きょう11月7日は何の日か?
そんなのどうでもイイナ、と思わず読み進めてほしい。
2018年の11月7日は二十四節気のひとつ、立冬(りっとう)ですよ。
二十四節気とは、太陽の動きに合わせて1年を12に分けたもの。
古代中国で生まれて、日本でも使われていた。
立春、春分、夏至、大暑、立秋、秋分なんてのが二十四節気で、立冬もそのひとつ。
この場合の「立」はスタートの意味で、立冬とは「これから冬が始まりますよ」ということ。
次の「小雪(2018年は11月22日)」までが立冬の期間だ。
二十四節気は中国生まれだから、現代の日本の季節とはちょっと違う。
きのう、オーストラリアから戻って来たイギリス人と会った。
南半球にあるオーストラリアの季節は日本と正反対。
オーストラリアではこれから夏になるそうだ。
サンタクロースがサーフィンをする国はやっぱり違う。
そのイギリス人に話を聞いたら、「8月の冬を乗り越えたのに、日本でまた冬が始まる」とウンザリしていた。
でも日本には、耐寒最終兵器のKOTATSUがあるじゃないか。
*11月7日は「ココアの日」と「鍋の日」でもある。
来る人いれば、去る人もいる。
先週、知り合いのタイ人が帰国した。
彼は「冬が来る前に、バンコクに戻れてよかった」と笑顔を見せる。
そのタイ人が日本で一番イヤだったのは、冬の寒さに耐えること。
電気代は2~3倍になるし、アゲインストの風だと自転車が前に進まない。
*浜松には「遠州のからっ風」という強風が吹くのだ。
そうかと思えば、先月には、日本に住んでいたインドネシア人からメールが来て、「日本では秋なの?いいなあ。紅葉見たいなあ」と言う。
インドネシアは基本、夏しかない。
雨が降ったり気温は変化したりするけど、一年中Tシャツでいられる。
だから、桜も紅葉も四季の移ろいもない。
上のタイ人にはそれが良かったのだけど、日本の四季を恋しがるインドネシア人もいる。
春はあけぼの。
夏は夜。
秋は夕暮れ。
冬はつとめて。
平安時代、清少納言は「枕草子」に日本の四季をこう表現した。
「つとめて」とは早朝のこと。
日本人は太古の時代から、文句を言ったり感謝したりしながら季節とつき合ってきた。
これがなくなると、けっこう苦痛らしい。
タイを旅行していたとき、現地に住んでいる日本人からそんな話を聞いたことがある。
その人はバンコクでマージャン店とゲストハウスを開いていて、タイ人の奥さんと10年以上日本を離れて暮らしていた。
日本で定年退職したあと、タイやマレーシアで第二の人生を始める日本人は珍しくなかった。
「物価が安くてあったかい国でのんびり過ごしたい」という人に、タイとマレーシアはジャストマッチ。
たぶん今は違うと思うけど。
タイとマレーシアなら、本格的な日本料理が食べられるし信頼できる病院もある。
だからその点はいいのだけど、日本で生まれ育った人間には、「季節がいつまでも変わらない」というのはちょっとした拷問に感じる人もいるらしい。
雨季と乾季は春夏秋冬の変化とは違う。
変化がないと、生活に締まりがなくなって気持ちも緩んでしまう。
東南アジアが常夏ということは、頭では分かっていたけど、実際に暮らしてみるとなかなかツライ。
四季の移ろいを恋しがる日本人がけっこう多いという。
でも、「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」というじゃがたらお春よりはましのはず。
マレーシアで晩年、いやセカンドライフを送っている人の様子をネットで見てみたら、こんなことが書いてある。
「ロングスティの条件に、日本の四季の移ろいの美しさを求めるのは過剰要求です」
「四季のないマレーシアにいますと、時の流れがわかりにくい」
「年間を通して気候の変化がないので過ごしやすい一方で、四季もないので人によってはつまらなく感じてしまうかもしれません」
「マレーシアには四季がないと日本に帰っていった日本人」
そんな彼らが経験することのない立冬が、きょうから始まりますよ。
清少納言が書いた冬はあと少し。
雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。
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