はじめの一言
「西洋では、新しく一つの形をとれば、前のものは見捨てられ、再び戻ってくることはないのです。日本では神社と歴史とが相互排除的なものとは考えられておりません(レヴィ・ストロース 昭和)」
これは、バンコク(タイ)のショッピングモールの中
今回の内容
・日本と韓国は、一緒に戦ってしまったから
・反日感情の「原点」1945年8月15日
・日本と韓国は、一緒に戦ってしまったから
前回の記事で、こんなことを書いた。
「イギリスとフランスは仲が悪いといっても、大したことはない。第二次世界大戦で共にドイツと戦った仲間だし、深いところでは信頼があるんだろう」
このことを考えると、「日本と韓国は仲が悪い」というのとは次元がちがう。
日本と韓国も、第二次世界大戦で「一緒に戦った」という経験がある。
でも、これは日韓併合によって、「韓国(朝鮮)という国がなくなってしまった」ということを意味している。
現在の韓国人は苦々しく思ってるのは、まさに、「日本人と同じ国民として戦うことになった」ということ。
韓国の反日感情の大きな原因は、この「同じ国民になってしまった(された)」ということにある。
友だちで、「韓国に旅行に行きたいけど、韓国の人って反日感情があるんだよね?それが心配」という人がいた。
インドで会った日本人旅行者は、ハンガリーで韓国人の旅行者から「日本人は、本当に歴史を知らない。なんでそんなに無関心なんだ?」と怒られたと話していた。
今回の記事では、この「韓国人の反日感情」について書いていきたい。
韓国人と接点があるかも、という人はぜひ、見てください。
私たち争いは、大したことありません。
バンコクのショッピングモール
・反日感情の「原点」
韓国人の反日は、いつから始まるのか?
これにはいろいろな見方があるけど、一番大事なポイントは、「1945年8月15日」だろうね。
これは、日本がアメリカに降伏して戦争が終わった日。
韓国にとっては、日本の韓国(朝鮮)支配が終わったときでもある。
でも、この「支配の終わり方」がマズかった。
韓国は、自分の力で独立をつかみとることができなかった。
これについて、韓国に精通しているジャーナリストの黒田勝弘氏は、こう言っている。
韓国(朝鮮)が自力で自ら解放を勝ち取れなかったということは、彼らにとっては憤懣やるせないことだ。
日本との歴史においては、日本に支配されたこともさることながら、その支配から自力で脱出できなかったという鬱憤の方が実はもっと大きいのだ。
今に続く反日というか、日本に対する‘恨み節’に似た感情はそこに起因する。
自力で日本を追い出し解放・独立を実現しておれば、あるいは日本との独立戦争で日本を打ち負かし勝利しておれば、いつまでもぐずぐずと反日をいいつのることはなかっただろう。(‘日本離れ’できない韓国 黒田勝弘)
「日本との独立戦争で日本を打ち負かし勝利する」どころではなく、実際には、韓国人は日本軍と一緒になってアジアで戦ってしまった。
そして、韓国は自分の力で独立を勝ち取ることができなかった。
韓国人の反日感情は、この悔(くや)しさから始まるという。
これと同じことを評論家の小室直樹氏も言っている。
昭和二十八年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾した。
しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。金九、暗殺の神様といわれ、植民地時代に、独立を求める人びとの希望の星として、尊敬を一心に集めていた人物である。彼は、日本降伏の報に接したとき、天を仰いで長嘆息した。
―韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もできなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。最後まで、日本軍に制圧されたままの解放なんて、結局、何にもなるまい。
(中略)自力で日帝から解放することもできなかったわが同胞に、とてもそんな力があるとは思えない。この金九の嘆き。ここに韓国人の対日感情の原点がある。
(韓国の悲劇 小室直樹)
金九(キン・グ)は、韓国の政治家で、「1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であった(ウィキペディア)」という人。
現在の韓国では、民族の英雄とされている。
韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もできなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。
この金九の嘆きに、「韓国人の対日感情の原点がある」と小室直樹氏はいっている。黒田勝弘氏も、「日本に対する‘恨み節’に似た感情そこに起因する」といっている。
金九
韓国の高校の歴史教科書からも、その「嘆き」に似た気持ちがうかがえる。
*次の文中の「光復」とは「独立」のこと。
しかし、1945年8月15日、日本の無条件降伏によって、韓国光復軍はその年9月に実行しようと準備中だった国内進入計画を実現できずに光復を迎えたのである。
(韓国の歴史 明石書店)
「実現できずに光復を迎えたのである」という文からは、「この計画が実現していて、日本と戦って韓国を解放できていれば」という「悔しさ」を感じとることができる。
結局、それを実現できずにアメリカが韓国を解放してしまった。
「植民地として支配していた国と戦って、自分たちの力で独立を達成した」
かつて西洋の植民地だった東南アジアの国に行くと、それを誇りにしていることを感じる。
博物館では、その国の人たちが西洋の国とどれだけ勇敢に戦い、苦労のすえに独立を勝ちとったかをくわしく紹介している。
でも、残念ながら韓国にはこの歴史がない。
このことは、同じく「植民地支配」されていた韓国と東南アジアの国々とは大きくちがう。
タイは隣国のミャンマーとあんまり仲が良くない。
昔、タイ(アユタヤ)を攻め滅ぼされたから。
こんな疑問を感じたことがない?
東南アジアの国は、植民地支配していたフランスやイギリスに対して、反省や謝罪を強く要求しないし、それらの国への反感も小さい。
それ対して、韓国は日本に対して何度も反省や謝罪を要求する。
反日感情も、とても強い。
この違いはなんで生まれたのか?
そのことを次回に書きます。
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