1933年、日本は国際連盟を脱退。棄権したタイの人気が爆発

 

トランプ米大統領が「エルサレムをイスラエルの首都と認める」と言って、世界が大騒ぎになり、国連総会が開かれることになった。
結果、トランプ大統領にこの決定の撤回を求める決議が採択される。
対してアメリカは決議に賛成しなかった(つまり、アメリカに反対しなかった)64カ国に、「国連の無責任なやり口に加わらなかったことに感謝する」と謝意を表した。

朝日新聞の記事(2017年12月22日)

賛成しなかった国と「友情の宴」 米大使、国連決議に

さらにアメリカは国連決議に反対・棄権した64ヵ国と、「米国への友情に感謝する宴(うたげ)」を行うことにしたという。
「自分の言うことに反対しなかった国=友好国」として、パーティーを開くという発想は本当にアメリカらしい。
ちなみに日本は国連で決議に賛成したから、このパーティーに参加することはできない。

 

さて、1933年(昭和8年)の日本なら、今回のアメリカと同じように「国連の無責任なやり口に加わらなかったことに感謝する」とタイに発信していたかもしれない。
この年に日本は、リットン調査団の報告が原因で国際連盟を脱退している。
国連の総会で、「日本軍は満州国から出て行くべき」というリットン調査団の報告に対し、42カ国が賛成して日本だけが反対する。
これにブチギレて日本は国連に背を向けた。

国際連盟脱退

1932年10月、国際連盟理事会は13:1で満州国からの日本の撤兵を勧告。国際連盟総会も1933年2月、リットン報告書に基づく対日勧告案を42:1で採択。日本は3月に連盟脱退を通告した

「日本史用語集 (山川出版)」

 

上の説明にある「対日勧告案を42:1で採択」をもっと細かく見ていくと、「賛成42、反対1、棄権1」になる。
反対の1はもちろん日本で、棄権した1国というのがタイ(シャム)だ。

「世界の中でタイだけは日本に反対しなかった!」ということで、日本ではタイ人気が一気に高まる。

齋藤正雄氏は論文にこう書く。

1933年の国際連盟脱退をきっかけにタイは日本から思ってみない熱い視線を投げかけられることになりました。

タイ国日本語教育小史 -昭和17年の柳澤健論文をもとに

 

これは日本にとっても予想外のことで、「国連の無責任なやり口に加わらなかったことに感謝する」とタイに厚くお礼を言ってもおかしくない。
これで世界での完全孤立を免れたワケだから、日本の歴史上、タイの人気がもっとも高まったのはこのときだろう。

 

 

とはいえ、タイが棄権したのは「日本を支持したから」というわけではなく、タイの国益を第一に考えたらそれがベストの選択だっただけのこと。
地理的に近い日本も、大国の欧米も敵にしたくなかったタイとしては棄権することが無難。
でも、日本を喜ばせたということは、欧米を不快にさせることになるから、中立を貫くことにも勇気と覚悟が必要だ。

ただ、その2年前のことも影響していたかもしれない。
1931年に、タイ(シャム)のプラチャーティポック国王が日本を訪問した。
これは非公式で、アメリカへ行く途中で日本に立ち寄ったという軽い訪問だったけれど、タイの国王が日本に来たのはこれが初めて。

アメリカからの帰りにも国王は日本を訪れた。
そのときの様子が外務省ホームページに書いてある。

帰国後,国王付副秘書官長は「日本では,群衆が「チャイヨー」(シャム語で「万歳」)と叫び,至る所でシャム国歌が演奏され,観劇の際には日本人俳優によりシャムの演劇が上演されるなど,日本国民の熱心な歓迎振りに国王一行は深い感動を与えられた」と新聞記者に語りました。

プラチャーティポック国王の来日

こうしてタイと日本の関係が親密になっていたことも、タイの棄権に影響を与えたのでは。

 

 

この後タイはフランスと対立するようになる。
でも、国際連盟から脱退した8年後、日本が仲介役となってタイとフランスとの間で東京条約が結ばれた。
これによって両国の争いは解決されて、タイは当時フランス領だったラオスやカンボジアの一部を手に入れることできた。
アンコールワットで有名なシェムリアップも、このときタイの領土になっている。
この東京条約はタイにとってかなり「おいしい結果」だ。
日本がタイに有利になるよう配慮したのも、「国連決議のとき、タイだけは反対しなかった」と、日本が感謝したからだとか。

 

 

バンコクに行ったら、この戦勝記念塔を見かけるかもしれない。
ここにBTSの「ビクトリーモニュメント駅」がある。
これはフランスとの戦闘で亡くなった兵士のためにつくられたもので、「勝利」とはフランスに対する勝利のこと。
東京条約と同じ1941年に、この戦勝記念塔が建てられた。

 

ちなみに今年はタイとの関係が始まって130年になる。

2017年は、日タイ修好130周年という両国にとって節目の年となります。今から130年前の9月26日、両国の間で「日暹修好と通商に関する宣言」という条約に署名が行われ、正式な外交関係が開始されました。

日タイ修好130周年公式ウェブサイト

 

おまけ

タイのショッピングモールで開かれていた日本祭り。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。