日本のキスの歴史♡日本人の価値観や見方はどう変わった?

 

日本へ行く欧米人が気をつけないといけないこと。
それは「日本人には気軽にハグをするな!」ということ。
イギリス外務省が日本を訪れる自国民に向けて、そんな注意を呼びかけた。
くわしいことはこの記事を。

イギリス人が日本で注意すること「気軽にハグすんな!」

 

訪日外国人にはこんな注意が必要というのを知ると、ハグやキスなどの身体接触について、日本人と欧米人ではかなり価値観がちがうということがわかる。
キスに対する日本人の見方については、昔からほとんど変わっていない。
戦争が終わって民主主義の時代になったりインターネット時代になっても、変わらない価値観が日本にはある。
これからそんな日本におけるキスの歴史を簡単に紹介しようと思う。

 

まず、キス(接吻)という行為そのものは昔からあって、室町時代には「口吸い」と呼ばれていた。
動詞の「口吸う」という日本語は平安時代に使われていた。
口と口で、江戸時代には「呂」と呼ばれた例もある。
この時代のキスはいまの欧米人のようなあいさつではなくて「性行為」のひとつ。

 

江戸時代の春画(1750年)

 

さて、江戸幕府が倒されて明治時代になったとき、モース(1838年 – 1925年)というアメリカ人の学者が日本にやって来た。

モースと申す。

東京大学の教授をしていて大森貝塚を発掘したり、日本に初めてダーウィンの進化論を本格的に紹介した人。

 

このモースの記録を読むと、キスに対する見方は明治の日本人もいまとあまり変わらない。

公の場所でキスをしたり(人前で夫が妻を接吻することさえも)その他いろいろなことをすることは、日本人に我々を野蛮だと思わせる。

「日本その日その日 03 (モース エドワード・シルヴェスター)」

「野蛮」とまではいかなくても、いまでも礼儀正しい行為とは思われない。
少なくとも社会的な常識にはなっていない。

 

キスもハグもしない明治の日本人を見て、欧米人は「感情がない」と感じたらしい。
でも、当時の日本人がキスをまったくしなかったということではなく、モースに記録には、母親が子供の首に鼻をくっつけるという程度のものならある。

モースが日本人の大学教授に、恋人同士ではどうなのか?と聞くと、「うんそれはするが、決して他の人のいる所や、公開の場所ではしない」という答えが返ってきた。
やっぱりいまの日本と変わらない。

その日本人教授がアメリカのミシガン大学にいたときは、人々があいさつ代わりにキスやハグをしているのを見て、「最も不思議に思った」という。
男がこんなことをするのは「愚の骨頂」だとも。

結局、欧米人と日本人の価値観は正反対なのだ。

日本人にとっては、米国人なり英国人なりが、停車場で、細君に別れの接吻をしている位、粗野で、行儀の悪い光景はない。これは、我々としては、愛情をこめた袂別か歓迎か以上には出ないのである。

「日本その日その日 03 (モース エドワード・シルヴェスター)」

 

日本人はキスを「粗野で野蛮、行儀の悪い行為」と見ているのだけど、公衆浴場では老若男女が素っ裸で同じ風呂に入っている。
当時の欧米人からすると、これほど野蛮で未開な行為はない。
*例外的に、「これこそアダムとイブの世界だ」と称賛する外国人はいた。
国がちがえば価値観も変わるから、キスや混浴は“普通”にも“野蛮”にもなる。

 

時代が変わっても、変わらない価値観や見方はある。
1970年ごろ(昭和45年)に、「今後10年で日本の社会はどう変わるか?」というアンケートをしたところ、公の場でのキスについてはこんな結果がでた。

「経口避妊薬が(公認され)常用されるか」、「される」が六四%、「されない」が三二%、(中略)「恋人が街頭でキスをするようになるか」は「なる」が五六%「ならない」が四四%、

「一九九〇年代の日本 山本 七平 (PHP文庫)」

 

当時の日本人は昭和55年までには、恋人たちが街中でキスをするような社会になると予想したのだけど、これは大外れ。
令和元年になっても、日本はそうなってはいない。
ボクの住む浜松市では、外国人が駅やバス停でキスしているのを見かけることはあるけど、日本人同士ではない。
これは日本全国同じだと思う。
渋谷や原宿のような若者の街でも、これが常識にはなっていないだろう。

結局、身体接触について日本人は保守的で、「キスの歴史」を見てもこの価値観はあんまり変わっていない。
「口吸う」という言葉のあった平安時代から令和の現代になっても、キスは欧米のようなあいさつにはなっていないのだから。
軍国主義から民主主義になっても、この点では「欧米化」していない。
見方としてはいまでも「性行為」のひとつ。
だからこうなる。

見ず知らずの初対面の人間がいきなりキスをすれば、日本の法制や判例では強制わいせつ罪に問われる可能性がある

接吻・日本

 

以下、余談

1970年(昭和45年)の日本人は他にもこんな予想をしていた。

自民党の単独政権が70年代に崩壊するか?
「崩れる」が71%、「崩れない」が29%

東大はなくなるか?
「なくなる」が34%、「なくならない」が66%

氏神様の祭りはなくなるか?
「なくなる」は12%、「なくならない」は88%。

ほとんどの日本人が、地域のお祭りはなくならないと考えていた。
日本人の宗教心も昔と変わらない。

 

 

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4 件のコメント

  • 私が挨拶のハグやキスの洗礼を浴びたのは小学生の頃でした。
    白人の男の子が転校してきたのですが、なぜかやたら気に入られてしまったらしく、クラスで私だけが毎朝ハグ→キスを食らってました(ちなみに同性です)
    あれは衝撃的な体験でした。

  • そうなんですね!
    小学生の時から欧米流の洗礼を浴びていたのですね。
    でも浜松の学校では、外国人児童が悪気なくそんなあいさつをしたことが問題になったと聞きました。
    郷に入っては郷に従え、が大事です。

  • 挨拶代わりにキスやらハグやらむやみやたらと身体的接触をする欧米人。でも、果たして欧米の全域で昔から、欧米人の全てが、そのような習慣を有していたのでしょうか? 私は違うと思います。
    少なくとも「男同士でも挨拶目的で頬にキス」という習慣は、欧米白人の中でも、主にラテン系(フランス、イタリア、スペイン等)に限定でした。その証拠として、たとえばF.フォーサイス作「ジャッカルの日」の最後のシーン。ド・ゴール仏大統領を暗殺しようとした狙撃手「ジャッカル」は英国人だったので「キス挨拶」の習慣がなく、スコープ中のド・ゴールが叙勲者の頬にキスする動作を予測できず、土壇場で狙撃に失敗するというシーンが出てきます。
    戦後、主に米国において親愛のキスやハグが広まりましたが、これは明らかに米国製TVホームドラマの影響です。とにもかくにも特に夫婦間の挨拶では愛情を具体的に行動で示さなければ離婚の原因になるのもやむなしといった風潮が、米国ホームドラマを介して欧米人の社会全体へ広がっていったのです。やがては夫婦でも、友人でも、ただの隣人関係でも、同じような思想の影響に染まりました。(ただし、そのような挨拶習慣はあくまで白人同士の間がメインでしたけど。)

    でも現在、ちょっとその方向の流れが変わりつつありますね。昔に比べて最近のハリウッド映画とか米国TVドラマでは、挨拶のキスシーンがあまり登場しなくなってきたことにお気づきでしょうか? 果たしてどういう変化の兆候なのか・・・。

  • 「ジャッカルの日」の話は知りませんでした。
    文化の違いがあらわれていて、おもしろいですね。
    キスについては幕末・明治に来日した欧米人の記録を読むと、日本と欧米の価値観の違いがよくわかります。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。