はじめの一言
「子供は大勢いるが、明るくて朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいたようである。(パーマー 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
さて今回の内容ですよ。
・日本の歴史で、宗教が政治にかかわった例
・織田信長による「政教分離」
・ヨーロッパでの政教分離
織田信長がしたことといえば?
数々の戦国武将を倒して、天下統一をグッと近づけたこと。
その直前に、明智光秀によって殺されてしまったけれど。
でもこれ以外にも、日本にとって“良いこと”をしている。
それが、前の記事の終わりに書いた「延暦寺の焼き討ち」や「長嶋一向一揆」だ。
「いやいやいや、織田信長って、比叡山焼き討ちで数千人の僧や一般の人間を殺したじゃん。
長島一向一揆では2万人を殺した日本史の悪魔じゃんと思う人も多いと思う。
でも、ヨーロッパ史を専門とする塩野七生氏からみると、じつはこれが「日本人に与えてくれた最大の贈物」になるという。
織田信長が日本人に与えてくれた最大の贈物は、比叡山焼討ちや長島、越前の一向宗徒との対決や石山本願寺攻めに示されたような、狂信の徒の皆殺しである
「男の肖像 (文春文庫) 塩野七生」
「皆殺し」という表現がかなりきつくて抵抗があるけど、確かにこれは贈物にはなる。
その理由は、これによって日本での「政教分離」が進んだから。
・日本の歴史で、宗教が政治にかかわった例
「政教分離」という考え方はヨーロッパでうまれたものだけど、日本でも宗教が政治にかかわってきて混乱したことがある。
はい、ここで質問。
奈良の平城京から、京都の平安京に都を移した理由はなにか?
「奈良の仏教勢力を、政治から切り離すため」
というのが、遷都の大きな目的だった。
平城京は東大寺や興福寺など大きな寺社勢力があり、 仏教とは切っても切れない土地です。僧の中には贅沢な暮らしをむさぼり、 政治に口出ししてくる者もあったのです。そして政治と宗教が結びつくとロクなことにならないと、 桓武天皇は実感していました。
この具体的には、道鏡という仏教僧が天皇の位をねらったことがある。
平安遷都には、政治と宗教を切り離す(政教分離)という目的があった。
さらに平安時代には、白河法皇が自分の力でもどうしようもできないものが、この世に3つあると嘆いている。
それが、「サイコロの目・鴨川の水・山法師」の3つ。
このなかの山法師(やまほうし)とは、比叡山延暦寺にいた僧兵のこと。
でもこの3つのなかで白河法王が一番困ったのが、政治に介入してくる僧兵の存在だという。
「山法師」は名目こそは「神意」であってもその実は「政治」に他ならなかった。
既成の優遇措置を朝廷が他の寺社にも与えようとしたり、寄進された荘園を国司が横領しようとしたりするたびに、延暦寺は山王社の暴れ神輿を盾に、公卿百官を力で捻じ伏せていたのである。「天下三不如意」の真意は、この延暦寺に対して打つ手もなく苦悶する白河法皇の姿にある。
(ウィキペディア)
比叡山延暦寺の僧兵の後ろには、仏がいる。
「僧兵のすることは神意(仏意)である」と言われたら、彼らに逆らうことは神や仏に逆らうことにもなってしまう。
だから僧兵が政治に介入した場合、白河法王の力をもってしても、どうすることもできなかった。
もちろん、この時代の比叡山延暦寺の僧と現在の延暦寺の僧とはまったく違う。
この時代の僧は、一種の「攻撃的な武装集団」でもあった。
・織田信長による「政教分離」
こうした状況を一変させたのが、織田信長による比叡山の焼き討ちになる。
この時代の日本にいて、キリスト教を広めていた宣教師のルイス・フロイスは、織田信長という人についてこう書いている
彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。
(ウィキペディア)
神も仏も恐れない信長でしか、比叡山の焼き討ちなんてできなかっただろう。
これによってこれ以降、日本では宗教集団が政治に介入することが少なくなったという。
殺しまくられたほうも頭を冷やし、殺しまくったほうも、怖れから免疫になれたのだ。
そして、その後ともかくも四百年の間、無意識にしろ、この傾向は固まる一方だったのである。この四百年の政教分離の伝統を維持してきた国は、巧みにわが道を進んだ英国をのぞいて、他に一国もない。欧米諸国が現在にいたるまで、この問題で悩み苦しまされてきた実情を知れば、われわれのもつ幸運の大きさに、日本人がまず驚くであろう。
「男の肖像 (塩野七生)」
織田信長は、とんでもなく残酷な人間だと思われている。
でも、そういう人間でなければできなかったこともある。
神も仏も恐れなかった織田信長だからこそ、比叡山の焼き討ちをすることができて、その結果、日本で政教分離が進んだ。
信長がしたことは残酷なことではあるけど、決してそれだけじゃない。
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