年末に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」で、浜ちゃんがこんな黒メークをした。
【ガキ使速報】
浜田が着替えたらエディ・マーフィーになりました。#ガキ使 pic.twitter.com/OstIKlP5Vq— ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! (@gakitsukatter) 2017年12月31日
これが「人種差別では?」と、ニューヨークタイムズやイギリスBBCなど世界的なメディアが取り上げて大騒ぎになった。
これを制作放送した側に黒人を差別する考えはなかったのだけど、日本にいる黒人作家はツイッターでこう訴えている。
Note to japanese performing in #BlackFace: #Blackness is not a punchline nor a prop. Need jokes? Get better writers. Need a black character, get a black actor that speaks Japanese. There are several! But please #StopBlackfaceJapan #日本でブラックフエイス止めて not a good look! pic.twitter.com/lN0E3bWsgY
— Baye McNeil (@Locohama) 2017年12月31日
黒人というのは、オチや小道具ではない。
ジョークが必要なら、もっといい作家を雇えばいい。
黒人のキャラクターが必要なら、日本語を話す黒人俳優を雇えばいい。
でもお願いだから、顔を黒く塗るブラックフェイスは止めてほしい。
そんなことが書いてある。
以前、ニュージーランド人がこんなことに驚いていた。
「今日ずっと街中にいたけど、日本人以外の人間を1人も見なかった。ニュージーランドの都市ではありえない。これぐらいの都市の中心部なら、いろいろ肌の色の人が歩いているから」
そんな社会のせいもあって、欧米人からは「日本人は人種差別の意識に鈍い」と映ることもある。
「浜ちゃんの黒メーク」のときと同じような反応を、別のところでも見たことがある。
これは「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」の動画なのだけど、この動画に寄せられた外国人のコメントを見てちょっと驚いた。
*この動画は後に削除されていた。
ここにも、顔を黒塗りにした日本人が出て来る。
この動画を見て、こんな感想を書き込んだ人がいる。
I was enjoying it up until the black face.
(黒塗りの顔が出てくるまでは楽しめた)
浜ちゃんの黒メーク騒動では、「欧米人の過剰反応では?」「ここは日本だから」という意見も多かったけど、もうテレビ番組で黒メークをすることはなくなるだろう。
2020年には東京オリンピックが開かれるし、大阪は今、万博の誘致活動をしている。
日本国内のことであっても、「欧米人の目」を無視できる時代ではない。
そんな日本が人種差別問題に関して、世界に誇っていいことがある。
それは、第一次世界大戦後の1919年に日本が出した「人種的差別撤廃提案」というもの。
人種差別禁止(撤廃)案
人種平等案ともいう。パリ講和会議で日本が提出。背景にアメリカ・オーストラリア・カナダでの日本移民排斥があった。英・米の反対で不採択になるが、支持する国も多かった。
「日本史用語集 (山川出版)」
日本が国連で、「人種差別の撤廃を明記するべき」と提案した。
こうした国際会議の場で、人種差別撤廃を主張した国は日本が世界で初めて。
このことについて、ヨーロッパに住んでいた作家のデュランれい子氏がこう書いている。
何かあるたびにフランス人は、「自分たちはフランス革命で自由・平等を勝ち取った」という話をします。そんなときに私が、「日本だって第一次世界大戦の後に、人種差別撤廃条約の提案をしたのよ」と言うと、若い学生たちは皆一様に驚きます。
「意外に日本人だけ知らない日本史 (講談社+α新書)」
日本が世界で初めて、国連の場で人種差別撤廃を訴えた。
これは、日本が世界に誇っていいことだけど、ボクが今まで聞いたなかで誰もこれを知らなかった。
日本人として、知っておいていいことだと思う。
イエズス会の宣教師と黒人奴隷。(ウィキペディアから)
おまけ
日本に黒人が初めてやって来たのは戦国時代のとき。
キリスト教の宣教師が奴隷として日本に連れてきた。
あるとき、宣教師が黒人奴隷を織田信長に見せたところ、信長はこの黒人の肌の色に強い興味をもつ。
信長は「きっと体に墨を塗っているにちがいない」と思った。
信長に仕えたアフリカ人
イエズス会宣教師が、ポルトガル人によってアフリカから連れてこられた黒人奴隷を初めて信長に会わせたとき、信長はからだに墨を塗っているものと思い込み、それが肌の色であると説明してもなかなか信じようとしなかったという。
「詳細 日本史研究 (山川出版)」
そして本当に肌が黒いのかを確かめるために、信長は彼の身体を洗わせた。
「体を洗っても肌の色が変わらない!」と驚いた信長は、その黒人奴隷を自分の家臣にしてしまう。
ここに、「弥助(やすけ)」という黒人の侍が誕生した。
この黒人侍は本能寺の変のとき、主君の信長を守るために明智光秀の軍とたたかっている。
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