光があれば、闇がある。
他人が幸せだと自分が不幸に見えることがある。
そんな人たち(たぶん)が日本でクリスマスを祝うことに反対して、「クリスマス粉砕デモ」をおこなった。
「革命的非モテ同盟」という団体によるデモで、20人ほどが渋谷周辺を歩いた。
その様子はニコニコ生中継で放送されて、1万2000人この”デモ”を見ていたという。
「革命的非モテ同盟」のホームページを見ると、このデモで彼らが訴えたいことが分かる。
「クリスマス粉砕!」
「カップルは自己批判せよ!」
「リア充は爆発しろ!」
「結婚しない自由を!」
「恋愛市場に巻き込まれないぞ!」
「街中でイチャつくのはテロ行為。テロとの戦いを貫徹するぞ!」
「すべての失恋者とクリスマス労働者へ」から。
ネットでは、「単純に寒い」とか「そんなことしてんと、モテる努力をしろ」といった小ばかにするようなコメントが多く、”ネタ”としか思われていない。
デモをしている本人も、日本で「クリスマス粉砕!」なんてできるわけないと思っているだろう。
日本での「反クリスマス」は、このぐらいの平和なものだ。
クリスマスを祝うことに反対したりひかえたりする動きは、世界の各地で見られる。
イスラーム教徒やユダヤ教徒など様々な宗教の信者がいるアメリカでは、テレビやラジオといった公の場で「メリークリスマス」という言葉を使わない動きが広がっている。
「メリークリスマスはキリスト教の言葉だから、他の宗教の人たちに配慮する必要がある」という理由で。
中国では、共産党員や公務員に対して「クリスマス禁止令」が出た。
中国政府はクリスマスを祝うことを「文化侵略」と考えているし、中国共産党は、党員が宗教を信仰することを認めていない。
インドにも、クリスマスに反対する動きがある。
これはかなり深刻だ。
インド北部にはチベット仏教徒もいる。
インドというと「ヒンドゥー教の国」というイメージが強いけれど、キリスト教徒もたくさんいる。
外務省ホームページにある「インド(India) 基礎データ」によるとこんな具合だ。
宗教
ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%
インドの人口を13億としたら、キリスト教徒が約3000万人いることになる。
およそ日本の人口の4分の1だ。
「インド人はクリスマスを祝うの?」
インドを旅行していたとき、宿のインド人スタッフにそんな質問をしたことがある。
彼はこう言う。
「するよ。ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒はしないけど、キリスト教徒は祝う。それと、外国人が利用するホテルやレストランでは、クリスマスの飾りをするな」
インドには、いろいろな宗教の信者や民族がいる。
インドは多様性の国で価値観や考え方がそれぞれ違うから、「インド人は~」とひとまとめにして言うことがむずかしい。
どこに行っても日本語が通じて、国民のほとんどが無宗教の日本とは違う。
「仏教徒だけど、ハロウィンもクリスマスもバレンタインもOK」というわけにはいかない。
インドでクリスマスはキリスト教徒の行事で、ほかの宗教の信者には関係ない。
関係ないから放っておけばいいのだけど、インドではそうはいかない。
キリスト教徒がクリスマスのイベントをしていると、それに怒る人たちが出てくる。
それで、「キリスト教徒が改宗を迫っている」という告発を受けて、警察がキリスト教の神父らを逮捕した
産経新聞の記事(2017.12.24)から。
中部マディヤプラデシュ州で、地元警察は14日、クリスマスの聖歌を歌っていた神父や神学生ら32人を拘束した。警察署に勾留されている神父らの様子を警察署に見に行った8人も逮捕された。
彼らは次の日に釈放されたけど、神父の乗用車は燃やされてしまった。
世界で「反クリスマス」の動きはいろいろあったけれど、ボクが知る限りで、逮捕や放火といった事態にまで発展したのはインドだけだ。
インドのお札
ヒンドィー語以外に、15もの言葉がある。
インドでは、州が変わると新聞の文字が変わってしまうことがある。
インドでの「反クリスマス」の背景には、宗教だけではなく政治的な理由もある。
今のインドでは、インド人民党の影響がすごく強い。
このインド人民党はヒンドゥー教の価値観を大切にしていて、「イスラーム教やキリスト教の価値観はインドには合わない」と批判している。
当然、ヒンドゥー教徒からの支持はとても高い。
インドのモディ首相がヒンドゥー教を特別重視していることもあって、インドでは今、”ヒンドゥー至上主義”が高まっている。
今回の「反クリスマス」の動きも、こうした社会的な背景から生まれたと考えられている。
ヒンドゥー教で、牛は神聖視されている。
それでインドでは、「イスラーム教徒が牛を殺した」という理由でイスラーム教徒が殺される事件がよくおきる。
くわしいことは、時事通信のこの記事を読んでほしい。
この背景にもヒンドゥー至上主義の高まりがある。
ヒンドゥーの神「シヴァ」。
日本では大黒様になっている。
世界では、クリスマスに反対する動きがある。
日本の「クリスマス粉砕デモ」はネタのようなものだから、大したことはない。
アメリカで「メリークリスマス」をひかえる動きは、移民から成り立つ多文化共生社会が背後にある。
中国の「クリスマス禁止令」は、共産主義思想による。
インドの場合はヒンドゥー至上主義が背後にあるから、これが一番ヤバい。
逮捕や放火だけではなくて、そのうち死者が出るような気がする。
日本人は大部分が無宗教だから、ある宗教を特別視してほかの宗教を批判する「~至上主義」という考え方がほとんどない。
こんな日本人の宗教観を見ると、鎌倉時代の北畠親房(きたばたけ ちかふさ)の言葉を思い出す。
北畠親房とはこんな人。
北畠親房 1293~1354
後醍醐・後村上天皇に仕えた南朝の重臣。吉野や常陸小田城などで作戦を指揮し、南朝勢力の保持・拡充に努めた
「日本史用語集 (山川出版)」
北畠親房は「神皇正統記」という書を残している。
その書の中に、宗教についてこんな記述がある。
*宗派とは、今でいう宗教のこと。この時代に「宗教」という言葉はなかった。
天皇としてはどの宗派についても大体のことは知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞ れに守護する宗派がある。一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。
「神皇正統記 日本の名著 (中央公論社)」
「いずれをもないがしろにしない」
「一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである」
鎌倉時代のこの宗教観は今の日本人と変わらない。
ヒンドゥー教の価値観を最高とし、イスラーム教やキリスト教を批判するヒンドゥー至上主義とはまったく違う。
「一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりする」というのが、「~至上主義」や「~原理主義」の考え方で、日本人はこれを嫌う。
だから日本では、特定の宗教に対する反対運動や宗教対立が社会問題になることがない。
おまけ
インドのヒンドゥー教寺院。
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