めっちゃ親日国のパラオ。天皇陛下が感謝された理由とは?

 

最初に記事のタイトルについて、チョイと説明させてほしい。

「天皇陛下が感謝された理由とは?」というのは、天皇陛下がパラオの人たちから感謝されたということじゃない。

逆で、「天皇陛下がパラオの人たちに感謝した」という意味。
「天皇陛下が~した」というのは失礼だから、「天皇陛下が感謝された」というタイトルにしたわけですよ。誤解のないように。

でもパラオの人たちは、天皇陛下が「心から謝意を表します」と言うほどのことをしている。

これからパラオという、めっちゃ親日的な国について知っていきましょう。

 

まずは、パラオの場所や基本的なことを確認しておきたい。

パラオはフィリピンの東にある島国だ。

 

国土は東京23区より小さい。

 

パラオは大の親日国として知られていて、日本とのかかわりも深い。

なんせパラオの第5代大統領は、クニオ・ナカムラ(中村 國雄)という日系人だから。
ちなみに彼の任期は1993年~2001年のあいだ。

ナカムラ元大統領は日本との関係をとても重視していて、何回も訪日している。
2009年には、所さんの「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」にも主演した。

パラオでは今でも、日本語が現地の言葉として使われている。
でも使い方は、独自に進化している。
「ジンジャ」や「クルマ」といった日本語を子どもの名前にすることもあるという。

 

下の言葉は日本語の「選挙」がパラオの言葉になったもの。

 

パラオとはこんな国だ。

1 面積:488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)

2 人口:21,291人(2015年)

3 首都:マルキョク(2006年10月まではコロール)

4 民族:ミクロネシア系

5 言語:パラオ語、英語

6 宗教:キリスト教

以上のデータは外務省ホームページの「パラオ共和国(Republic of Palau)基礎データ」から。

 

次はパラオの歴史をサクッと見てみよう。

突然だけど、ここで歴史クイズをひとつ。
1914年にはじまった「グレートウォー」とか「the war to end wars(戦争を終わらせるための戦争)」と呼ばれる戦争はなに?

答えは、第一次世界大戦。
このとき連合国の一員だった日本は、ドイツが統治するミクロネシアに攻め込み、パラオを含む独領ミクロネシアを占領する。
そして1920年に国際連盟から認められて、日本はミクロネシアの統治をはじめる。
パラオもこのときから日本領になった。

でも1945年の敗戦後、この地域は日本の手から離れて、アメリカが統治することとなった。

 

1914年から1945年までの31年間、日本による統治には良いことも悪いこともあったと思うけれど、いまのパラオ人は親日的で日本を好きでいてくれている。

韓国の場合、日本による統治が終わると、韓国社会にあった日本の影響(建物や言葉など)を消す活動が進められたけれど、パラオにそんな動きはなさそうだ。

日本統治時代に建てられた建物は、今でもパラオの最高裁判所や議会として使われている。

また、その時代に建てられた学校は高校に変わり、生徒がそこに通っている。
正門の柱などは、そのまま残されているという。

ちなみにパラオには「アサヒ球場」という野球場もある。

 

ジャーナリストの井上和彦氏が「news-postseven」の記事(2018.06.06)で、いまのパラオ社会に日本語由来の言葉が定着していることに驚いている。

「デンワ」(電話)、「サビシイ」(寂しい)、「コイビト」(恋人)など、多くの日本語が日常で使われているほか、パンツを「サルマタ」(猿股)といい、さらに女性用下着のブラジャーは「チチバンド」(乳バンド)、ビールを飲むことを「ツカレナオース」(疲れ治ーす)というから傑作だ。

皇皇后の行幸啓が休日となったパラオの「日本への思い」

現地の言葉になった日本語について知りたかったら、これをクリック。

パラオ語

 

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)、パラオのペリリュー島で、日本軍とアメリカ軍による激しい戦闘がおこなわれた。

要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いるという、日本軍が見せた組織的な抵抗戦術はアメリカ軍を苦しめ、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになる。 ペリリュー戦は唯一第1海兵師団が壊滅した戦いでもある。

ペリリューの戦い

この戦いで、1万人以上の日本兵が亡くなったといわれる。

 

ペリリューの戦いから71年後、2015年に天皇皇后両陛下がパラオをご訪問された。
現地では、パラオの人たちに感謝の気持ちをお伝えになっている。
宮内庁ホームページから。

私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し,その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。
また,私どもは,この機会に,この地域の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に慰霊碑や墓地の管理,清掃,遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

天皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば

このときペリリュー州は、天皇皇后がご訪問された4月9日を休日にして両陛下を迎えていた。

 

このニュースにネットの反応は?

・天皇陛下が訪問するとき、「もうすぐ訪問です! 天皇の車列がここを通ります!」とか中継しながら現地の人がまだ道路の縁石を黄色くペンキ塗りしていて、「のんびりした国なんだな(笑)」と思ったわ。
・俺も歴史で「日本は加害者」みたいな教育を受けてたから、心配しながら東南アジアを周ったが
実際に周った東南アジアは、俺が日本人だと判ると「家に泊まっていけやw」と。日本の軍歌を唄いだす様な爺さんがたまに居て、バリ島では実際に三週間も居候してしまったw
・パラオに行った事の無い日本人は絶対に行った方が良いよ
・パラオは真の親日国
・日本語が公用語の外国ってあるんやな
初めて知ったw

 

 

日本からパラオに行くのは難しいけど、日本のはるか南の小さな島国に、豊かな心を持った人たちがいることは覚えておいていい。
そこには各地に戦没者慰霊碑があって、日本人が眠っていることも。

現在、ペリリュー州にはペリリュー神社がある。
そこにある碑文には、アメリカ海軍のニミッツ提督が書いたというこんな言葉が刻まれている。

“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz”

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」

ペリリュー神社

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。