今回はインドネシアと日本の話。
日本が戦争中、インドネシアにした良いことと悪いこと、それとインドネシア人が日本を好きな理由について書いていきたい。
でもその前に、まずはインドネシアという国について簡単に知っておこう。
*「日本との違いは何か?」ということを考えながら見てほしい。
1 面積:約189万平方キロメートル(日本の約5倍)
2 人口:約2.55億人(日本の約2倍)
3 首都:ジャカルタ(人口1,017万人)
ジャカルタは「ジャガイモ」という言葉の由来となった。
4 民族:大半がマレー系(ジャワ,スンダ等約300種族)
5 言語:インドネシア語
6 宗教:イスラム教 87.21%,キリスト教 9.87%(プロテスタント 6.96%,カトリック 2.91%),ヒンズー教 1.69%,仏教 0.72%,儒教 0.05%,その他 0.50%
この数字は外務省ホームページのインドネシア共和国(Republic of Indonesia) 基礎データから。
インドネシアの首都ジャカルタと東京を重ねとこうなる。
インドネシアの特徴は「何でもアリ」という多様性だ。
民族は「大半がマレー系(ジャワ,スンダ等約300種族)」で、宗教は上にあるとおり。
様々な民族がいれば、言葉もたくさんある。
インドネシアで「じゃんけん」を何て言うのか、インドネシア人に聞いたら、「島によって違います」と言われた。
外務省のホームページにもこう書いてある。
国語はインドネシア語ですが,地方によって文化が多様で地方ごとに異なった言語が使われています。
インドネシアという1つの国には、いろいろな民族・言葉・文化・宗教がある。
この多様性が日本との大きな違い。
そんなインドネシアの国是(モットー)がこれ。
「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」
カリマンタン島のオランウータン
オランウータンとは、「森の人」という意味。
少し前、記事でこんなことを書いた。
インドネシアの独立宣言文の日付けには、西暦ではなくて日本の「皇紀」が使われている。
日本軍がやって来るまで、インドネシアは約350年間、オランダに支配されていた。
だから、インドネシアの人たちは独立宣言文に西暦を書き入れたくなかった。
それで、日本の皇紀を日付けに選んだという。
独立宣言文
右下に皇紀「05(皇紀2605年)」がある。
くわしいことはこの記事をご覧ください。
この中で、「news-postseven」のこの記事を紹介した。
この記事にはこんなことが書いてある。
「インドネシアの人々は、独立のために日本が本気で支援したことを今も忘れていなかった」
「オランダの過酷な植民地統治に苦しんできた人々は、日本軍を歓迎したのである」
「驚くべきはPETAの旗だ。「大団旗」と呼ばれるこの旗は、日本の旭日旗をベースにデザインされたのだ」
「インドネシアの人々は、(中略)独立戦争で一緒に戦ってくれた日本軍と将兵の大きな貢献を決して忘れず、今でも日本に感謝の気持ちを持ち続けてくれているのである」
これらはすべて、ライターが取材にもとづいて書いた事実だと思う。
ただ、ボクの経験から言わせてもらうと、「インドネシア人は今でも、戦争中に日本がしたことに感謝している」と思っていると、きっとガッカリする。
ボクが会ってきたインドネシア人は、そうでもないから。
ボクが知り合ったすべてのインドネシア人は日本が好きで、日本にいい印象をもっていた。
でも、それは戦争中の日本軍によるものではない。
そもそも、戦争中の日本を知らなかったり、それには興味がなかったりするインドネシア人が多い。
例えば、インドネシアの独立宣言文に皇紀があることを知っているインドネシア人には、今までに会ったことがない。
日本に3年間住んでいて、日本語検定1級をもつインドネシア人でも、このことを知らなかった。
日本人と結婚して、15年以上日本に住んでいるインドネシア人も知らない。
インドネシア人の夫と結婚して、インドネシアに10年以上住んでいる日本人も「初耳です」と驚いていた。
皇紀のことを知っていたインドネシア人は、独立記念塔で働いていた職員しかいない。
旭日旗を元に旗をつくったという「PETA」についても、あまり知られていない。
友人のインドネシア人はこう言う。
「今のインドネシア人は、日本が組織した軍事組織『PETA』のことは知らないと思います。『PETA』という言葉を見たら、きっと『地図(PETA)』のことだと思うでしょうね」
こんな感じで、ボクが出会ったインドネシア人の中で、日本軍に感謝していた人は独立記念塔で働いていた職員だけ。
友人が言うには、インドネシアでは「労務者(Romusha)」という言葉がとても有名らしい。
これはインドネシアの歴史教科書にも書いてあった。
人々のあらゆる活動が、日本が敵と戦う上で必要なものを満たすために振り向けられたので、人民の苦しみは増す一方だった。
労務者(romusya;強制労働)になった人たちは特に苦しんだ。多くの人が空腹と病気のために犠牲となった「インドネシアの歴史教科書 明石書店」
でも、教科書には日本がした良いことも書いてある。
インドネシアにおける肯定的な面もあった。たとえば多くの点でインドネシア化が進んだ。とりわけインドネシア語が公用語となり名称がインドネシア語化され、政府高官の職務がインドネシア人に担当されるようになった、などである
「インドネシアの歴史教科書 明石書店」
インドネシアの国是(モットー)は「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」。
統一では、「みんなが同じ言葉をつかう」ということがとても重要になる。
日本軍はこの点で、インドネシアに貢献した。
くり返しになるけど、ボクが知り合ったすべてのインドネシア人は日本が好きで、いい印象をもっていた。
でもその理由は「戦争中の日本軍に感謝しているから」ではなくて、戦後の日本がインドネシア発展のために協力や支援をしてきたから。
さらに最近では、JKT48やアニメや日本食といった日本文化の人気が高い。
先日も、「インドネシアに『リトル大阪』という複合商業施設ができる」ということが話題になった。
「じゃかるた新聞」の記事(2018年02月03日)から。
日本人客だけでなくインドネシア人客をつかむことが成功の秘訣(ひけつ)と学んだ。ロフトでは来客者比率を日本人とインドネシア人それぞれ5割にする目標を掲げ、盆踊りなどのイベント開催や商品価格にも反映させる。
ちなみに、「リトル東京」はすでにある。
それで次はリトル大阪らしい。
じゃあ、その次はリトル名古屋かリトル福岡か?
それは分からないけど、とにかく、インドネシア人が好きな日本は戦争中の日本ではなくて、戦後の日本と思った方がいい。
日本のいろいろな文化が集まった「リトル大阪」はその象徴だ。
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