はじめの一言
「農家と茶屋がたがいに間を置いて続き、その外観によって、住民のあいだに満足とつつましいゆたかさがゆきわたっていることを示していた
(スミス 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・イスラーム教徒の女性の服
・ブルカは「視界」と「におい」が問題!?
・ブルカは女性抑圧の象徴か?
・イスラーム教徒の女性の服
シリアやイエメンを旅していて、イスラーム教徒の女性が着るニカーブが気になっていた。
あれを着ているのは、どんな気分なんだろう?
ニカーブを着た女性(イエメン)
めちゃくちゃ暑そうに見えるけど、案外そうでもないかもしれない。
ニカーブは知らないけど、エジプトでガラベーヤという現地の服を着たことがある。
「全身が隠れてしまうから、あっついんだろうなあ」と思ったら、これが意外と涼しい。
エジプトは暑いけど、とても乾燥している。
洗ったジーンズなんて、20分くらいで乾いてしまったほど。
ガラベーヤ
ガラベーヤを着ると、「全身が日陰」という状態になって直射日光を防ぐことができる。それに、通気性もいいしね。
日本のような高温多湿のところで着たら地獄だけど、エジプトのような砂漠地帯には合っている。
だからニカーブも、思っているより着心地は悪くないのかもしれない。
ニカーブによく似た服を、アフガニスタンでは「ブルカ」という。
ブルカ(ウィキペディア)
前回、イスラーム教徒の女性の服装規定を書いた。
クルアーンの第24章30節には「また、女子の信者にはこう言え。目を伏せて隠し所を守り、露出している部分のほかは、わが身の飾りとなるところをあらわしてはならない」とある。他に33章でも女子の服装に言及している。
(ウィキペディア)
「なんで女性は、美しい部分を隠すのか?」
この理由は、「女性が男性を誘惑しないようにするため」らしい。
好色な目つきで女を見る邪悪な人々の関心を引くようなことをしてはならない。
外出する必要がある時には、イスラム法シャリアの定めに従って、全身を覆わなくてはいけない。
流行の恰好をし、華美で体の線が見える、蠱惑的な服を着て人の気を引く行為は、イスラム法シャリアにとって断罪される。そのような女は天国に行くことができない。(カブールの本屋 イースト・プレス)
これを着ていないと「天国に行くことができない」って・・・。
このへんが、「イスラーム教は男尊女卑の宗教だ」といわれる理由なんだろう。
東南アジアではヒジャブで髪だけを隠す恰好が多い。
・ブルカは、「視界」と「におい」が問題!?
ここで先ほどの話に戻す。
ニカーブを着ているのは、どんな気分なんだろう?
ニカーブではないけれどブルカを着ているときの気持ちは、この本(カブールの本屋 イースト・プレス)を読んでいて分かった。
苦しいのは暑さではなくて「視界」と「におい」らしい。
ブルカを着ると視界が本当に狭くなる。
横が見えなくて、前しか見えなくなってしまう。
ブルカをかぶると、遮眼帯をつけた馬と同じように正面しか見えなくなる。それも眼を細め、メッシュの部分の揺れが収まり、ブルカを正しく着用していたとして、だ。斜め前をちらっと見る、などということは不可能。
頭全体を動かさなければ見えないのだ。(カブールの本屋 イースト・プレス)
それと「におい」。
通気性がほとんどないので、ブルカには独特のにおいがこもっている。ビビ・ゴールのブルカは、いわく言いがたいにおいを放ち、中の本人もそのにおいに包まれている。
老人の息が、甘い花の香りや何か酸っぱいにおいと入り交じった、そんな感じだ。
ライラのブルカは、若者の汗と食べ物のにおいがする。(カブールの本屋 イースト・プレス)
そういえば、エジプトでいろいろな種類の香水を売っていたのを思い出した。
あれには臭いにおいを消す目的があるんだろうか?
エジプトのピラミッド
・ブルカは女性抑圧の象徴か?
ブルカは「女性の人権を侵害している」とみなされることがある。
ターリバーンによるブルカ着用の強制という言説から、イスラームによる女性抑圧の象徴として扱われる。
(ウィキペディア)
これには当然、反論がある。
しかしながらパシュトゥーン人の文化的・宗教的伝統や、乾燥した空気や強い日光から肌を守ると言う気候に対応した機能も持っており、そう言う面では女性を守る意味もあるため、ブルカ=女性抑圧と単純に断じるのは危険であるという主張もある。
(ウィキペディア)
さてあのブルカ、どっちが正しいのだろう?
抑圧かそうではないのか?
「カブールの本屋(イースト・プレス)」を読むと「慣れの問題」らしい。
アフガニスタンでは、タリバンが政権をとっていたときには国内の女性にブルカを着ることを強制していた。
でも、政権がタリバンから別の人間の手に移ると、もう女性はブルカを着る必要がなくなった。
そんなときの、あるアフガニスタンの一家での話。
ライラは、自分のブルカをクギに引っかけて、こんなひどいものは二度とかぶらないわ、と心に決めた。
ソニヤとシャリファもそれにならった。シャリファがブルカを脱ぎ捨てるのは、難しいことではなかった。大人になってから、顔を隠さずに生活していた時期のほうがずっと長いのだ。それに比べてソニアの場合は大変だった。
これまでずっとブルカをかぶる人生を送っていたので、どうしても脱ぎ捨てるのがためらわれたのだ。(カブールの本屋 イースト・プレス)
ブルカを着ていなくて、あるときからブルカを着ることになった人には、「こんなものは二度とかぶらないわ!」となる。
彼女にとっては、ブルカは抑圧の象徴なんだろう。
それに対して、最初からブルカをかぶることに慣れてしまった人には、それを着ないことにためらってしまう。
彼女にとっては、ブルカは抑圧というものではない。
結局は、それに慣れているかどうかの違いらしい。
アフガニスタンから遠く離れたところにいる外部の人間が、「ブルカは抑圧の象徴だ!」「いや、それは偏見だ!」と言っていても、当事者にはそれほど大きな問題ではないのかもしれない。
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