日本・中国・韓国は“永遠のお隣さん”だから、それぞれがいろいろな影響を受けてきた。
古代についていえば、先進国の中国から日本や朝鮮半島に伝わったものが圧倒的。
漢字、製紙法、仏教、儒教といった文物は日本や韓国でも大事にされていた。
こんな背景があるから、日中韓の歴史や文化には共通点も多い。
でも島国の日本は、中国と陸続きの韓国ほど中華の影響を受けなかった。
だから、「中国と韓国にはあるけど日本にはない」というものもある。
例えば易姓革命だ。
*「姓を易(か)え命を革(あらた)む」
これは中国の政治思想で、簡単に言えば王朝(姓)が替わること。
高校世界史でならうことだから、おぼえておこう。
易姓革命
孟子がとなえた王朝交替の理論。天命を受けた天子が悪政をおこなえば、天は天命を革め(革命)、別の有徳者を天子とし、姓(王朝の名)を易えるとする。
「世界史用語集 (山川出版)」
民が苦しんでいるのは、皇帝(天子)が徳を失い悪政をおこなっているから。
そんな皇帝や王朝は早くなくして、別の人間が皇帝になって新しい王朝をはじめなければいけない。
中国にはそんな革命理論があった。
三国志で有名な言葉「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」はそのことを言っている。
蒼天(漢王朝)はもう死んだも同然。だから、黄天(次の王朝)が立たないといけない。
中国にはこんな易姓革命の考え方があって、それにしたがって歴史が動いてきた。
隋→唐→宋というように、王朝(皇帝)が次つぎと変わっている。
辛亥革命(1911~1912年)で皇帝がいなくなるまで、中国の歴史は易姓革命のくり返しだ。
韓国の歴史にも易姓革命はある。
1392年に高麗から朝鮮への王朝交替があった。
でも、日本にはこれがない。
易姓革命が起こることは一度もなく、王朝が替わることはなかった。
天皇家は古代からずっと同じ。
中国では王朝がコロコロ替わるけど、日本ではひとつの王朝が続いている。
それを知った中国皇帝(宋の太宗)は日中の違いをこうなげいた。
上(太宗)は、その国王は一つの姓で継承され、臣下もみな官職を世襲にしていることを聞き、嘆息して宰相にいうには「これは島夷にすぎない。それなのに世祚(代々の位)は遐久(はるかにひさしい)であり、その臣もまた継襲して絶えない。これは思うに、古の道である
「宋史日本伝 (岩波文庫)」
「島夷」とは島国に住む野蛮人といった意味で、日本人をディスってる。
でも、「古の道である」というのは理想的な政治ということで、易姓革命が起こらない日本をホメている。
日本では素晴らしい統治がおこなわれていると、中国皇帝が認めたということだろう。
王朝交替がないのは、天がその一族による統治を認めているということだから。
いまは少なくなったと思うけど、「日本は中国や韓国のマネばかりしてきた」と言う人が外国人にも日本人にもいる。
この三国は“永遠のご近所”で、似ているところが多いからそんな誤解が生まれるのだろうけど、実際には中国の皇帝がなげくほど大きな違いがある。
いわゆる「万世一系」だ。
逆に日本にはあるけど、中国と韓国にはないものに「元号」がある。
これも日本には天皇という存在がいるから。
あと少しで「平成最後の12月」が終わるいま、なんで日本にはそんな表現があるのか考えてみてもいい。
「平成最後の冬」という冬があるのは世界で日本だけ。
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