日本と韓国は歴史問題では「鏡の国」で、同じものでも左右反対に見えることがある。
特に、日本統治時代についての認識はまったく違うから、政治的な対立はむかしから絶えない。
韓国ではこの時代を「日帝強占期」と呼ぶ。
帝国主義の日本が強制占領していた時期ということだろう。
同じく、日本の統治をうけていた台湾ではその時代を「日治時期」と呼ぶ。
韓国と台湾でも認識は違うのだ。
同じ出来事や人物でも、国によって見方や評価が異なる例は世界にはいくらでもある。
アメリカ大陸を“発見”したコロンブスを英雄と見る人もいるし、侵略者と考える人もいる。
それは仕方のないことで、「自分との違いは間違いだ」という独善的な見方から、相手の考え方を変えさせようとすることが間違い。
残念ながら、隣国さんにはそんな傾向があって、先日も韓国メディア「コリアンスピリット」にこんな記事があった。(2020.01.08)
일제의 심장부 도쿄에서 일왕에 폭탄을 던져 조국 독립의 염원을 알리다!
「日帝の心臓部東京で日王に爆弾を投げて祖国独立の念願を知らせる!」(機械翻訳)
天皇を格下の「王」と表記するのはやめてほしいのだけど。
さて、この事件を知っているだろうか?
日本が朝鮮を統治していた1932年1月8日、李奉昌(イ・ボンチャン)が東京で天皇に向って爆弾を投げつけた。
客観的に見れば、天皇殺害を目的としたテロ事件だ。
アメリカ人やイギリス人、フランス人などに聞いてほしい。
植民地支配していた時代、現地の人間が支配国の要人を暗殺しようとする事件をおこしたら普通それをテロと呼ぶはず。
幕末に、欧米人を襲って殺害したサムライもテロリストになる。
本人にとっては、国のためを思った正義の行為でも、第三者から見れば正当化できないテロ行為だ。
でも、当事者の国では、これがリッパな行為になる。
天皇殺害未遂という、日本にとってはテロ行為でも、韓国では、祖国独立の意志を天下に知らせた「義挙」として正義の行いとされている。
ならば、その偉業を称えないといけない。
上の記事によると、市民団体やソウル地方報勲庁長、さらに市民や学生など150人が集まり、88年前の爆殺未遂事件を取り上げ、「李奉昌義士義挙紀念式」をおこなった。
その式典で、市民団体の会長はこう話す。
朝鮮の義烈青年だったイ・ボンチャン義士が朝鮮日王に向かって爆弾を投げたのだ。青年が望んだ意図を達成されなかったが、東アジア近代史に一線を画す、青史に道が記録された。(中略)生きている神と持ち上げられ敬われていた日王はその瞬間、平凡な人間の水準に格下げされてしまった。
「世界を揺るがせた一大事件が起きた」と言うが、このテロ未遂事件にそんなインパクトはない。
1932年といえば、ドイツ総選挙でナチス党が圧勝したことのほうが、世界にとっては大事件だ。
また、ソウル地方報勲庁長はこの日の演説で、「この壮快な義挙」と称賛した。
日韓で見方が正反対になる人物には、李奉昌(イ・ボンチャン)の他にも伊藤博文を暗殺した安重根がいる。
安も韓国では「義士」と尊敬されているが、日本政府(菅官房長官)は「初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ」と言い切った。
韓国が安重根を英雄視しても、日本は特に問題視しない。
でも、日本が安重根や李奉昌をテロリストと言うと、韓国側は猛反発する。
この反応は「自分との違いは間違い」という認識があるからで、こういう考え方を生んだのはいわゆる「テロリスト史観」だろう。
文藝春秋(2015年5月号)で、元外務省の主任分析官で作家の佐藤優氏がこう書く。
私が一番驚いたのは、この韓国の教科書に書かれた歴史観でした。この国の歴史観は日本にとって脅威だといっても過言ではありません。世界の教科書の中でも極めて珍しい、「テロリスト史観」によって貫かれているからです。
北朝鮮より過激な韓国「歴史教科書」のテロリスト史観――佐藤優が読む「隣国の歴史教科書」韓国編
きょねんの夏、韓国で行われたノージャパン運動のスローガンは「独立運動はできなかったが不買運動はする」だった。
韓国にはこういう“スピリット”がある。
いまタイムリーな人物でいえば、イランの革命守備隊司令官のソレイマニ氏がいる。
アメリカにとってはテロリストの親玉だから殺害したが、イランでソレイマニ氏は英雄とされている。
この違いは話して分かり合えるものじゃない。
どちらかの認識に従わせようとすると壮絶なケンカになる。
ところ変われば、テロが義挙になる例は世界にたくさんあるのだ。
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