はじめにクエスチョンです。
この手紙を書いたのは誰でしょう?
マラッカでたいへん信心深い、信仰のあついポルトガル人の商人から最近発見された幾つかの大きな島の話を聞きました。
その国は日本と呼ばれていて、イエス・キリストの教えを広めるうえでインドより発展しそうなところです。なぜかというと、日本人はどの国民より知識に飢えているからです
こう書いたのはフランシスコ・ザビエル。
ザビエルがこの手紙をローマのイエズス会に出したのは、1548年のこと。
その翌年1549年に、ザビエルは鹿児島に上陸している。
ちなみにイエズス会は、高校日本史でこう習う。
1540年の創立。宗教改革に対抗し、スペイン人イグナティウス・ロヨラを中心に、カトリックや東方方面への布教を使命とした修道会。日本布教の中心となる
(日本史用語集 山川出版)
ウィキペディアから
このザビエルによって、日本に初めてキリスト教が伝わった。
外国から来た宗教といえば、538年(552年)に、百済から仏教が来て以来のことになる。
キリスト教が来たということは、その神である「GOD」が来たことでもある。
「GOD(創造主)」という存在は、それまでの日本にはなかった。
それを知った日本人の様子をザビエルこう書いている。
日本の宗教は世界の創造について、つまり太陽や天や地や海などについて何も知りません。ですから日本人はそういうものが自然に生まれたとばかり思っています。霊魂の創造主であり同時に父であるたった一人おられ、万物はその創造されたのだということを聞いて彼らはびっくりしてしまいました
(ザビエルの見た日本 講談社学術文庫)
GODを知った戦国時代の日本人はかなり驚いたようだ。
まあ、そうだろう。
日本人は、この万物の創造主である神は善いものか悪いものか、また、それは善悪双方の根源であるかないかについていろいろ質問しました
悪魔は生来悪者で、人類の敵だと彼らは考えていました。もし神が善だとすれば、それほど悪いものを創造するはずがないと言いました(同書)
これとまったく同じ質問を、ボクもアメリカ人宣教師にしたことがある。
神は絶対に正しいのなら、なんで、人を苦しめる悪魔まで造ったのか?
いろいろ説明してくれたけど、よく分からなかった。
「ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)」では、日本人が「デウス(ゴッド)」に強い抵抗を示していたと書いてある。
ザビエルによると、当時の日本人は、万物の創造主である唯一の至高の存在という思想にどうしてもなじめなかった
ちなみに、日本でのキリスト教布教を難しくさせたのは、これだけではない。
それまでの日本になかった「創造主」という存在に、日本人が抵抗を感じただけではなかった。
日本人の仏教僧も布教の邪魔をしている。
ザビエルにとっては、仏教はキリスト教の「敵」。
それで、仏教僧を「悪魔」と呼んでいた。
この「悪魔たち」がザビエルの布教活動をさまたげる。
日本には「デウス(創造主)」に相当する言葉がなかったため、ザビエルはそのまま「デウス」というラテン語で日本人に布教をしていた。
キリスト教の布教を仏教僧が面白く思うわけがない。
そこで仏教僧は「キリスト教の教えはウソばっかりだ」として、「デウス」を「大うそ(だいうそ)」と呼んでいたという。
悪魔はまた、神、あるいはデウスのみ名を『ダイウソ』と言っています。それは彼らの言葉だと『大きなうそ』ということです(同書)
ずいぶん子供じみたことをしている。
現在、GODを日本語に訳すと「神」になる。
でも、「神(GOD)」はあくまで「THE CREATER(創造主)」のことで、神道の「神」とはまったく違う。
日本には、キリスト教のGODが存在しない。
だから、ザビエルが「デウス」として日本人に紹介したように、「ゴッド」とカタカナ表記にして、その新しい概念を日本人に知らせた方が良かったかもしれない。
ふつうの日本人が「GOD」と聞けば、「神」が頭に浮かぶ。
でも、それは神道の神だから、そのイメージでキリスト教やイスラム教を理解しようとすると、いろいろな誤解を生みやすい。
神道の「神」とキリスト教やイスラム教の絶対的な存在である「神(ゴッド・アラー)」は大きく違う。
生物や自然などこの世のすべてをつくりだした創造主(神)は、日本の神道にはない。
先ほど「当時の日本人は、万物の創造主である唯一の至高の存在という思想にどうしてもなじめなかった」という文を紹介した。
でもこの思想は、戦国時代の日本人だけではなくて、現在の日本人にもなじみにくいと思う。
日本人にとっての「神仏」と「GOD(創造主)」はあまりに違う。
「神様仏様」という親しみやすいイメージをもっていると、キリスト教の厳しいGODという存在は、日本人には受け入れにくいと思う。
ということで、ここまで、日本の「神」とキリスト教の「GOD」の違いを書いてきました。
最後に、アメリカ社会での「GOD」を紹介しようと思う。
伊勢神宮を「お伊勢さん」と呼ぶように、日本で神は人に近くて親しみやすい存在になっている。
アメリカでのGODはどのようなものなのか?
「聖書で読むアメリカ (石黒マリーローズ)」によると、アメリカは次のような国だという。
「『アメリカは、われわれは神を信ず(In God we trust)』One Nation Under Godをモットーとする国」
もうこの時点で、日本とはまるで違う。
そして、そういうモットーの国で生きるアメリカ人は、自分の生活の中で常にGODを意識し、GODと共に生きているように思う。
「世界に有名な歌手のマライヤ・キャリーが、2005年11月、アメリカ音楽賞受賞式で賞を受けたとき、次のように言いました。
『神様ありがとうございます。私がここにいるただ一つの理由は、神の恵みがあったからということです。そして皆さんも神を信じれば、祈りの中でお願いすることは何でもかなえられます』
次の受賞者カントリーソングの音楽家グレッチェン・ウィルソンも、神に感謝してこう言いました。『私はとても恵まれていると思います。皆さんおわかりのように、マライアはおそらく誰より上手に言いました。
でも、みんな神様に感謝しています。このことを可能にしてくださるのは、神様なのですから』(同書)」
何かの賞を受賞したとき、日本人なら、まず始めに「神様ありがとうございます」という言葉はなかなか出て来ないだろう。
「応援してくれた皆さんのおかげです」、「自分を支えてくれた家族や周りの人のおかげです」と、神ではなくて、自分の周囲の人に対して感謝の言葉を言うのが自然。
マライヤ・キャリーのように「私がここにいるのは、神の恵みによるものです。神を信じて祈ってきたからです」という言葉を聞いたら、普通の日本人なら違和感を覚えるのでは?
でもアメリカでは、これが普通。
この2人の言葉は常識内にあって、アメリカ人がこれを聞いても何の違和感もないはず。
ずい分、ながながと書いてきました。
要は、「神と「GODは違うんだよ」ということです。
この違いを踏まえたうえで、日本人にとっての「人と神と関係」とキリスト教徒にとっての「人とGODの関係」について、次の記事で書いていきたいと思います。
日本人の神への認識や神との関係が、「行きたいお寺や神社に行って、好きなお守りを買う」という行動につながっていると思います。
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