今までの旅が、ボクに自分を変えるきっかけをとなる刺激をくれたように、このブログでも、「読んでくれた人が、何かを変えるきっかっけになれるようなことを伝えられたらいいなあ」と思って書いてきた。
それは、前回言った中学レベルの歴史の人物や出来事だけにとどまらず、いろいろな価値観やものの見方も紹介してきた(つもりでいる)。
「一つの事実、二つの見方」の記事では、一つのものごとを見るにしても、その中のどの部分を重視するかで、見方や評価が変わることを書いた。
「キューバ危機」という出来事について、アメリカ・キューバともにそれが「第二次世界大戦後、世界が迎えた最大の危機であった」という認識では一致していたけれど、その評価は、正反対に分かれている。
アメリカの見方では「アメリカの勝利」になり、キューバの見方では「アメリカの敗北」となっている。
真逆の二つの見方でも、それぞれの国ではそれぞれ正しい。
「インド大反乱・太平天国の乱」の記事では、過去の出来事を把握するためには、現在の価値観や常識だけで判断してはいけない、ということを書いてきた。歴史的な出来事は、その時代を生きていた人たちの常識から考えたり、その国の観点からも見たりすることが大事なのだと思う。
そのことによって、同じことでも様々な考え方からや視点から見ることができる。
ボクの目からは、「多くの人命が奪われた悲惨な出来事」としか映らなかった事件であっても、中国やインドでは、「英雄的な行動であった」と賞賛されている。
多くの目で一つのものごとを見ることで、より正しくその対象を把握することができる。
ガンディーについての記事では、同じ人物であっても、その評価は見る人の価値観によって分かれる、ということを書いてきた。
ボクがそのことを強く感じたのは、インドを旅していたときだ。
日本で最も有名で尊敬されているインド人といえば、「インド独立の父」であるガンディーだろうが、インド国内では、ボクが思っていた以上には尊敬されてはいなかった。
インド人からは、「チャンドラ・ボース」や「アショーカ王」がガンディー以上に尊敬されることもある。そのことから、インド人の多様な見方に触れられた。
「インドでガンディーって尊敬されてるよね?」「チャンドラ・ボースだな」「え?日本と一緒に戦ったあのインド人?」
「インドで、ガンディーって尊敬されてるよね?」「マウリヤ朝のアショーカ王だな」「え?」
ガンディーの「サティヤーグラハ(非暴力・不服従運動)」の記事では、イギリスからのインド独立のためにガンディーが用いた手段について書いた。
そのやり方は、イギリスが相手ならば現実的で有効ではあったけど、それがいつでも、どのような場面でも通じることないだろう、といった内容だ。
ナチスやポル・ポト政権が相手であれば、「非暴力・不服従」をもってして戦うことは現実的はなく、まず間違いなく通じなかったはずだ。 「平和的手段での解決」が一番いいのだが、現実には、それでは解決できないこともある。
獣を相手にするときは、紳士的に対応するのではなく、自分も獣にならなければいけないこともある。この考えは、チャーチルのところでも書いた。
「あのさあ、ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたと思う?」①~イギリスのインド支配 前篇~
「日本という『アジアの光』」の記事では、日露戦争について、アジアの国々は日本とは違った見方をしていることを書いてきた。そのとき置かれていた状況が違うえば、日露戦争の日本の勝利の受け止め方も変わってくる。
ボクの場合、いろいろな国を旅してきたけれど、旅そのもので自分が変わったという気がしない。けれど、旅で得られた刺激がきっかけとなり、いろいろ行動することで自分自身も人生も変わったと実感している。
その変化には、複数の視点や考え方から一つのものごとを見られるようになったことがある。その具体的な視点や考え方とは、今回、記事で書いてきたものになる。
もちろん、それは、以前の自分と比べてのことであって、他人との比較ではない。
ただ、ボク周りの友人よりは、日本や世界のことについて、いろいろな角度から見ることができる自信はある。「あいつは、何かありゃ、すぐ怒る。まいっちゃうよ」と、奥さんの悪いところしか見えない気の毒な友人たちよりは、一つの対象を多面的に把握することができると思う。
20年以上にわたって海外一人旅を続けていれば、自然と、その国の社会の様子や外国人の考え方も分かってくる。
しかし、複数の見方を得ることで、そこから振り返って日本のことを考えると、逆に、日本のことが分からなくなってしまうことがある。
なぜ、日本がこれほど平和なのか?
戦後70年以上にわたって、日本は平和でいられた。ボクが自由に海外を旅できるのも、日本が平和であるおかげだ。しかし、ボクが旅した世界のほとんどの国は、日本のような平和を享受できてはいない。
いろいろな国に行って、そこから日本を考えると、「なんで、日本は日本人を『平和ボケ』してしまうほど平和な国なのか?」ということを不思議に思うようになってきた。
そのことについて、次回の記事から書いてきたい。
そうしたら、ようやく、まともな旅行記に入ります。
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