近代国家ならふつう、その社会は法によって成り立っている。
いわゆる「法治国家」なら。
法ではなくて情が社会を動かすような国は「情治国家」とやゆされる。
辞書的にはこんな意味だ。
情治国家
国家権力が厳格に法に基づき行使されているとは言いがたく、むしろ感情論に大きく左右され、世論や国民感情に沿うような形で行政や司法の判断が下されている、といった印象を与える国の在り方を意味する俗な表現。
実用日本語表現辞典
これからその具体例を隣国に見てみよう。
2015年の慰安婦合意によって、ソウルの日本大使館前に設置されていた慰安婦像は撤去されるはずだった。
でもその約束は守られず、いまも像は大使館前に置かれたまま。
それどころか2016年には、釜山の日本総領事館前に別の慰安婦像が登場する。
日韓合意で像はなくなる、と思ったらもう一体増えてしまった。
「消すと増える」というのはネットの世界の話だと思っていたのに…。
でもはこれは違法行為。
道路交通法違反になるから、釜山の東区はこの像を撤去した。
違法行為は認められないという対応は当然だ。
でも次の日から、東区には抗議の電話が殺到してサーバもダウン。
このままでは業務ができないため、東区は慰安婦像の設置を認めてしまう。
違法行為をしたというのは犯罪をおこなったことと同じだけど、「反日愛国」になると韓国でその常識は通じなくなる。
違法でも国民感情に合っていれば、あとでどうにでもできる。
だから「情治国家」の具体例に韓国がよくあげられるのだ。
これが違法の像であることは2年前に釜山市が公式に認めている。
西日本新聞の記事(2017/7/31)
最近になって市当局が、日本総領事館前の少女像は道路法に違反しており「公共物に指定して管理することはできない」との見解を明らかにし、市民団体などが反発している。
「少女像は道路法に違反」韓国・釜山市が見解 市民団体などが反発 続く混乱
市も違法であることはわかっていたけど、市民団体の「反日愛国」には逆らえない。
それで黙認状態が続く。
反日感情の前では法はこれほど無力なのだ。
それでも違法は違法。
像が設置されて3年後の2019年、この慰安婦像がようやく撤去されることになった。
という日本の常識は韓国では逆になる。
釜山市議会は特定の日本企業を「戦犯企業」として、市がそうした企業の製品を購入することは極力避けるという条例案を可決した。
さらに「歴史的事件を記念する銅像や造形物」については市が許可を与えることをきめた。
つまり慰安婦像はこうなるのだ。
時事通信の記事(2019/9/6)
こうした像はこれまで不法に置かれた状態だった。だが、改正条例により設置が合法化される。
日本製品の不買条例案可決=「戦犯企業」を特定-韓国・釜山市議会
違法に像を設置して、像が撤去されると、仕事ができなくなるほどの抗議をして黙らせる。
何年もそんな状態が続いたあげく、条例が変えられて像が合法化されてしまう。
法が情に完敗した。
じつはこの流れはソウル市も同じ。
日本大使館前に違法に慰安婦像を設置して、あとから条例を変えて合法化させる。
「感情論に大きく左右され、世論や国民感情に沿うような形で行政や司法の判断が下されている」という情治国家のいい見本だ。
これは慰安婦像だけの話ではない。
いわゆる徴用工問題は1965年の日韓請求権協定で解決したのだけど、いまになって韓国最高裁はこの約束をひっくり返して日本企業に賠償を命じた。
国家間の合意を国内法で否定するのは国際法違反。
でもムン大統領はこの国際法違反の状態を黙認しているのだから、もうどうしよもうない。
韓国で反日感情は大統領や法を上回る絶対無敵の存在なのだ。
こちらの記事もどうぞ。
前向きに考えて、やっぱり丁寧な無視が最善なんでしょうが、何か悲しいですね
経済危機か、IMFまでいかないと韓国は直視しないんじゃ…いや、危機的状況は現在進行形か、それでも理解できない韓国
今後、新卒者の日本への就職をさらに増やし、ニュートラルな思考を韓国に逆輸入していただければ、いつかは情治国家を卒業できるのではないでしょうか
海外の視点は重要ですね。
小学校を卒業してからオーストラリアに移住した韓国人は、「オーストラリアに行ってから初めて韓国の愛国主義が行き過ぎと気づいた」と話していました。
国内にいたら同じような価値観を持った人ばかりだから、ニュートラルな思考に気づきにくいと思います。