタン・カーンの本屋にやってきて、重箱の隅をつつくような働きぶりを見せていった。
人間であろうと動物であろうと、およそ生き物の絵や写真が載っている本という本を棚から引っ張り出して、火に投げ込んだのだ。
すっかり黄ばんだ本も人畜無害な絵はがきも、表紙がひからびた古い辞典類も、生け贄として火に投じられた。火を囲んだ子どもたちの前に、ムチや長い警棒、カラシニコフ銃を携えた宗教警察の兵士が立ちはだかった。
兵士たちには、絵や本や彫刻、音楽、踊り、映画、それに自由思想を好む者は、社会の敵にしか見えない。
このように、国が国民に対して警察権力をつかってイスラーム教を厳しく守らせようとしたら、「厳しいイスラーム教の国」ができあがる。
「国家のあり方」としては、サウジアラビアやイランはこれに近い。
けどインドネシアやマレーシアでは、国が国民にこんなかかわり方をしていない。
こうした違いが、東南アジアのイスラーム教の「ゆるさ」につながっているんだろうね。
おまけ
東南アジアでもイスラーム教の厳しい地域はある。
それが、インドネシアの「アチェ」というところ。
2016年の10月には、恋人とハグやキスをしたという理由でムチ打ちの刑がおこなわれている。
AFPの記事から。
インドネシア・アチェ(Aceh)州の州都バンダアチェ(Banda Aceh)のモスクで17日、恋人とハグやキスをしていたなどとして未婚男女13人に対する公開むち打ち刑が行われた。
刑を執行された男女の年齢は21~30歳で、うち1人の女性は執行時に泣き叫んだ。妊娠していることが判明した22歳の女性は出産までむち打ち刑の執行を延期された。
アチェ州ではインドネシアで唯一、シャリア(イスラム法)が適用されている。
アチェに行くときは、注意がした方がいい。
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