日本海に面した韓国の江原道(カンウォンド)は、積雪が多くておそろしく寒い。
この道は「みち」ではなくて地域(行政区画)のこと。
国を「道」で分けるやり方は中国ではじまって、日本・ベトナム・朝鮮に伝わった。
日本ではいま「北海道」しか残ってないけど、韓国ではいまでも全国を道で分けている。
このへんに興味のある人はここをご覧あれ。
赤いところが江原道(カンウォンド)
韓国でもっとも寒い地域と言われる江原道では、2018年に平昌オリンピック・パラリンピックが開かれて世界の注目が集まった。
ただ日本人にとって最大の収穫は「モルゲッソヨ」で、日本にネット空間がある限り、このマスターピース(傑作)は永遠に語り継がれるといわれる。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
ネットで話題!平昌五輪の”モルゲッソヨ”とカンガルーの共通点。
地名度ではモルゲッソヨに遠く及ばないけど(日本では)、江原道には「破虜湖(パロこ)」という湖がある。
ここは朝鮮戦争で韓国軍が中国軍を撃破したところで、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が誇らしく「野蛮人を打ち破った湖」という意味で破虜湖と命名した。
でもそのせいで最近、中国の観光客や外務省から「その名称は気分が悪い」とクレームを受けていて、江原道は現在困り中。
勝者の視点でつけられた地名は敗者にとっては屈辱的だから、これは仕方ない。
くわしいことはこの記事を。
名称を変更するかどうかは韓国にまかせるとして、この記事で扱いたいのはこの発想だ。
戦いの勝利を記念して、その地に新しい名称をつける発想は世界中にある。
いままでにボクが旅行で行ったところにも、そんな「勝利の都」があった。
これからそれを見ていこう。
ではクエスチョン。
この都市はどこでしょう?
答えはエジプトの首都カイロ。
「スルタンホテル」という有名な日本人宿の目の前だから、1万人中1~2人は気づいたと思う。
日本でいえば平安末期、10世紀後半にファーティマ朝(チュニジア)の将軍ジャウハルがこの地のイフシード朝を打ち破り、首都フスタートの近くに新しい都をつくりはじめた。
この新都が「ミスル・アル゠カーヒラ(勝利の町)」という名で呼ばれる。
現在のカイロの歴史はここからはじまった。
カリフと官僚、軍人が住んだこの計画的政治都市はカーヒラ(「勝利」)と名づけられた。これが現在のカイロの起源である。
カーヒラが「カイロ」になった。
さあ、次は難問だ。
この都市はどこでしょう?
いやいや失礼。
「味の素」と「SINCE 1909」から都市名を判断できる人が地球上にいるわけない。
これはミャンマー最大の都市「ヤンゴン」で、かつては首都だった(2006年にネピドーへ遷都)。
むかしむかしここはモン族が支配する地で、「ダゴン」と呼ばれていた。
でも18世紀にビルマ族の英雄王アラウンパヤーが北からやって来て、モン族を撃破したことで、ダゴンは「ヤンゴン(戦いの終わり)」と呼ばれるようになった。
日本人がヤンと聞けば「ウェンリーですよね?」となるのだけど、当時のミャンマーの言葉でヤンは「戦い」、ゴンは「終わり」といった意味になるという。
イギリス植民地時代、ヤンゴンは英語で「ラングーン」と呼ばれていた。
これはその時代の建物。
ミャンマー人のガイドから、かつての名称「ダゴン」はミャンマーで最高の仏教寺院「シュエダゴン・パゴダ」に残っていると聞いた。
ミャンマーの首長族
長くなったから今回はここまでっす。
カイロとヤンゴンとモルゲッソヨで終わり。
次回も、戦いの勝利を記念してつけられた世界の地名を紹介します。
おまけ
ミャンマー人の誇り「シュエダゴン・パゴダ」
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