おおみそかの今夜、日本中のお寺で響く除夜の鐘。
この習慣は中国の宋の時代から始まって、日本へ伝わったというから鎌倉時代のころだろう。
ちなみに日本はこの時代に、中国から禅宗や喫茶の習慣などを受け入れた。
除夜の鐘は韓国でもおこなわれるから、東アジアの文化と言うことができる。
除夜の鐘では108回鐘をつく。
この108という回数は煩悩の数と同じで、除夜の鐘の音を聞くたびに悪い心が消えていって、きれいな心身で新年を迎えられるという。
そんな日本の文化、除夜の鐘がいまピンチ。
深夜に鐘をつくと周辺住民から「うるさい!」とクレームが寄せられることから、除夜の鐘を中止したり昼間におこなったりするお寺がいま増えているのだ。
最近では札幌にあるお寺が除夜の鐘を取りやめて、北海道新聞がそれを記事(12/27)にした。
「社会の寛容さが失われつつある」という市民の声と一緒に、中止をきめた寺の住職の言葉が紹介されている。
「数年前から数十件、匿名の苦情が届いていた。継続を望む声も同じくらいあったがやむを得ない」と話す。除夜の鐘が途切れたのは、太平洋戦争中に軍需物資製造のため鐘を供出した時以来。
除夜の鐘ってうるさい? 札幌の寺院、苦情受け中止に
このニュースにネットの反応は?
・年に一日の鐘の音程度も我慢できない方がどうかしてるだろ
・元旦早朝ら働く人や初日の出のために寝たい人も居るだろうからな
・youtubeで配信すれば良くね?聞きたい人だけ聞く
・まあ隣が寺なら煩いだろうな
・昔から毎年除夜の鐘をやっていたところに引っ越してきて「うるさいからやめろ」はおかC
・祭りもお神輿も、パレードも子供の運動会も、夕焼けこやけの5時の放送も、リサイクルカーの移動営業の声、石焼き芋、全部ダメってことか?
「うるさい!」というクレームから除夜の鐘が中止になるという動きはいま日本各地で起きている。
これについてどう思うか、インド人とバングラデシュ人にきいてみた。
上の2人のインド人が誰かわかりますか?
向って右側は「インド独立の父」としておなじみのガンディーで、左はアジア人初のノーベル賞受賞者(文学賞)のタゴール。
大正時代に来日した詩人のタゴールは日本の印象をこう記した。
一つのことが、この国の巷で目につく。街には人はあふれているが、いっこうに騒々しくはない。人びとは大声で話すことを知らないかのようである
「日本賛辞の33撰 (ごま書房)」
この前お寺に案内したインド人とバングラデシュ人もタゴールの感想と同じことを言う。
*バングラデシュはもともとインドの一部だったから、文化や社会的にはインドと共通する点が多い。
さらにバングラデシュとは「ベンガル人の国」という意味で、国民は同じベンガル人であるタゴールを誇りに思っているという。
インドとバングラデシュの社会は「超うるさい!」ということではほぼ同じ。
都市部では何人ものドライバーがクラクションを鳴らすから、その音がオーケストラのように重なって聞こえてくる。
これは10年ぐらい前の様子だけど、いまもインドは相変わらずインドのままだと思う。
これが常識になっているインドやバングラデシュから日本へ来ると、2人ともクラクションが聞こえないことにまず驚いた。
*彼らは「クラクション」ではなくて「ホーン」と言っていた。
電車や地下鉄、バスの中で携帯電話で話す人はいないし、日本の社会はどこも本当に静か。
これは日本人が他人に敬意を払っている証拠で、インド人やバングラデシュ人が見習いたいところという。
除夜の鐘については2人とも、一年に一度だけで、しかも文化になっていることなら、インドやバングラデシュだったらまったく問題にならないと太鼓判と押す。
たしかにその程度で怒っていたら、あの社会じゃ生きていけない。
彼らは続けて、除夜の鐘ぐらいで文句を言うべきではないと思うけど、日本では静かで快適な環境が当たり前になっているから、そういう人間がでてきても仕方がないと言う。
日本人のボクには、こんなことでクレームをいれる日本人が何人もいることに驚いたけど、インド人やバングラデシュ人からみると、日本の社会は信じられないほど平和的だからそんな人間がいてもむしろ納得がいくらしい。
外国人のほうが理解をしめしている。
とりあえず、除夜の鐘ごときで「うるさい!」と苦情を言う日本人は一度インドに行けばいいと思う。
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「除夜の鐘に騒音の苦情を申し立てる人」が日本でも出てきているのは、つまり、仏教に対する関心が薄れてきているのでしょうね。宗教的伝統が徐々に尊重されなくなっていくのも、現代では仕方がないかな。
ただ、昨今の「年末年始も24時間営業を強いるコンビニやスーパーの経営者」のことを想起すると、やっぱり、除夜の鐘も昼間のうちに奏でておいて年末くらいは日本人もゆっくり休むべきなのかもしれない。仏教側も、そのくらいは現代人の生活(というか人間としての自然の生活サイクル)に合わせてやってもいいのでは?という気がします。
私なんか除夜の鐘が鳴っていると子守唄のようでかえってよく眠れますけどね。(隣近所がたまたま寺でなくてよかったと考えるべきなのか?)
除夜の鐘は日本の文化ですから、年に一度ぐらいは我慢してほしいところです。
鐘の音を聞くと心身がキレイになるといっても、信心がなかったら何も通響きませんし、宗教心の低下が
こうしたクレームをいれるのを容易にした面はあるでしょう。
除夜の鐘の中止は日本全体としては少数ですけど、これから増えるような気はします。
私の実家では大晦日は子供も年越しまで夜更かしする事が許されていて、年越しと共に初詣に出掛けていましたから、除夜の鐘を騒音と思った事はありませんね。
私の主観ではそもそも、鐘の音を騒音とする感性が分からないです。
学校でも家庭でも、昔からの習慣や文化を教える機会が減っている気がします。
文化や習慣、礼儀、作法等々、古くからの習わしにはすべて意味や理由があることを、教えられていないのではないか、あるいは、風情や風流、趣と言ったものを理解する感性を育てる機会を得られなかったのではないかと思います。
もちろん、古くからの物という理由で固執するだけでなく、時代に応じた変化は必要ですが、何を変え、何を残すのか、その判断の為に必要な感性や歴史知識を育む場が必要だと思います。
おっしゃる通りで、文化や習慣の意味を理解することは大事ですね。
「これは文化だから我慢しろ!」だけでは通じないでしょう。
除夜の鐘は迷惑か?ということの世論調査を見ましたら、97%は問題なしで「うるさい」という人は2%でした。
2%の人に社会が変えられるというのも問題です。