マメ知識
インドネシアとは、「インド(ス)」と「ネシア」のギリシャ語からできた国名だったのです。
インドネシア共和国観光省の公式ページから。
インドネシアという言葉は、ギリシャ語の「インドス(indos)」と「ネソス(nesos)」という二つの単語から成っており、”東インドの島々“という意味を持っています。
さて日本とインドネシアの関係について、ある日本人はこう考えていた。
「インドネシアはオランダの植民地にされていた。日本がその支配から解放した」
「インドネシアが独立を守ることができたのは日本人のおかげだ」
その一方で、あるインドネシア人は日本とインドネシアの関係をこう考えていた。
「オランダの植民地支配が終って、次は日本による植民支配が始まった」
この2人が話をしても考え方は合わない。
それで日本人が怒り出す。
そんなことを前に書いた。
インドネシア人を困らせる日本人。上から目線で戦争の歴史を語る
なんでこのインドネシア人は、こんな歴史の認識をもつようになったのか?
その最大の理由は、インドネシアで受けた歴史教育の影響でしょ。
太平洋戦争の前後での、日本とインドネシアの関係についてどう学んだのか?
その内容によって、彼の歴史観がつくられていったはず。
今回からは、そのことをインドネシアの歴史教科書から見てみたい。
ボクが読んだのは、インドネシアの高校生がつかう歴史教科書「インドネシアの歴史教科書 明石書店」というもの。
歴史教科書では、「子どもたちに愛国心や民族としての誇りを育てること」ということがねらいになっている。
だからその考え方にもとづいて、日本とインドネシアの関係についても書いてある。
インドネシアの歴史教科書はインドネシア人のために書かれたものだから、日本人に向けたものではない。
当たり前だけどね。
「インドネシアの独立はインドネシア人が達成し、守ってきた」ということが教科書のテーマだから、「日本がオランダの植民地支配からインドネシアを解放した」とか「日本のおかげで独立できた」といった日本への感謝の言葉はない。
インドネシアの商店
日本軍がインドネシアに侵攻したとき、インドネシアはオランダの植民地として支配されていた。
日本軍がインドネシアのオランダ軍を降伏させたことで、350年にもおよぶオランダの支配は終わりをむかえる。
10日ほどの戦闘の後、在東インド植民地軍は全面降伏し、オランダ人の一部はオーストラリアなどの近隣の連合国に逃亡した。以後、東インド全域は日本の軍政下に置かれた。
「オランダによる350年の東インド支配」が実質的に終了したのである。
(ウィキペディア)
ここから、日本軍による占領が始まった。
インドネシア人は日本軍が来ることを知っていたらしい。
インドネシアの歴史教科書には、日本軍のインドネシア到来について「ジョヨボヨの予言」にあったと書いてある。
ジャワは黄色い人種によって支配されるがその支配期間は「とうもろこしの寿命」にすぎない、そして黄色人種の植民地支配が終るとインドネシアの独立が実現する、というジョヨボヨの予言が現れた。
ジャワの人々が信じていたこの予言を日本はうまく利用した。そのため日本がインドネシアに進駐したことは、ごく自然なこであると人々はみなした。
「インドネシアの歴史教科書 明石書店」
赤いところがジャワ島。
インドネシア最大の島で、ここに首都ジャカルタがある。
画像はウィキペディアから。
「ジョヨボヨ」とは、11世紀のインドネシア(ジャワ島)にいた王様の名前。
このジョヨボヨ王が、これからジャワでおこることを予言していたという。
「ジョヨボヨの予言」とはこの王の予言のことで、インドネシアのジャワ島で昔から人びとによって語りつがれていた。
インドネシアの歴史教科書では、日本軍がこの予言をインドネシア支配のために「利用した」と書いている。
日本軍を「解放者」や「救世主」とはみていない。
これは、この後に出てくる「ペタ(インドネシア人による軍事組織)」についても同じ。
これも日本軍の目的のために、「インドネシア人を利用した」という書き方をしている。
日本の本やネットのサイトでは、これとは違う視点で書いているものがある。
ネットや図書館で探したら、「ジョヨボヨの予言どおり、黄色い肌の日本がやってきて現地の人たちは歓迎した」といったものを見つけることができると思う。
ジョヨボヨの予言があったことは事実。
だけどその予言の解釈のしかたは、インドネシアと日本とでは違っているというだけ。
人によっても理解のしかたが変わってくるだろう。
ジャワ島には世界遺産のヒンドゥー教寺院「プランバナン」がある。
このジョヨボヨの予言と似た話は、南米のインカ帝国にもあった。
インカ帝国にあった神話によって、スペイン人が簡単にインカ帝国を支配することができたという話がある。
スペイン人が来てキリスト教を布教する前まで、インカ帝国では「ビラコチャ」という神様が信仰されていた。
彼は当時無秩序だったアンデス地方の人々にいかに生活するかを示し、人々に慈愛や親愛を説いたとされる。容姿は白人であご鬚をたくわえ大柄な男性。
(ウィキペディア)
スペイン人がインカ帝国にやってきとき、現地の人たちは「インカ神話のビラコチャが来た!」と喜ぶ人がたくさんいたという。
そのことが結果的に、スペイン人によるインカ帝国の征服に役だった。
16世紀以降のスペインの年代記作者たちは、フランシスコ・ピサロ率いるコンキスタドールが初めてインカ人と遭遇した際に、白い肌がインカ神話のビラコチャと似ていたために神として歓迎されたという報告を記載している。
(ウィキペディア)
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