この台湾のお札には「中華民国八十九年」と書いてある。
いつから89年なのか? そもそもこの暦は一体何なのか? ということが今回のテーマだ。
今回の内容
・中国を変える「変法」
・西太后がつぶす「戊戌の政変」
・皇帝をなくす「辛亥革命」
・中国を変える「変法」
中国は秦の始皇帝以来、約2000年の間、一度も政治体制を変えたことはなかった。ずっと、皇帝が支配するという「政治体制」が続いていた。しかし、別の人間が皇帝になるという「政権交代」はよくあった。
つまり、皇帝は何度も替わわっても、「皇帝が支配する」という政治体制そのものは不変だった。
しかし、19世紀になって、西洋列強が迫ってくると、もうそんなことを言っていられなくなる。中国が変わらなかったら、ヨーロッパの植民地にされてしまうかもしれない。
そんなことで清朝末期になると、政治制度を変えようとする動きが出てくる。
その運動を「変法(へんぽう)」という。
変法
「変法」とは王朝創設以来の政治のやり方をかえること。 日清戦争の敗北後、康有為らは洋務運動の限界性を批判し、西洋や日本の政治制度を手本とした立憲君主制の樹立を目指し、政治改革をおこなった。
(世界史用語集 山川出版)
王や皇帝の権力の上に憲法があり、君主の権限が制限される政治体制を「立憲君主制」という。しかし、この政治改革(変法)はこの西太后によって失敗してしまう。
西太后
・西太后がつぶす「戊戌の政変」
西太后は同治(どうち)帝という皇帝の母親で彼の死後、光緒帝の摂政として絶対的な権力を握っていた。事実上の中国の支配者だった西太后が変法に反対し、この改革はつぶされた。
彼女は中心人物を処刑し、さらに光緒帝を幽閉した。これを「戊戌(ぼじゅつ)の政変」という。
変法は立憲君主制をめざす運動だった。
日本にように憲法を持った近代国家になろう! と中国人はがんばったが、立憲君主制というのは「憲法により、その権力の行使が制限された君主制」というもの。 だから、憲法ができてしまうと、皇帝もその憲法に従わないといけなくなる。
西太后は絶対君主制を望んでいたから、これは認められなかった。
宦官(かんがん)に担がれたみこしに乗る西太后
憲法ができたら、こんなぜい沢な生活ができなくなるかも。
西太后は国の予算を「ポケットマネー」と考え、好き勝手につかっていた。
それを象徴するのが北京観光の目玉になっている「頤和園(いわんえん)」で、この庭園のために惜しみなくお金が注がれた。
これが、日清戦争で日本に負けた原因の1つとなったと言われる。まさに国の私物化だ。
ちなみに、変法の中心となった人物に、康有為(こうゆうい)と梁啓超(りょうけいちょう)がいる。康有為は大隈重信や伊藤博文と付き合いがあって、日本との関係が深い。
・皇帝をなくす「辛亥革命」
中国では、洋務運動も変法も失敗してしまった。
そして、中国はヨーロッパの「半植民地」状態になっている。
変わらないといけないけれど、このままでは変わることはできない。
この当時の中国人は、こう考えたらしい。
「もう、ダメだ。君主制(皇帝)がある限り、中国は変わることができない。中国は、ヨーロッパのものになってしまうかもしれない。中国を救うために、皇帝をなくそう」
そして、ついに孫文が辛亥革命(しんがいかくめい)を起こして、皇帝をなくしてしまう。
辛亥革命
1911~1912 清朝を倒し、中華民国を樹立した革命
12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した
(世界史用語集 山川出版)
それが記事の上の写真の孫文さん。
秦の始皇帝が皇帝をなのったとき、中国の歴史に「皇帝」があらわれた。
それから約2000年間、君臨し続けてきたて皇帝という存在を、とうとう、中国から消し去ってしまった。
ここで、先ほどの台湾の話になる。
現在の台湾では、お札や新聞で、「民国紀元」という独自の年号が使われている。その年号は、辛亥革命で清朝を倒した年、1912年が元年になっている。
このお札は「中華民国八十九年」だから、2000年にできたもの。
ちなみに、金日成が生まれた年と明治天皇が亡くなった年も1912年だ。
台湾にあった韓国のガイドブック
使っている漢字が難しい~
「韓流」って言葉は、台湾の言葉。
日本がそれを輸入した。
中国人の友人からしたら、明治の日本が不思議にみえるという。
中国は、皇帝がいたままでは変わることができなかった。
洋務運動も変法も失敗してしまった。
そこで、とうとう、皇帝をなくしてしまった。
言いかえたら、もう、そこまでしないと中国は変わることができなかったのだという。
でも、日本では天皇がいたまま国内の改革をして、世界の列強とならぶ大国になっている。
これが、不思議だという。
この前書いた「源頼朝が幕府を開いたことが不思議だ」という中国人といい、日本の歴史には、中国人だからこそ、理解が難しいことがたくさんあるらしい。
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