はじめの一言
「日本人の欲望は単純で、贅沢といえばただ着物にお金をかけるぐらいが関の山である。何となれば贅沢の禁令は、古来すこぶる厳密であり、生活第一の必需品は廉い(カッテンディーケ 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・ミャンマーの首長族に会ってみた
・首長族に話を聞いてみた
・ミャンマーの首長族に会ってみた
前に、インドのサティーという悪習について記事を書いた。
サティー
ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をすることである。
(ウィキペディア)
このサティーをなくそうと努力していたのが、イスラーム教徒(ムガル帝国)であり植民地支配していたイギリスであった。
現在では、インド人に聞ても「もう、そんなことやっているわけがないだろう」とあきれ顔で言う。
最後にサティーがおこなわれたと確認されるのは、1987年だという。
サティーという習慣は、今のインドからはなくなっているといっていい。
この記事を書いていて、女性の立場の弱さからくる悲惨さというものを強く感じた。
それで、思い出したことがある。
ミャンマー旅行で見た「首長族」と呼ばれる人たちのこと。
首長族とは、亜熱帯の大陸部東南アジア山間部に居住し、半農半狩猟を生業にする山地民である。とりわけ首を長く見せる風習を持つことで世界に知られる。
(ウィキペディア)
*もちろんサティーと首に輪っかをつけることを同じようなことだとは思っていない。
その話の前に、ミャンマーってどこか分かる?
ボクの友人では、「聞いたことがあるけど場所は知らない」というのがほとんど。
東南アジアを旅するバックパッカーならすぐ分かるはず。
でもこれはどうだろう?
むかし会ったバックパッカーから、これが分かったら「上級だ!」というクイズをされた。
「ミャンマーと隣接している国は?すべて言ってください」
さあ、できますか?
答えはここにあるとおり。
タイ、ラオス、中国、バングラデシュ、インドの5ヵ国。
ボクは、ラオスが分からなかった。
さて、ミャンマーの最大都市である「ヤンゴン(勝利の都)」に着いてから、飛行機でインレー湖に向かう。
目当ての首長族の人たちは、インレー湖の近くに住んでいる。
ヤンゴンからバス、列車、飛行機のいずれかでインレー湖を訪れ1人15000チャット(1500円ほど)で朝出発のボートで湖を周遊すれば、水上家屋の土産店で機織りする、タナッカー(顔の白塗り・ミャンマーの日焼け止め)をしたカヤンに会える。
(ウィキペディア)
ほっぺたのが、タナカ(タナッカー)という日焼け止め
このウィキペディアのとおり、ボクもお土産店にいた首長族の女性と会って話を聞いた。
彼女たちは、「パダウン族」と呼ばれる少数民族の人たち。
お土産店で機織(はたお)りをしている。
まあ何もしなくても、いるだけでも観光客を集めることができるわけだが。
パダウン (Padawn)
首長族と呼ばれるものの、正確には首が伸びているのではなく、幼少時から徐々に真鍮コイルを増やしていく過程で顎の高さが圧力によって引き上げられ、真鍮の重みで鎖骨と肋骨が沈下し、肩の位置が下がることで極端な撫で肩となり、首部全体に真鍮リングを纏うことにより首が伸びているように錯覚して見えるのである。
(ウィキペディア)
ここに書いてあるように、パダウン族の女性は真鍮(しんちゅう)の首輪をつけている。
その重みによって、肩が下がっていって首が長く伸びているように見える。
パダウン族はもともと首が長い人たちではない。
肩を強引に下げている感じだ。
そんなパダウン族の女性に話を聞いた。
苦しそうに見えるけど、「大丈夫です。慣れてます」とのこと。
・首長族に話を聞いてみた
このときはミャンマー人(カレン族)のガイドがいて、このパダウン族の女性から話を聞くことができた。
彼女が初めて首輪をつけたのは、6歳ぐらいのときだという。
1度にたくさん首輪をつけるのではなくて、成長するにしたがって首輪の数を増やしていったらしい。
このことはさっきのウィキペディアにも書いてある。
彼女はこの首輪が増えていくのがうれしかったらしい。
ボクからしたら、どう見ても不便にしか見えないけれど。
でも彼女がそう感じたのであれば、うれしいことなんだろう。
「お風呂に入るときや寝るときは、首輪を外すのですか?」
ボクの質問を聞いたら、笑い出す。
そんな日常生活についても話を聞いてみた。
そのことは次回に。
おまけ
ミャンマーへ旅行に行くなら、カックー遺跡がおススメですよ。
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