日本人にとって、中国の人たちはけっこうつき合いやすい。
というのは、中国は共産主義の国だから。
共産主義の考え方では、宗教を信じてはいけない。
だから中国人には無宗教の人が多い。
共産党員かは知らないけど、知り合いの中国人はみんな無宗教だから、食事については日本人と同じように考えることができる。
だからレストラン選びがすごく楽。
宗教禁忌があるとそうはいかない。
イスラーム教徒は酒と豚肉、ヒンドゥー教徒は牛肉、ヴェジタリアンやヴィーガンは全ての肉や卵なんかが食べられない。
ボクの知り合いにも、イギリス人や台湾人のヴェジタリアンやヴィーガンが何人かいる。
イギリス人は考え方や信念など個人的な理由でそうなったのだけど、台湾人の場合は宗教的な理由でヴィーガンになった。
台湾には「一貫道」という宗教があって、友人がそれを信じている。
台湾で一貫道の信者はけっこう多いらしい。
これは道教・仏教・儒教などの思想を組み合わせてできた宗教で、一貫道の人たちは「素食(ヴェジタリアン料理)」しか受けつけない。
こういう宗教禁忌のある人たちを食事に連れて行くとなると、レストラン選びに気をつかわないといけない。
ことしの夏、一貫道を信じる台湾人と京都を旅行したとき、食事がなかなか大変だった。
豆腐なら大丈夫と思って注文したら、上にネギが乗っていてアウト。
魚も卵もネギも食べられないとなると、日本でレストランを探すのがけっこうきつい。
その点、中国人は超楽。
たいていの日本人と同じく無宗教だから、食べ物や礼拝で独自のルールがない。
食事をする店は、営業時間・雰囲気・値段なんかで選べばいい。
それと無宗教の中国人なら、宗教行為を「文化体験」としておこなうことができる。
キリスト教徒の韓国人と清水寺に行ったとき、こんな言葉を聞いて少し驚いた。
「立派な仏像ですね。就職がうまくいくようにお祈りをしたいのですけど、わたしの信仰によってそれはできません。残念です」
おみくじを引いたりお守りを買ったりしたかったけど、ゴッドを信じる彼にはそれができない。
でも中国人なら平気。
一緒にお寺に行ったときは、「これも日本文化ですから」と平気で合掌していた。
「この像に祈れば仕事が成功するといわれている」と言えば、きっとよろこんで何度でも頭を下げる。
中国人は共産主義というより拝金主義だから。
中国人を神社に連れて行くと、彼は何の抵抗もなく「茅(ち)の輪くぐり」をしていた。
宗教を信じない彼にとっては何でも文化体験になるから、できることの幅が広い。
イスラーム教徒のインドネシア人は、茅の輪くぐりを宗教行為とみなして拒否した。
茅の輪をくぐると、罪やケガレがとり除かれると神道では考えられている。
上の写真は、2人のユダヤ教徒と京都の鞍馬寺に行ったときのもの。
鞍馬寺では、まず手水(ちょうず)でストップがかかる。
神社やお寺に入るとき、身を浄めるために水を手に注いだり口にふくんだりする。
それが手水。
このユダヤ教徒は水を手にかけていたけど、口にふくむことは拒否する。
前者は文化体験だけど、後者は宗教行為になるから。
鞍馬寺の境内ではこの御神木に目をとめていたから、それを背後に写真を撮ってあげようかと提案したら、それは却下された。
一神教のユダヤ教では異教の神は認められない。
「木に神が宿る」という考え方は絶対にダメ。
「この木はすごく日本らしいから写真に収めたいけど、わたしたちの宗教とは合わない」と言って写真も撮らなかった。
こうなると、何がよくて何がNGなのか分からない。
ちなみにユダヤ教徒の場合、ハンバーガーとチーズは食べられるけど、それが一緒になったチーズバーガーは食べられない。
くわしいことことはこれを見てほしい。
この規則は、マクドナルドが現地でフランチャイズをオープンし、チーズバーガーを提供し始めた時に、エルサレムで食のタブーを巡る大論争を巻き起こした。
この点、やっぱり中国人は楽。
食事にしてもどこかに行くにしても、宗教のルールを一切考えなくていいというのは日本人にとってすごく助かる。
ただこれは共産主義を無宗教とみた場合であって、それ以外のことでは、日本人と中国人の価値観や考え方が合わなくて、付き合いがむずかしいこともある。
とくにマナーやルールを守ることについてはぜんっぜん違う。
こちらの記事もどうですか?
いい勉強になりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
そう言ってもらえると書いたかいがあります。
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