何かめでたいことがあると、日本では「万歳」という言葉を使う。
この「万歳」は、もともとは中国語(千秋万歳)で、中国の皇帝ためだけに使われていた言葉だった。
だから朝鮮国王にたいしては、中国皇帝に遠慮して、「千歳」という言葉を使っていた。
この記事でそんなことを書いた。
中国の歴史には、皇帝の「万歳」でも朝鮮国王の「千歳」でもなく、「九千歳」という言葉を使わせていた人物がいた。
今回は、その魏忠賢(ぎちゅうけん)について書いていこうと思う。
この魏忠賢は宦官(かんがん)だった。
一般常識として、宦官のことは知っておいたほうがいいですよ。
ということで、宦官も簡単に紹介しようと思う。
「中国や韓国(朝鮮)にはあって、日本にはなかったものは何か?」
そんな質問をされたら、どう答えますか?
いろいろあるけれど、例えばこんなものは日本にはなかった。
・科挙(かきょ)という官僚の登用試験、今でいう国家公務員試験だ。
中国や朝鮮では、試験に合格した官僚が国を支配していた。
でも、日本では侍が支配していた。
侍になるために、試験に合格する必要はない。
侍の家に生まれたら、自動的に侍になる。
日本で科挙はいらなかった。
・日本には易姓革命もなかった。
中国や韓国では王朝が何回も替わっているけれど、日本は一度も替わっていない。
天皇家は古代から続いている。
日本には易姓革命による王朝の交替はなかったけれど、朝廷と幕府の「朝幕併存」という政治体制があった。
中国や韓国の歴史では、この幕府なんてものはない。
ほかにも、「宦官(かんがん)」がある。
中国や韓国には宦官がいたけれど、日本にはいなかった。
宦官
宮廷につかえる去勢された男性。明では靖難の役で大きな役割を果たし、以後皇帝の側近として重用された。警察・司法の長官職を独占するなど弊害は大きく、官僚や知識人にきびしい弾圧を加えてた。
「世界史用語集 (山川出版)」
「去勢された男性」とは、簡単に言ったら「チンチンを取った男性」のこと。
宦官は中国や韓国はもちろん、インドのムガル帝国にもいた。
でも、日本にはこれがない。
少なくとも制度として宦官がいたことはない。
その理由を中国メディアがこう分析している。
サーチナ の記事(2015年4月18日)から。
日本が宦官制度を採用しなかった理由としては「仏教の影響で残酷なことを嫌った」可能性を指摘。さらに日本人は「農作物の品種改良は大いに発達させたが、畜産業がほとんど存在しなかった」ため、去勢の知識も知らなかったことを挙げた。
先ほど宦官の説明には、「警察・司法の長官職を独占するなど弊害は大きく、官僚や知識人にきびしい弾圧を加えてた」と書いてある。
皇帝の近くにいることで、宦官が皇帝をコントロールしたり権力を握ったりすることがあった。
絶大な権力を握りやりたいことが自由にできるとなると、人は悪魔に変わる。
気に入らない人間がいたら、法を無視して捕まえ、拷問して殺す。
中国の歴史には、そんな宦官がたくさんいる。
そして、宦官が国を亡ぼす原因になることもあった。
魏忠賢(ぎちゅうけん)という宦官はまさにそれ。
魏忠賢(1568年 – 1627年)は明の時代を生きた人物でためらうことなく、「中国最悪の宦官」と言えるようなヤカラだ。
時代の最高実力者だった魏忠賢にとって、中国という国は私物同然で何でも好き放題にできた。
自分を批判する人間を見つけたら、拷問して殺してしまうし、悪口を言った者がいたら生きたまま皮をはぐ。
そんな恐怖政治をおこなっていた。
「自分は偉大だ!」と思う人間は、それにふさわしい呼び方を周りの人間に求めるのがお約束。
中国で敬意をあらわす最高の言葉に「万歳」があった。
でもこれは皇帝のためだけに使う言葉で、いくら魏忠賢でも、他人に自分を「万歳」と言わせることはできなかった。
そこで彼は、万から1千を引いた「九千歳」という言葉を使わせていたのだ。
外出するときは、前方を衛士の隊伍が道を清め、あとは数万人の人馬がお供としてつづき、道を挟んだ民には土下座させ「九千歳」と叫ばせた。
「ウィキペディア」
人を”バカ”にさせたかったら、権力を握らせて、批判する人間をなくせばいい。
こうしたら、人は周りが見えなくなって、身のほども分からないバカになる。
この時代、満州にいたヌルハチが後金(後の清)を建国する。
明と後金は激しくたたかっていた。
でも、明の武将が後金とたたかって負けたとしても、魏忠賢にワイロさえ渡せばノープロブレム。
敗将の罪は見逃される。
こうして後金は勢力をのばしていく。
そして明は1644年に滅亡する。
明朝最後の皇帝「崇禎帝(すうていてい)」は、首をつって自殺した。
日本には易姓革命がなかったから、天皇がこうなることもなかった。
北京の紫禁城の裏に、崇禎帝が首をつった木がある。
この木。
今は2代目か3代目になっている。
明が滅びた原因の1つに、魏忠賢という宦官の存在がある。
日本について言えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵も明滅亡の原因になっている。
悪いね。
悪者はそれにふさわしい最期をむかえる。
先ほどの崇禎帝(すうていてい)が新しい皇帝になると、魏忠賢は一気に力を失う。
そして、首をつって自殺した。
その遺体は、はりつけにされ、首はさらし者となる。
魏忠賢の一族も処刑された。
実力としては中国皇帝を超える存在だった魏忠賢も、最期は自殺に追い込まれてこの世を去っている。
日本風にいえば、どんなに勢いのある者でも最後は必ず滅ぶ、春の夜の夢でしかないという平家物語の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」だ。
そうなりたくなかったら、自分を批判するうるさい人間を、常に身の回りに置いておくことがいい。
それにしても、日本に宦官がいなかったのは正解だった。
おまけ
魏忠賢や崇禎帝が住んでいた紫禁城。
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