前回の記事で、アメリカ人が感じた日本と韓国の大きな違いってのを書いた。
それは「空と太陽」。
衝撃的な大気汚染の韓国と違って、日本の空は青く澄んでいた。
日本に来て、久しぶりに太陽のかがやきを思い出したと言う。
いまの韓国の汚染っぷりは世界最悪レベル。
韓国紙・朝鮮日報の紙面はこのニュースであふれている。
良くも悪くも、そして辛い時も嬉しいときも、韓国はよく日本を見る。
大気汚染についても、日本の取り組みを紹介していた。
PM2.5:空気のきれいな日本、長年の取り組みとは
韓国は「毎日対ガス攻撃訓練を受けているよう」という状態なのに、なんで日本の空はきれいなのか?
日本も以前は、大気汚染に悩まされていた。
でも、2001年に環境省を新設してから、本格的な対応がとられるようになる。
たとえば、自動車の排出ガスを規制する「改正自動車Nox・PM法」をつくった。
その結果、いまの日本ではディーゼル車の割合はたった3%。
一方、韓国のディーゼル車の割合は約40%もある。
そんなことをふまえて、記事はこんな言葉で終わっている。
日本が大気汚染に悩まされなくなったのは、地理的要因だけではなく、政府と民間による多方面での取り組みの成果だといえる。
政府と民間が協力して取り組んだことが、大気汚染をなくす大きな要因となった。
これもきっと、日本と韓国の違いのひとつ。
この記事を書いていて、ある韓国人から聞いた話を思い出した。
ということで今回は、韓国人が感じた日本人と韓国人の違いについて書いていこうと思う。
それは一言でいうと、非常時に見せた国民的な協力体制。
その韓国人とは2011年、東京に住んでいた20代の女の子(当時)。
2011年といえば、東日本大震災が起きた年。
約1万8000人の死者・行方不明者を出した空前の大地震だ。
東京にいたその韓国人も、人生最大の揺れに心の底から恐怖を感じたという。
このときの地震と津波で電力設備が大ダメージを受けた。
当然、電力供給能力は大幅に低下する。
ということで、東北や関東の人たちが安定して電気を使えるよう、このとき日本全体で節電をおこなった。
東京にいた韓国人の子と会ったのも、ちょうど各地で節電をしていたとき。
そのときに、日本人と韓国人の違いをこんなふうに話していた。
あの地震のあと、日本人のみんなが協力し合う姿を見て感動した。
政府が節電を呼びかけると、店も個人住宅もそれに協力して、電気をできるだけ使わないようにする。
政府や自治体だけではなくて、個人レベルでも協力を訴えて、たくさんの人がそれに応じていた。
韓国だったらこれは無理。
政府が呼びかけても、協力する人は少ない。
まず、政府の言うことを国民は信用しない。
「電力が足りない」と発表しても、「そうは言っても、本当は大丈夫だろう」と個人で判断してしまう。
店側もあまり節電しない。
「そうは言っても、他の店は節電しないだろう。だったら、自分だけ節電していたらきっと損する」と勝手に考えて電気を使ってしまう。
この他にも計画停電をしようとすると、「なんでウチが!」と文句を言う人がたくさん出てきて、きっと日本のようにうまくは進まない。
もちろん個人でも店でも協力する人は出てくるけど、日本みたいに、国民全体がひとつになって協力することは考えられない。
節電するフリをする人ならたくさんいる。
これが彼女の意見。
あくまで1人の韓国人の意見だから、他にもいろいろな見方はあるはず。
でも、こんな中央日報の記事(2019年01月15日)を読むと、韓国では官民、民民一体の協力体制を築くことはむずかしそうだ。
粒子状物質のため購入のマスク、国が賠償すべきか=韓国
はじめに書いたけど、韓国の大気汚染は深刻で、国民は未知のゾーンに突入した。
この事態を政府の失策が招いたと考える国民は多く、このために買ったマスクは「国が賠償すべきではないのか」という声が多く上がっているという。
PM2.5による大気汚染なら日本でもあったけど、それに対する不満もあったけど、「粒子状物質削減政策に失敗した政府が国民の被害を賠償すべき」という声は聞いたことがない。
まあ、でもこれは韓国のことだから、国民の好きにしたらいい。
政府に抗議するとか、賠償を求めて訴えるとか、やりたいことをすればいい。
と思っていたら、すでに提訴済みだった。
韓国と中国を相手に各300万ウォン(約29万円)ずつ精神的被害補償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こした。
ボクの感覚だけど、これは日本人の価値観や考え方とは絶望的に違う。
国を訴える前に、ディーゼル車の割合を減らしてみてはどうか?
やっぱり韓国では、日本みたいな一致団結は無理だと思う。
あ、過去の歴史問題ならできるか。
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