在日ベトナム僧の話⑤仏教弾圧/共産主義にとって宗教って?

 

日本にいるベトナム人のお坊さんから話を聞いてきた!
の第5弾、今回はベトナムでの仏教弾圧と共産主義にとっての宗教について書いていこうと思う。

 

ベトナム寺院「精進寺」

 

日中韓では、お寺を破壊したりお坊さんを還俗させたりする(僧侶をやめさせる)といった闇歴史があったのだけど、ベトナムではどうだろう?
話を聞くと、ベトナムでも1950年ごろに仏教が弾圧されていたという。
70年前というと、太平洋戦争が終わってベトナムが独立(1945年9月2日)したあとのころ。

*でもこのお坊さんは「ベトナムからフランスを追い出したあと」とも言っていた。
そうなると、1946年~1954年のインドシナ戦争後になる。
記憶があいまいなのか細かいことは気にしない性格なのか分からないけど、このお坊さんの言う「ベトナムでの仏教弾圧」というのは1950~60年代のころだと思う。

ベトナム政府が仏教を敵視した理由をたずねたら、「アヘン」というキーワードが出てきた。

「その当時のベトナム政府(共産党)は宗教を「アヘン」と呼んで嫌っていました。共産党は『人々が信じるのは神ではなくて、われわれ共産党だけでいい』という考え方でしたから、お寺が壊されたりお坊さんがいじめられたりして、仏教はいろんな弾圧を受けました」

それが原因か。
共産主義の“教祖”カール・マルクスは、宗教を人間の害悪となる「阿片」と呼んだことがある。

マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序論』に「宗教は、逆境に悩める者のため息であり(中略)、それは民衆の阿片である」とある

反宗教主義

 

1960~70年代の中国で、文化大革命が起きたときにも仏教弾圧が行われた。
これも共産主義にある「反宗教主義」の考え方が背景にあっただろう。
でもそれは、今は昔の話。
現在の中国はそのことを“反省”しているらしく、NHKのクローズアップ現代(2016年4月6日放送)によると、最近の中国政府には仏教を保護する動きもある。

かつて、すべての宗教を否定し、国中の寺や仏像を徹底的に破壊した中国政府。
しかし、半世紀を経た今、政府は各地で寺の再建を支援するようになりました。
文化大革命で破壊されたこの寺は、政府から5,000万円以上の支援を受けました。

経済減速 中国で仏教大ブーム!?

 

ただ、同じ本(ヘーゲル法哲学批判序論)の中で、マルクスは阿片について「痛み止め」の効用についても触れている。
共産主義(社会主義)が敵視しているは宗教そのものか、宗教によって人々が不幸になる状態かは見る人よって分かれる。
今回話を聞いたベトナム人僧についていえば、当時のベトナム共産党は仏教を敵視して弾圧を加えていた。

でもベトナムにはたくさんのキリスト教徒もいるのだけど、このときキリスト教も弾圧を加えられたのだろうか?
お坊さんにそのことを聞いたら、「よく分からない」とのこと。
というのは当時の北ベトナムには仏教徒が多くてキリスト教徒は少なかったから、キリスト教のことはよく知らないらしい。
*キリスト教徒は南ベトナムに多かった。

 

タイの朝の風景
お坊さんは裸足で街を歩いて、仏教徒から食べ物などをもらっている(托鉢)。
これは信者にとっては功徳になる。

 

ベトナム独立後、北ベトナムでは政府が宗教をアヘンと呼び、仏教弾圧が行われていた。
でもいまは逆で、先ほどの中国のようにベトナム政府も仏教を保護・奨励しているという。
その理由を聞いたら、「仏教を信仰すると人々の心が穏やかになって争いがなくなるから、政府にとっては都合がいいからでしょうね」と話す。
支配する側が民衆統治を考えたばあい、人々が反政府にならなければ宗教に”ハマっていた”ほうがやりやすいかもしれない。
カナダが大麻を合法化したように、中国やベトナムの共産党も宗教を認めたか。
「禁止するより、うまくコントロールしたほうが都合がいい」と。

こう聞くと共産主義では宗教を絶対悪と見ていたのではなくて、「程度ややり方しだいではOK」とわりと柔軟に考えているように思う。

最後に上の托鉢についてたずねてみた。
ベトナムでもお坊さんが托鉢をしていたけど、以前政府から禁止されてしまった。
でもそれは宗教弾圧ではなくて、ベトナムが近代化して交通量が急激に増えたから。
街を歩くお坊さんにとっては危険だし、車やバイクにとっては”邪魔”だからという交通事情からそうなったと言う。

 

 

在日ベトナム僧から聞いた話①日本仏教との同じと違い

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4 件のコメント

  • えーと、残念ながらここで紹介されている共産党(マルクス主義)の宗教に対する考え方には、大きな間違いがあると考えます。カール・マルクスが「阿片である」と敵視した宗教とは、当然ながら、キリスト教(ロシア正教)のことであるに違いないからです。すなわち、カール・マルクスが仏教のことなんぞ知っていたはずはない。彼が「宗教は阿片だ」と言ったのは、実質的には「キリスト教は阿片だ」という意味だったのです。(過去の魔女裁判や宗教戦争を想起すれば、その気持が分からんでもないですが。)
    そのマルクスの考え方をさらに歪めて「宗教は何であっても人類文明を誤らせる麻薬と同じである」という屁理屈で、仏教その他全ての宗教を適当にふるい分けして、自分達にとって邪魔な宗派だけを弾圧したのは、毛沢東や金日成などマルクス以降の共産主義者たちです。
    宗教の果たす機能・役割を経済システムの上で定義し正しく評価することができなかったのは、マルクスの打ち立てた共産主義という学問が抱えていた大きな誤りの一つでしょう。ただ、当時のキリスト教が資本主義・帝国主義と結びついて、凡そ本来のあるべき姿(とマルクスが考えていた?)からかけ離れて堕落していたことも、マルクスが宗教(キリスト教)を全面的に否定した理由の一つではありますが。

    なお、現在の世界において最も堕落していると考えられる宗教の一つが、日本の世俗化大乗仏教でしょうね。
    他国の仏教界からはあまり真面目に相手されていないようです。ま、それも無理ないかな。

  • 「宗教はアヘンである」という言葉の解釈は人や立場によって違いますが、この記事では主にベトナム共産党と中国共産党についてです。
    どちらも当然、仏教を知っていました。

    >カール・マルクスが「阿片である」と敵視した宗教とは
    このことについては、日本共産党の「マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?」をご覧ください。

  • 日本共産党:マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?
    興味深い記事を教えていただき、ありがとうございました。日本共産党らしい、矛盾だらけの詭弁が述べられていて、とても参考になりました。
    なかでも次のパラグラフ:
    >アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
    から、やはり自分の考え方が概ね正しいということを確信できました。

    宗教との関係で共産主義の最大の誤りについて指摘するならば、「共産主義とは、社会経済システムや政治のあり方を装ってはいるが、つまるところ一種の『宗教』に類似のものである」ということを、共産主義者達が理解できていないことだと思われます。中国やベトナムの共産主義者たちが仏教を宗教だとして弾圧したのも、その誤りの延長線上にあると思う。つまりは単なる宗教対立ですね。
    ソビエト連邦及びその衛星諸国という大規模かつ残酷な実験を行い、そのシステムが失敗であることが明らかになったにも関わらず、未だに共産主義を標榜する政党・国家が存在することが私には信じられません。それも結局は、新興宗教に騙される人々がいつまで経っても無くならないのと同じこと。

  • わたし自身は日本共産党を支持するわけではありませんが、参考になったなら幸いです。
    自説についてはわたしが否定する立場にありません。
    あなたがそう考えていることは理解しました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。