世界三大スポーツ大会といえばオリンピック、サッカーW杯と日本でいま開催されているラグビーW杯。
世界中からやって来た外国人は東方礼儀の国でいろいろなことを学んでいるらしい。
*「東方礼儀之国」はむかしの韓国(朝鮮)のこと。
仏メディア・AFP通信の記事(2019/10/05)
日本社会は常に礼儀正しく控えめだ。声高な会話は屋外でも珍しいし、電車内やレストランといった閉ざされた空間ではほとんど皆無だ。
ラグビーW杯で来日する世界のサポーター、礼儀の国・日本の勘所を学ぶ?
外国人が日本で驚く「二大鉄板」といえば、電車の運行が1分単位で正確なことと街がとてもきれいなこと。
東京のような巨大都市でさえ、路上にごみが落ちていないと上の記事に書いてある。
きれいは正義だけど、そのせいで来日外国人が困っているらしい。
アイルランド人のアランさんは、「とてもきれいで清潔だが、ごみ箱なしでどうやっているのか分からない。ごみをプラスチック袋に入れて持ち歩かなければならないね」と言う。
「日本はとてきれいだけど、ゴミ箱が少ない」という不満は、FNNプライムニュース(2019/9/24)の中でニュージーランド人も話していた。
ラグビーW杯で来日外国人が日本を称賛! 日本の「おもてなし」と残る課題とは
こんな外国人の感想に日本のネットユーザーは、
・ゴミ箱はホント少ないと思われてるらしいね
・ゴミ箱ないのに道にゴミが全然落ちてないから途方に暮れるらしい
と同情する人もいれば、こんな情報交換をする人もいた。
・札幌行ったら自動販売機はあるのに缶を捨てるゴミ箱が無くて、両手に空き缶持って市内観光した。北海道の人はジュース飲んだ後どうしてるの?
・ジュースが入った容器を捨てるとヒグマが集まるのでゴミ箱は絶対に置かない
これはボクも初耳でかなりのびっくり情報。
今回のラグビーW杯のために日本へやってきたイギリス人と話をしていたとき、ヨーロッパでは街にゴミ箱が置いてあるのが普通ということを聞いた。
でも彼が住んでいるロンドンでは、テロを警戒してゴミ箱があまり設置されていない。
だからイギリスの地方に比べてロンドンは汚い。
東ヨーロッパのポーランドへ戻った知人に、「街のゴミ箱の写真をくれ」と言ったらすぐに何枚も送ってくれた。
ゴミ箱は街の景観のひとつになっているようだ。
これが当たり前という感覚で日本の街を歩くと、ゴミ箱を求めてさまよい続けることになる。
日本では公共の場所にゴミ箱がないし、路上にゼロといっていいほどゴミが落ちてない。それは日本人がゴミを持ち運ぶからだ。おまえらも日本ではゴミを持ち帰れよ。
といったことが、ラグビーの国際統括団体ワールドラグビーのホームページに書いてある。
You will notice a distinct lack of rubbish bins in public, while at the same time, absolutely zero rubbish on the streets.This is because the Japanese hold onto their rubbish and dispose of it at home or when they come across public rubbish bins.
大航海時代の日本(ジパング)は「黄金の国」、いまの日本は「清潔の国」として海外で知られている。
先ほどのイギリス人も来日するまえ、何かのメディアでこの奇跡の理由を読んだ。
その海外メディアの分析によれば、日本がきれいでゴミ箱の少ないわけは、日本人がルールをしっかり守るから。
なんで国民全体が同じ行動をとるかといえば、日本は同一性の高い社会だからだ。
そんなことが書いてあったという。
欧米にはいろいろな人種や宗教の入り混じった多文化社会の国が多いけど、日本は全国どこに行っても同じ日本人ばかりいる。
同じ伝統や歴史的背景を持っている集団だから、価値観や考え方で共通する部分も多い。
あるルールやきまりを共有して全国的に守られている背景には、日本社会の同一性の高さがある。
彼はこの意見を読んで納得。
イギリスの場合、田舎はわりときれいだけど、ロンドンはゴミが落ちていて汚いところも多い。
その理由はテロ対策としてゴミ箱が撤去されたことより、ロンドンがマルチカルチャー(多文化主義)であることのほうが大きい。
ロンドンには移民も多く、白人・黒人・アジア人・アラブ人など世界中の人種や宗教の人たちが共存している。
だから、いろんな価値観に出会えるし各国の料理を味わうことができる反面、みんなが同じ価値観を持って行動をとることは難しい。
田舎なら、ずっと前からそこに住んでいて共通の文化を持っている人が多いから、同じルールを守る人も多い。
だからイギリスでは、都市より田舎のほうが治安がいいし街もきれい。
彼はこういう考え方をしているから、ほとんどの日本人が「ゴミを捨てずに持ち帰る」という行動をとるのは日本の同一性の高さが理由だ、という意見を支持している。
日本が清潔なのは「日本人のモラルの高さ」が理由で、それは教育によって養われるといった説明はよく聞く。
教育をするなら、さまざまな人種・言語・宗教の生徒がいるマルチカルチャーなクラスより、生徒全員が日本人というクラスのほうがまとまりがあってやりやすい。
島国の日本では多くの国民が同じ伝統や文化を背景に持っているから、ひとつの価値観やルールを共有しやすい。だから日本人はゴミを持ち運ぶし、街にゴミ箱は必要ない。
そんな見方は正しいと思う。
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そもそも一般的な日本人の行動として、歩きタバコは禁止、歩き食いははしたないからしない等、街を歩きながら大量のゴミが出るような事がないのだと思います。
だからゴミが出ても持ち帰る事ができる程度しかない。
> その理由はテロ対策としてゴミ箱が撤去されたことより、ロンドンがマルチカルチャー(多文化主義)であることのほうが大きい。
本当にそうでしょうか? マルチカルチャーとは、つまり、「ゴミを捨てない文化」と「ゴミを捨てる文化」が共存しているということですか? それっていったい、どこの国の程度の低い文化なんですか?
私は、「マルチカルチャー」が原因なんて、綺麗ごとの言い訳の表現に過ぎないと思います。
大都市で多民族が集積するとなぜ路上のゴミが増えるのか、それは街の美観に対する愛着や責任感の欠如が原因じゃないですかね。しょせん「自分の故郷ではない、自分が所属するコミュニティーじゃない」からゴミを捨てたって平気。良心が痛むことはない。そういう心情が原因になっているのでは?
他国や他地域でゴミを平気で捨てるような慣習は「文化」じゃない。教育の欠如、民度の低さですね。
まあでも、ブログ主さんも、そのような考え方を含めて「マルチカルチャーが原因」と表現しているのかもしれないですが。
歩き食いの影響は大きいかもしれませんね。
欧米は知りませんけど、東南アジアでは屋台がそこら中にあって食べ歩き天国でした。
日本でも食べ歩きができるところではゴミ箱が設置されています。
これはロンドンで生まれ育ったイギリス人の意見です。
「ゴミを捨てる文化」ではなくて、文化的背景の異なる人たちが一緒に住んでいるから価値観も行動基準も違うということです。
そのひとつが、「街の美観に対する愛着や責任感の欠如」です。
これはひとつの見方ですから、そう思う/思わないは人によって違います。