知り合いのアメリカ人は神道を気に入っている。
神道はキリスト教よりいい宗教だと断言する。
そのアメリカ人はニューヨーク出身の20代の女性で、神道は女性を重視するからすばらしい宗教と思ったらしい。
なんでそう思ったのか聞いたら、「だって最高神は女神でしょ?」と答える。
一緒に伊勢神宮に行ったとき、ボクから「神道の最高神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、ここに祀られている」と聞いて彼女は衝撃を受けたという。
天照大神
キリスト教で、神はイエスという男性の姿で現れた。
ギリシャ神話に女神はいるけれど、最高神は男性の姿をしている。
最高神が女性という宗教は聞いたことがない。
こんな理由から、そのアメリカ人は神道が好きになっていた。
キリスト教(カトリック)では、女性が聖職者になることは認められていない。
カトリック側は「これは女性蔑視ではない」と言うけれど、そのアメリカ人は信じていない。
「そんなワケはない。あれは明らかに女性差別。キリスト教には女性を軽視する考え方がある」と言う。
「キリスト教には女性を軽視する考え方がある」といえば、トマス・アクィナスが「女は神の失敗作」と言っていた。
十三世紀、聖トマス・アクィナスはこう述べた。女は神がおつくりになった失敗作である。
「万物の創造においては、いかなる欠陥品もつくられるべきではなかった。したがって、女は万物創造の際に生み出されるべきではなかったのだ。」
ヴィッテンベルクに住むルター派の信徒たちは、女が本当に人間かどうかをめぐって論争した。
正統派は、すべての罪の責任は女にあると考えていた。「キリスト教封印の世界史 徳間書店」
トマス・アクィナス(1225頃~74)は高校世界史の重要人物だから、簡単に知っておこう。
トマス・アクィナス
中世最大のスコラ学者。パリ大学教授。
教父アウグスティヌス以来の信仰の超越性にアリストテレス哲学による理性を調和させ、スコラ学を大成した。彼の理論は現在においてもカトリックの一般的学説とされる。「世界史用語集 (山川出版)」
平成の現在、アメリカ人が「最高神が女性なんて、神道ってすてき」と言っていた。
16世紀、戦国時代にやって来た「ルイス・フロイス」というポルトガル人宣教師も、ヨーロッパと日本では女性の地位が大きく違うことに驚いていた。
「フロイスの日本覚書 (中公新書)」にこう書いてある。
ヨーロッパでは、夫婦間において財産は共有である。日本では、各々が自分の分け前を有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。
ヨーロッパでは、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。
ヨーロッパでは、男性が高いテーブルで、そして女性が低いテーブルで食事をする。日本では、女性が高いテーブルで、男性が低いテーブルで食事をする。
400年前の日本では、女性の力は今よりも強かったかもしれない。
財布は妻が握っているけど、さすがに「妻が夫に高利で貸しつける」ということはない。
ルイス・フロイスも高校日本史の重要人物だから、知っておこう。
1532~97 ポルトガルのイエズス会宣教師。
1563年に来日。京都で信長に謁見、秀吉とも親しくし、キリシタン布教の地歩を固めた。追放令で退去後、再来日し、長崎で死去。『日本史』を執筆した。「日本史用語集 (山川出版)」
江戸時代になると儒教の考え方が広がるにつれ、女性の地位は低くなっていった。
それを象徴するものが「三従の教え」だ。
三従の教え
家にあっては父、嫁としては夫、夫死しては子に従う三つの道のこと。特に江戸時代は、女性の心構えとして教えられた。
「日本史用語集 (山川出版)」
この三従の教えは儒教の影響を強く受けたベトナムや韓国にもあったと思う。
でも幕末に訪れたペリーは、日本の家庭では女性の地位が高いことに驚いたから、アメリカ社会に比べるとそういう面もあったのだろう。
でも、上に書いてきたことは神道とキリスト教のほんの一面でしかない。
神道でも「それは女人蔑視では?」と問題視されることが時どき起こる。
それで今、大相撲がネットでぶっ叩かれている。
次回、そのことを書いていきます。
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