インドネシアと日本。独立宣言文の皇紀とペタを知ってる?

 

「こうき」という字を見たら、何を思い浮かべますか?

「工期」「好奇」「後期」「高貴」「好機」・・・。
まあ、いろいろありますよ。

でも日本人として大事な「こうき」に、「皇紀」がある。

皇紀とは、日本の初代天皇とされる神武天皇が即位した年からはじまる紀元のこと。
皇紀元年は紀元前660年だから、2018年は皇紀2678年になる。

太平洋戦争まではよく使われていたけど、今では皇紀を見る機会はめったにない。

 

神社の石碑に刻まれている皇紀

 

旧日本軍には、ゼロ戦と呼ばれる戦闘機があった。
太平洋戦争がはじまったころは、世界最高水準の戦闘機として連合軍に恐れられていた。

「ゼロ戦」の名称は皇紀に由来する。
この戦闘機が制式採用されたのが皇紀2600年(1940年)で、下2桁が「00」だったから。

くわしいことは名称を見てください。

 

インドネシアの首都ジャカルタに「モナス」という観光名所がある。

ジャカルタ観光では外せない定番のスポットだ。
特に日本人にとって。

モナスとはインドネシアの独立を記念するために建てられた塔のこと。

 

塔の高さは132mで、一番の上の部分は炎の形をしている。
独立戦争でたたかったインドネシア国民の闘志をあらわす。

 

このモナスには、1945年に当時のスカルノ大統領によって読み上げられたインドネシアの独立宣言文がある。

そしてこの独立宣言文に刻まれているのが皇紀だ。

「news-postseven」の記事(2018.02.10)にそのことが書いてある。

日付が「17-8-05」とある。なるほど独立宣言は、終戦2日後の1945年(昭和20年)8月17日だったのだから「17-8」は読み取れる。だが「05」はよくわからない。

驚くなかれ、それはなんと日本の「皇紀2605年」のことなのである。

インドネシアが独立宣言文に日本の「皇紀」を採用した想い

太平洋戦争で日本が来るまで、インドネシアはオランダによって支配されていた。
日本軍がオランダを追い出して、インドネシアは独立をはたす。

オランダに植民地支配されていたことから、スカルノたちは独立宣言に西暦を書きたくはなかった。
それで、日本の皇紀を独立宣言に刻むことにしたという。

 

これが独立宣言文なんだが、文字が小さすぎて皇紀「05(皇紀2605年)」は確認できず無念。

 

このニュースには、ネットでこんな反応があった。

・すごいな日本でも皇紀なんて耳にすることがないのに
・皇紀の記載された物って製鉄所の解体された工場で変圧器の銘板で見たことしかないな
・2605年とは凄いもんだね。
・今年は皇紀2678年になる訳だなw
・インドネシアは親日だ!

 

「news-postseven」の記事には、「PETA」(ペタ=祖国防衛義勇軍)についても書いてある。

ペタとは、日本軍の指導につくられた軍事組織のこと。

インドネシアの高校の歴史教科書にはこう書いてある。

ペタはインドネシアの若者をメンバーとした日本製の組織である。このペタ組織においてインドネシア人の若者が日本軍から教育と軍事訓練を受けた。

この若者たちがのちにインドネシア民族と国の独立闘争の大黒柱となった。そもそもこのペタの結成は、日本が太平洋戦争において連合国との戦いに必要な戦力を満たすためであった。

しかし、インドネシア人民にとってもペタは、武力による戦いを通じて独立を勝ち取るために大きな効用があることがわかった。

「インドネシアの歴史 (明石書店)」

日本の敗戦後、再びインドネシアを支配するためにオランダがやってくる。
このときペタはオランダ軍と戦う主力になった。

日本兵もインドネシアの兵士とともに、独立を守るために戦っている。

この独立戦争には、スカルノやハッタらインドネシアの民族独立主義者の理念に共感し、軍籍を離脱した一部の日本人3,000人(軍人と軍属)も加わって最前列に立って戦い、その結果1,000人が命を落とした。

「ウィキペディア」

”戦友”となった日本兵は、ジャカルタの国立英雄墓地などに埋められている。

インドネシア人と一緒に独立戦争を戦った最後の日本人が2014年に亡くなった。
「インドネシア人の本音」の記事(2014年8月19日)から。

インドネシアの対オランダ戦争に加勢したのは、日本がインドネシアを独立させるという約束に負い目を感じていたからだと小野は語る。「その約束ももちろんですが、オランダにやられ撃たれていくインドネシアの人々を見るのが忍びなかったからです」と小野は2013年10月末に語った。

「最後の残留日本兵、小野盛さん死去」に関するインドネシア現地報道まとめ

 

先ほどの「news-postseven」の記事は最後にこう結んでいる。

大東亜戦争後も独立戦争で一緒に戦ってくれた日本軍と将兵の大きな貢献を決して忘れず、今でも日本に感謝の気持ちを持ち続けてくれているのである。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。